神による人生の負担
日本では1億人以上の日本人の2人の1人がガンで死亡します。
❶ 多くの人間を寿命で亡くならすのではなく、病気で命を決めているいるように思えます。
❷ 単純に何もなく長生きさせるのではなくある、病気の負担を与えれば、人間はいろいろに深く考えるでしよう。ですから神様は楽しいのです。
❸ 私も大好きな親友が死に、私は糖尿病になり、治療が原因で慢性腎不全になり、血液透析をして、心臓の病気になって手術をしたら、全身が変になって現在に至ります。😂🤣😸
極楽浄土
仏教の様々なお話の中で、阿弥陀如来の浄土支配する極楽がありました。幸福に満ちた所と言う意味です。地球はお釈迦さまに支配されているのです。
南無阿弥陀仏(なむあぶだぶつ)と一度でも唱えれば、阿弥陀如来が必ず聴き、死後には極楽に生まれるとされています。
極楽浄土は中国から西に何十億の仏土(仏教国家)の先に存在する場所だと言われています。当時の地球は平らだと思われていましたから、無限大の距離を進むと極楽に到達できると思われたのでしょう。しかし、実は地球は巨大な球体ですから、進めば進むほど、一回りして元の地に戻るのです(笑)。
極楽浄土の人間は、男女の性別がなくなり、不幸や犯罪がなくなり、皆んな幸せなので、悟りが得られ、皆んな如来になれると言うのです。
この世界で、このような国が世界にあるか?と調べてみると、どう考えたも、それは日本でしよう。世界で一番犯罪が少ないのが日本です。国民のほとんどが自己中ではなく、他人との協調を重要視します。日本人の若者は、男女差がなくなりつつあります。日本には、神社、お寺、教会など、あらゆる宗教施設があり、宗教差別はありません。国民のほとんどが健康保険に入っているのは日本だけで病気になった人が助けられるのです。完成度の高い戸籍があるのは世界でも日本だけです。世界で文盲率が一番低いのは日本だけです。
イスラム原理主義者のテロリストが、世界中で起きた自爆テロなどが成功し死ねれば、天国に行けるとされています。きっと、その天国は日本なのでしょう。どう考えても世界中で天国に近い国は日本しかないでしょう。この地球上の生命体は、必ず地球上に生まれ変わるのです(笑)。もしも生まれ変わって、後に前世で行った事を思い出したら、後悔をするでしょう。そして宗教戦争を否定するでしょうね?
極楽浄土あるいは天国で生活している日本人は、なお一層、多くの人のために生きるべきです。
マグマと温泉
日本は4つのプレート、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリッピンプレートが日本の深部地殻に潜り込んででいるのです。4つのプレートはすべて周りの海の海底プレートです。何十億年も繰り返し繰り返し日本列島の地下に潜り込んでいるのです。そのため、地殻変動や火山の噴火が度々起こるのです。特に太平洋プレートが一番多いのです。日本の地下に沈み込む際に、海水も一緒に伴います。
この現象が日本の地下に潜り込んむことで、日本は温泉地帯がたくさん出来るのです。その理由は、海底のプレートと一緒に地下に埋没するのです。海水が高温のマントルに混入することで、マントルの融点が下がり、マントルが熱い液体になります。それがドロドロの「マグマ」です。当然、比重が軽くなるのでマグマは地表に上昇します。それが火山噴火の原因になるのです。
温泉は次のように発生します。マグマが上昇しながら、地殻の亀裂からさらに周囲に上昇します。特にマグマから発生する熱い火山ガス(水蒸気、二酸化硫黄ガス、硫化水素ガス、二酸化炭素ガス)が、隙間を容易に通過して、さらに地表に上昇します。ます。地表近くに地下水が流れていると、熱〜い火山ガスで地下水が熱せられて、それが温泉になるのです。ですから、温泉の出口近くでは、火山ガス=毒ガスが出るので注意しなければならないのです。
温泉に入ると、体調が良くなったり、病気が軽快しますよね?毒ガスの含くまれた温泉が、健康に良いのは何故でしょうか?その理由を私の考えで解説します。火山ガスのけ元素成分は、硫黄、炭素、水素、酸素です。これらがすべてマントルの地殻成分とは思えません。日本の地下に埋没する海底の大陸プレートが、海中生物の死骸や生きた微生物も一緒に海水と共に埋没するのです。それも何十億年もかけて繰り返し繰り返し埋没しているのです。
