願い
「ザ・シークレット」で宇宙の法則を説明しましたが、ここではもう少し具体的なテクニックについて説明しましょう。ほとんどの内容が本からの受け売りなので、そのおつもりで・・・。
ご自分で望んだ未来にしかならないという法則なのですが、望む姿が具体的な状態でなければ、具現化しないのです。一部の人間を除いて、世界中の人間がおそらくは大金持ちになりたいと思っているでしょう。その場合、ただただお金持ちになりたいでは、お金持ちにはならないのです。まれに、宝くじが当って億万長者になったとしても、それで終わりです。その後お金持ちの状態は長続きしなくなり、結局は破滅のパターンがやってきます。
では、どのようにして思えばよいのでしょうか。
例えば、私の場合であれば、高校を卒業してから浪人を経験して何とか医科大学に入学でき留年もせずに6年間で無事に大学を卒業しました。卒業した年の国家試験に合格して晴れて医師になり、そのまま研修医として大学病院で修行しました。その都度その都度、見上げると目標があり、何とかクリアして、現在は泌尿器科専門医・外科認定医・消化器外科認定医・スポーツドクターです。
現在の自分の仕事を可能な限り努力することで、名医と呼ばれるようになるかも知れません。さらに神の手(ゴッド・ハンド)と呼ばれるようになるかも知れません。研究研鑽しているうちに、新しい発見や発明をするかも知れません。それを評価されノーベル賞を受賞するかも知れません。そして偉人として伝説の域に到達するのです・・・。
・・・以上のことは夢物語ですが、このように極めて具体的に想念して願うのです。この具体的な思いの中には、「お金」という概念は出てきません。「お金」は、あくまでも社会を生きていく上での手段であって、目標にはならないのです。人間は「お金」にはなれません。当たり前のことです。自分が成れる具体的なイメージに付随する存在が「お金」なのです。
こんな私ですが、開業してから18年を経過し、税務署に2回も入られ、見解の相違?という理由でかなりの「お金」を追徴されました・・・。それでも何とか支払って、こうして生きている訳ですから「お金」は付随するのでしょう。
現在の私は、富士山で例えれば五合目までも到達していません。田子の浦港から上陸して富士市を経由して、まだ麓の富士宮を少し上がった地点です。願いの大きさに躊躇することもしばしばです。
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