私も今年で56歳になります。
幼稚園の園児から始まって大学卒業するまで、同学年の同級生だけで1300人以上にはなるでしょう。もちろん会話した人も見たことがある程度の人も含めてです。
開業医として18年診療し、2万を超える患者さんのカルテがありますから、2万人も診察・診療したことになります。勤務医の時代が大学8年、救急医3年の11年ですから、1万人以上は診察・診療にかかわっていたでしょう。医師との交流もあり、総勢3万3千人くらいは何らかの形で接触しています。
このように多くの人と接していると、さまざまな人の才能の形が何となくおぼろげに見えて来るものです。私が「凡才」だっただけに、才能豊かな人に憧れることもありました。勉強に関していえば、どうしてパパッと理解できないのか?一瞬にして解答が出せないのか?計算ミスをいつもするのか?授業中に自信を持って手を上げることができないのか?・・・。
上のイラストは私が考えた「才能」のイメージです。
人の才能を植物に見立てています。人が「認識できる世界」をはさんで上に「無限の神の宝庫」があり、下に「有限の人智の宝庫」が横たわっています。
私たち一般人は、「凡才」ですから「有限の人智の宝庫」から芽を出した植物のような存在でしょう。
「秀才」と称される人たち(東大・京大やハーバードに入学できるような人)は、「有限の人智の宝庫」にシッカリ根をはり、十分栄養を吸収して育つ樹木のようです。
「天才」あるいは「天賦の才」と称される人たちは、「無限の神の叡智・宝庫」から栄養を供給されて育つ植物のようです。このような人は本人が意識しなくても物事を認識・理解・行動ができるのです。少年で大学へ飛び級するような子供たちです。
我々「凡才」には可能性がない訳ではありません。コツコツと目標に向かって積み重ねれば、「努力の才」が花開くこともあります。
しかし、天才や神童とマスコミなどで持てはやされた子供たちが、10年経っても20年経っても、一向に表舞台に出て来ません。
たまにマスコミに出て来たとしても、「あの人は今・・・」的な番組で、普通の人、我々と同じ「凡才」になっているのを発見します。本人の立場であれば、悲しい環境でしょう。
これを理解するため右上に図示しました。
急に育てられたりこねくり回されると、根や幹が十分に育たないうちに果実が大きくなり、ついには落ちてしまいます。「天才」は「凡才」の領域に下ってしまうのです。
「天才」の人が、ジックリと育てられれば、安定した存在になるのです。根も幹も太くなり、その果実はたわわに大きく立派になります。例えれば、アインシュタインがそうです。彼が子供の頃、教師に何でもかんでも質問をする「変な子」として周囲から見られていました。周囲がチヤホヤどころか白い眼で見ていたのでした。そのことが彼には逆にラッキーだったのです。日本では「米米クラブ」のカールスモーキー石井さんがそうです。彼は子供の頃、花を見てはメロディーが、また風が吹けばメロディーが頭に浮かび口ずさんでいたそうです。周囲からやはり「変な子」として見られたそうです。
これと同じ現象が「秀才」にも起きます。
「秀才」が、コツコツと研鑽すれば、茎は幹となり大きく成長します。すると、「神の宝庫」から援助の芽が出てきて補強しようとします。「神の宝庫」からの援助の芽は短いので、十分な高さがないと援助されません。
ところが、研鑽を怠り、ただ己の欲望のままに果実を大きくしていくと、背が低いままで不安定な樹木になります。すると、「神の宝庫」の裏に潜んでいた「闇」から援助の長い手が伸び、果実を補強します。と同時に根が腐り果実は熟してしまいます。
私たち「凡才」にも成長の可能性があります。
コツコツと「努力」の人に成りきるのです。目標を決めても構いませんし、決めなくても結構です。がむしゃらに一心不乱にただひたすらコツコツと己の信じた道を進むのです。
すると、細い茎と根が次第に太く大きな幹となり、背の高い樹木に変身していきます。さらに成長すると「神の宝庫」から芽が出て援助の手を差し伸べてくれます。補強された時点で、「神の宝庫」からも十分な養分が供給されるので、「匠たくみ」の域に達します。
成長の段階で、バランスの悪い大きな果実を持つと、「闇」から援助の手が伸びてくることに気をつけて下さい。果実が直ぐに熟してしまいます。
「天才」や「秀才」と呼ばれる人が「匠」の人になったとは聞いたことがありません。「凡才」の人しか、まず「匠」になれないのです。
仏教の世界では、この世の人しか「仏」になれないのです。この世の人が修行して初めて「仏」という存在になるのです。仏教では、よい行いをすると天国に生まれ変わりますが、天国人は「仏」にはなれないのです。天国人が「仏」になるためには、一度人間に生まれ変わらなければなりません。
「仏教」のこの世界観と、「凡才」だけが「匠」の域に入れるというのは似ていませんか?
【注意】
このイメージは私の妄想ですから、左から右へ受け流して下さい。
特定の宗教を補佐するものでもありません。念のため。