それらたくさんの生命体がマグマになって地表に昇り、さらに生命体の成分が気体(火山ガス)になって、地下水に溶け込むのです。つまり生命体のエキスが温泉に溶け込んでいると思えます。火山ガスの成分である水蒸気・二酸化硫黄・二酸化炭素・硫化水素の成分元素は、酸素・水素・炭素・硫黄です。それは人間を含めた生命体の成分元素の酸素・水素・炭素・硫黄と同じです。(イラストに示す通りです。)「え〜!硫黄が?」と思われるでしょうが、次の必須アミノ酸のメチオニンやシスチン、システインは硫黄が含まれます。硫黄は微量元素ですが、必須の元素なのです。
温泉は火山ガスで、ただ単に温められているだけではないのです。温泉には様々な成分が溶けていますが、海底の大量の生命体のエキスも含まれていると考えると、温泉に入ると元気になるのは当然でしょう。
四季と神々
日本の四季折々が明確に区別ができ、さらに火山噴火、台風、竜巻き、地震、土砂崩れ、津波、落雷、雪、雹など、、驚くべき自然です。その自然の強さに応じて、多くの人びとが亡くなってしまうのです。そのような世界に対して、ひとつの神様しか信仰しないとは、思えません。
太陽の神さま、月の神さま、風の神さま、海の神さま、湖の神さま、川の神さま、落雷の神さま、山の神さま、農作物の神さま、動物の神さま等、たくさんの神々、すなわち八百万(やおよろず)の神が存在するのです。そして、それぞれの神さまは、人間の五感で認識できますが、科学なかった頃は、嵐が突然起きたり、地震の後の津波は予想できないので、神々の意志によるものだろうと諦めていたのです。
すなわち、認識できる存在を日本では神として崇め立てられたのです。その流れで、偉大な事を成し遂げた人間も、死後に神さまとして祀られるのです。伊勢神宮(天照大御神)、明治神宮(明治天皇)、法隆寺(聖徳太子)、太宰府天満宮(菅原道真)などが人神です。
ところが、四季折々の区別があまり無い世界の国々には、自然を中心とした八百万の神はいないのです。その結果、気の強い預言者(モーゼ、モハメッド等)とされる人が作り出した「一神教」になるのです。一神教は、人間が作り上げた神様なので、規則や経典を作るのです。
1.あなたは、わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。(他にも神様が存在する可能性があると思われる)
2.あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。(人のためには、偶像を作ってもいいのか?)
3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。(呼びたくても、本当の名前を教えてくれない)
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
5.あなたの父と母を敬え。(人間として当然)
6.あなたは、殺してはならない。(人間として当然)
7.あなたは、姦淫してはならない。(人間として当然)
8.あなたは、盗んではならない。(人間として当然)
9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。(人間として当然)
10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。(人間として当然)
これが「十戒」の本文です。
1〜3は、教祖であるモーゼの立場の考え方です。お願いできるのは、モーゼだけしか出来ないように、神様の正式の名前を教えてくれないのです。ヤハウェという名称は仮の名前です。もしも本当の名前が知られたら、あらゆる人々が一斉にお願いするでしょう。
5〜10は、道徳観のある人間であれば、当然です。しかし、それまでの旧約聖書では、洪水伝説やソドムとゴモラ伝説の二大都市破壊で多くの人々を殺害しています。そんな神様が5〜10のような道徳的な注意点を告げるとは思えません。これも人間としてのモーゼの道徳的発想です。
ユダヤ教の神さま
旧約聖書の「創世記」初めに、神さまが1週間かけて、この世界を作りました。天地創造です。その時のお話しです。天と地を創造後に見上げたら暗いので、「光あれ!」と神さまが唱えると、光が生まれて、昼と夜を分けたのです。6日間かけて、この世界の土台を作って、7日目に休んだのです。それが日曜日になったのです。それから考えると、カレンダーの「日→→→土」というのは、本当は「月→→→日」になるべきでしょう。
