死亡原因ではない前立腺ガンの罹患率
昨年暮れ、都内の泌尿器科医のクローズの食事会があり、私の1年後輩の和田鉄郎先生(現在、慈恵医大助教授)と久しぶりに話す機会がありました。
彼の研究テーマは前立腺ラテント癌についてです。ラテント癌とは潜伏癌のこと云います。他の病気が原因で亡くなられた方を病理学的調査をおこなってみると、相当数の前立腺潜伏癌が見つかったという研究です。
現在の前立腺癌の早期発見の状況について疑問を投げかける研究結果でしたので、皆さんにご披露しましょう。
(和田先生には許可を得ています。)
【最近の日本人の前立腺潜伏癌(ラテント癌)の臨床病理学的検討】
(日本泌尿器科学会誌78卷12号1987年)
私の出身大学の病院で、2年間に不幸にも病気で亡くなられ、医学研究のため献体下さったご遺体で、解剖検査を行なった男性283人の前立腺病理学的精密検査を行なった前立腺潜伏癌の結果です。
亡くなられた原因である病気に、前立腺癌は含まれていません。
この研究は、彼がコツコツと地道な努力で得られたとても価値ある結果です。
大学で臨床ばかり行なっていて勉強や研究をおろそかにしていた私としては、とても頭が下がる思いです。
さて、この研究の結果、和田先生は現在の前立腺癌増加の理由について、(一般の泌尿器科医が信じて疑わない、PSA検査などの前立腺腫瘍マーカーの信頼性と前立腺癌の発見について)疑問を感じたそうです。
この表で示すように、80歳以上の男性では、50%の人に前立腺癌(潜伏癌)が存在していることが判明したのです。
40歳以上で前立腺癌の存在率は、何と24.2%です。今回の調べた男性が極々標準の人だと仮定すると、40歳以上の男性5人に1人以上の確率で前立腺癌が存在することになります。
50歳以上では、26.5%です。4人に1人以上です。これは恐るべき数字です。私は今年で55歳になりますから、このデータは人ごとではありません。
人間ドックや健康診断の際に、前立腺癌検診を50歳以上から勧められています。
通常、PSAという前立腺癌腫瘍マーカーの血液検査です。
しかし、50歳以上の男性でPSA検査陽性率が25%というのは聞いたことがありません。
実際に前立腺癌といわれても、目にしていなければピンと来ないでしょう。そこで前立腺癌について簡単に解説しましょう。
右の図と解説は、Campbell-Walsh Urologyから複写したものです。前立腺の正常組織から前立腺癌への変化の様子を表しています。
【1】
前立腺は精液の一部である前立腺液を産生する内分泌組織ですから顕微鏡で観察すると、分泌細胞を岸に並べた複雑な形の池のように見えます(図の左上)。
分泌細胞は均一で細胞質(細胞の中身)が明るく見えます。
右写真は実際の正常な前立腺組織像です。
(Sobotta実習人体組織学図譜 医学書院から)
【2】
何らかの原因で、分泌細胞が増殖して池の岸が厚ぼったくなります。
分泌細胞の核も大きく見えます。
核が大きくなる=核が限界まで活動(臨界状態)しているということです(図の真ん中の上)。
騒ぎを聞きつけてリンパ球が集まっています。増殖性炎症性萎縮と定義されています。
【3】
池の岸の分泌細胞は、核も細胞も形や大きさが不ぞろいで、幾重にも重なるように池の面積を小さくしています。
対岸の岸と岸が連絡するような勢いです(図の右端)。
前立腺内皮細胞新生物と定義されています。
いわゆる前癌状態です。
右写真は、実際の組織像です。
(病理組織の見方と鑑別診断 医歯薬出版から)
【4】
ついには対岸の岸がつながり、池は小さく区分けされてしまいます(図の真ん中の下)。
池の部分(前立腺液の収まっている空虚な部分)の面積が正常の組織と比較して極端に小さくなり、異型の分泌細胞(癌細胞)の面積が多くなる訳ですから、この時点で前立腺を触診すると硬い結節として正常な前立腺組織と容易に区別することが出来ます。
前立腺の直腸診で前立腺癌を診断できるのは、この時期です。
限局性癌と定義されます。腺管構造(池の部分)が均一で程よい大きさに保たれていて正常前立腺組織に近いのが高分化型といいます。
腺管構造が不均一に乱れ、小さくなり、癌細胞が増えるに従い、中分化型、低分化型と悪性度が増します。
右の写真は、上が高分化型、下が中分化型です。
腺腔構造が次第に不均一で小さくなるのが観察できます。
(病理組織の見方と鑑別診断 医歯薬出版から)
【5】
癌の増殖は止まることを知りません。
最終的には前立腺液が溜まる池である部分(腺腔構造)がなくなり、細胞の塊だけになります(図の左下)。
増殖するあまり、癌細胞に一部は弾け飛び、他の臓器に転移します。転移性癌と定義されます。
右の写真は、低分化型の前立腺癌組織像です。一番上の正常の前立腺組織構造と比較して、全く異なる組織構造をとっていることが、容易に理解できるでしょう。
前立腺分泌細胞が癌化して、分泌細胞として本来どうしても必要な腺腔構造を忘却してしまった哀れな前立腺分泌細胞の姿がここに見ることができるのです。最近の事件の親の子殺しにも似ていると思えませんか?人間としてあるいは生命として子孫を残すことは最重要項目なのに、自分の子供を殺してしまうという哀れな事件を思い出されます。
(病理組織の見方と鑑別診断 医歯薬出版から)
前立腺癌の組織像と臨床上の経過をよく反映する分類に、グレソン分類Gleason scoreがあります。
前述したように前立腺癌の悪性度を高分化型、中分化型、低分化型と三つに分類しましたが、グレソン分類では、前立腺癌の細胞と組織像のパターン(顔)によって、悪性度gradeを1~5の5段階に分類します。
組織全体の内、最も多い面積を占めるパターンをprimary grade、次に優位なパターンをsecondary gradeとします。そしてprimary grade+secondary gradeの総和をもってGleason scoreとします。
例えば、PG1でSG3の場合は1+3=4となり、Gleason score4点になります。
すべての組織像がgrade1の場合は、PG1+SG1=2ですからGleason score2になります。
グレソン分類は、以上の考え方から、2点~10点までの9段階に分類します。2点~4点をlow score、5点~7点をmedium score、8点~10点をhigh scoreと区別します。当然low scoreの方が予後が良いと考えます。
グレソン・スコアでlow scoreと診断された組織の倍加時間(2倍の量に増えるにかかる時間)は、20年~30年とされています(和田先生からの受け売り)。例えば、70歳の男性で前立腺針生検の結果、low scoreであった時、前立腺癌が2倍の大きさに増えるまでには、患者さんは90歳~100歳になる訳です。そうなると、無理に前立腺癌の治療の必要があるのか?という疑問が出てきます。
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