**********
創世記 第一章
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
**********
空を見上げた時の神さまは、水に浮いた霊の状態で見上げられたのです。天と地を創造する前から、水は存在していたのです。神さまが水を作ったという記述はないので、神さまと水は同じ存在なのかもしれません。それから考えると、ユダヤ教の神さまは、「水の神さま」なのです。当然、海の神さまですし、水蒸気の雲の神さまですし、雲で作られる雷鳴りの神さまですし、雨の神さまですし、川や湖の神さまなのです。旧約聖書の洪水伝説も神さまの仕業です。
エジプトの王さまが、ある時、1週間以内に生まれたヘブライ人の乳児を殺害しろと命令したのです。その時に母親が生まれたばかりの子どもを助けるために河に流したのです。エジプト王室の関係者が拾い上げた子どもがモーゼだったのです。モーゼという意味は、河から救い上げた子どもという意味です。
困難な環境からヘブライ人民族を救うために、エジプト王に懇願したのですが拒否されました。モーゼは神さま(ヤハウェ)の助けを借りてエジプトに危害を与えるために魔法を使いました。ナイル河を血のように真っ赤に染めて毒水に変え、たくさんのエジプト人が亡くなりました。霧が流れ、それを吸ったエジプト人の子どもたちは犠牲になりました。さらにカミナリが何回も落ち、たくさんの雹(ひよう)が降り注ぎ作物が採れなくなりました。エジプト王は、焦ってヘブライ民族の出エジプトを許可しました。途中気が変わり、モーゼたちを追跡させたのです。モーゼは追い詰められ逃げることの出来ない崖っぷちで、海を真っ二つにして逃げ道を作ったのです。ヤハウェから得られたどの魔法も、すべてが水に関与する魔法なのです。
また、水の神さまがエジプトからいなくなったので、エジプトは砂漠地帯になったのです。ピラミッドの 前にあるスフィンクスには、水に浸かった痕跡が残っているのです。
生命体は、水が無ければ生きていけないのですから、水を神さまとして拝むのも不思議ではありません。特に砂漠地帯をさまよい続けたユダヤ人が水の神さまを拝むのも当然でしょう。
最近では、バカな医師が、「水をたくさん飲みなさい!毎日2リットル以上飲めば、血液がサラサラになるから!」そのために、花粉症や過敏性腸症候群、熱中症になる人が多くなったのです。体内に多く余った水を排泄するために、花粉症や過敏性腸症候群になり、普段から水をたくさん飲むために、体内の有効な水代謝機能が乱れて、出す事だけに集中して、体内に水を有効に処置できなくなり、熱中症になるのです。
神さまである水をたくさんガバガバ飲めば、神さま許さないのでしょう。結果、天罰を受けるのも仕方がありません。水分は神さまのためにも、ほどほどに飲むようにしましょう。
熟年離婚の真実
ニュースなどで熟年・高齢者の離婚が増えているとされています。仲良く長い間連れ添ってきたのに、何故別れるのだろうと思いませんか?
その理由を人間の生理学的観点で考えてみました。男性は睾丸から男性ホルモンが分泌され、副腎から女性ホルモンが分泌されます。ご婦人は卵巣から女性ホルモンが分泌され、副腎から男性ホルモンが分泌されます。
当然、男性は【男性ホルモン≫女性ホルモン】ですし、ご婦人は【男性ホルモン≪女性ホルモン】です。加齢とともに睾丸も卵巣も機能が低下しますが、副腎の機能は変わりませんから、更年期を過ぎると、男性は【男性ホルモン<女性ホルモン】、ご婦人は【男性ホルモン>女性ホルモン】と各々が逆転するのです。
ご夫婦には色々なパターンがあります。例えば❶物凄い活発で男らしいご主人と、優しくおしとやかな奥さんのご夫婦ケース、❷逆に静かで内向的なご主人と、活発で活動的なキャリアウーマンの奥さんのご夫婦ケースです。
❶のケースのご主人は男性ホルモンが多く、奥さんは男性ホルモンが少ないのですよね。更年期を過ぎると、ご主人は男性ホルモンが一気に低下して女々しくなり、奥さんは女性ホルモンが低下して男性ホルモンが優位になるので逆に男らしくなるのです。男らしいご主人を愛した女らしい奥さんが、更年期を過ぎると、女々しいご主人を男らしい奥さんとが好きになるでしょうか?結果、奥さんから離婚を要求されるのです。
❷のケースでは、更年期を過ぎても、ご主人はおとなしく、奥さんは男らしいので、結婚当初と変わらないので、ご夫婦はいつまでも仲が良いので離婚しません。いつまでも仲が良い高齢者ご夫婦は、このパターンが多いのでしょう。おそらく、上皇さま・上皇后さまも、今の天皇陛下さま・皇后さまも、このパターンだと私は思います。
ご主人が病気で来院される仲の良いご夫婦は、ご主人がもともと内気な性格ですが、奥さまはもともと活気的な性格で、ご主人のことが心配でご一緒にいらしている雰囲気です。
神の存在
世界中にさまざまな神さまが存在し、多くの人々がその神さまを信じています。時代時代で信者の考え方も洗練されて変化するので、同じ神さまでも様々な考え方の異なる宗教がたくさん分離発展しています。
この写真は、イスラム教回教の聖地アラビアのメッカのカアバ神殿の巡礼のシーンです。カアバ神殿の場所は、神さまがアダムとイブに作らせた建物の跡に造られた建造物です。ノアの箱舟で有名な洪水伝説で初めの建物は流されてしまい、その場所は不明になりました。神さまのお告げで、その場所が判明して、その後、イスラム教の教祖であるムハンマドが支配して改築した記念碑です。この周囲をぐるぐる回ることで、太古の神さまの意志を再現できるとされています。ぐるぐる回るので、それを見ていた他国の人が回教徒と名付けたのでしょう。ユダヤ教もキリスト教も崇める神さまは同じなのに???仏教も同じで、小乗仏教,大乗仏教、真言宗、浄土宗、日蓮宗、密教などたくさんありますね。
太古の昔から、世界中にさまざまな神さまや仏さまが存在しています。もちろん無宗教の人も存在しますが、極めて少ないです。
現実に神さまや仏さまが存在するのかは別として、この世界は人間が創っています。道路を作り整備してさらに高速道路を作り、電気・水道・下水路・浄水路などのライフラインを作り、平屋から高層住宅まで作り、天気予報で台風を事前に察知して、植物の研究により環境の変化に強いお米や野菜や果物を作って、人間が少しでも負担のない生き方ができるように努力しています。これは全て人間が考え出し具現化した現象です。神さまや仏さまが作った世界ではありません。
つまり、人間が意識して創り上げたのが、現在の世界なのです。そう考えると、人間が強く思って考えて念じた事が具現化するのだと思われます。遥か遠い太古の過去から、現在、さらに未来までそれぞれの宗教の神さまや仏さまを何百億人〜何千億人の人々が信じている訳ですから、その念じたエネルギーが当然として具現化します。結果、それまで存在しなかったかも知れない神さまや仏さまが具現化して現実化するでしょう。
人生の寿命
人生は皆同じではありません。本当に多種多様です。世の中に利益を残してくれた人間ほど短命です。
友人の東大出の医師の山川先生は、頭脳明晰で紳士的かつダンディで、現在の「臓器移植ネットワーク」を作り上げて初代理事長になって多くの人々を救ったにもかかわらず、58歳で突然死したのです。
私と同級生の親友の倉内先生は、鹿児島に戻り開業しました。習字が上手く歌唱力がプロ並みで、手術が上手く九州でダントツの腕前で多くの人々を助けました。彼に一度でも会ったことのある人は、彼を愛しました。そんなみんなに愛された人間が、やはり58歳で突然死したのです。……この経験を踏まえて、人生をいろいろ考えました。
人生の状況をイラストで示しました。
タンクの中に人生のエネルギー水が貯蔵されています。タンクの側にポンプがあり、タンクからホースでエネルギー水を吸引して汲み出します。そしてポンプの力で噴水に注入して、水が噴水から噴き出るのです。噴水の噴き出る様子が、その人の見かけの人生です。タンクのエネルギー水の容量は80歳〜90歳分入っています。
とても能力があり、才能豊かな人間が、往々にして短命で不幸な最後を遂げることが多いのです。
歌舞伎で有名な中村勘三郎さん、「YMCA」でファンを元気にした西城秀樹さん、「負けないで」でファンを勇気付けたZARDの坂井泉水さん、みんなを明るい気持ちした「上を向いて歩こう」の坂本九さん、魅力的で清潔感のある女優の夏目雅子さん、ミュージカル「ミス・サイゴン」、「レミゼラブル」に出演で有名な歌手の本田美奈子さんなどは、ご存知のように世間の一般人を魅了したにもかかわらず、短命でした。
有名人の才能や実力や華やかさは、ある意味で巨大で荘厳な噴水のイメージです。当然ながら必要なエネルギー水が大量に必要になります。結局、タンク内のエネルギー水はすぐに枯渇=短命になるのです。
政治家のように社会的地位が高く高学歴で有能な政治家には、長生きのヒトが多くいます。そして、政治社会の裏世界を牛耳っている「ドン」のような政治家もよく耳にすることです。そのような人々は巨大で荘厳な噴水でしょうから、これまでの理論からすれば、短命な人生の筈だと思いませんか?実は、噴水は多くの人々を幸せにする事で、巨大で荘厳な噴水になるのです。個人の利益だけに特化した社会的地位や高学歴では、単なるみすぼらしいチョロチョロの噴水に過ぎないのです。
その点で考えれば、田中角栄さんは75歳で亡くなられて長生きではありませんでした。それこそ「ドン」の政治家でしたしロッキード事件で個人的に多額の収賄を受け取りましたが、日本列島改造論を唱え、日本中に高速道路網を作るきっかけを作り、地方にも新幹線を走らせ東京一極集中を回避して日本全国を豊かにしようとしたので、日本の多くの人々を幸せにしたのです。ですから、巨大で荘厳な噴水だったのでしょう。
多くの人に幸せを与えないで、詐欺やネズミ講などの悪いことをしてお金儲けをしたり、他人を支配する人は、裏の噴水があり、やはり人生のエネルギー水をたくさん浪費するので短命になります。
例えば、オーム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫は、自分と自分の信者の利益のために、多くの人々を不幸に落と入れたので死刑という短命寿命になったのでしょう。
キリスト様は多くの人々を助け心に安心を与え、その教えが半永久的に拡散したので、十字架で処刑され短命な寿命になったのです。
逆に、お釈迦さまは、この辛い世界=シャバに生まれ変わらないように、悟りを開いて「仏様」という存在になるための教えを広めました。しかしながら、実際に悟りを開いた人間はほとんど存在しません。そう考えると、ある意味で自己中心的、自己満足的な思想ですから、お釈迦さまは当時としては超高齢者の80歳過ぎで食中毒で他界されたのです。
以上のことから、長生きするためには、多くの人々に不利益を与えず、かつ
利益も与えないで、自己満足のように自分のためだけに生きて行けば、長生きできるでしょう。したがって、純粋に人命を助けるだけの医師たちは、平均寿命には達することはできないのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
神頼み
最新の医療機器や知識をフル活用して患者さんに対応しても、なかなか思うように治らない患者さんがおられるのは現実です。特に、有名病院や大学病院に行っても治らずに、ドクターショッピングの末、全国から当院にお越しになる患者さんも多くおられます。
病気の本質を見抜けば、8割の患者さんは症状が安定します。しかし、2割の患者さんは、処方する薬の工夫や手術をしなければ安定は得られません。治療する側の医師にしてみれば、「これでもか!これでもか!」という気持ちになります。
常識的な医学知識だけでは治せないのであれば、非常識な行動で治したいという気持ちになります。大昔は、医師は存在していませんでしたから、祈祷師もシャーマンも仙人も、神に近い存在で、神通力で病気を治そうとしていました。キリスト様も眼の見えない人を治したり、寝たきりの人を動けるようにな奇跡を起こしました。キリスト教で奇跡的に病気を治せるのは、神様だけで、それ以外で同じように治せるのは悪魔かサタンです。仏教の真言密教の「護摩焚き」も病気を治すための一つの手段でした。
つまり、太古の昔の時代では、病気を治すのは神頼みでした。現代医学で不完全にしか治せないのであれば、現代医師が神頼みしても良いでしょう。
日本に太古の昔に中国から漢字が輸入される前には、今はまとまって存在しない神体文字が何種類かありました。その中で、48文字まとまって発見された龍体文字には、ひとつひとつの文字に秘められたエネルギーがあるそうです。おおよそ5500年前の文字だそうです。
この本に、健康でいられるための龍体文字がありました。それが、このイラストの字「きに」です。治りの悪い患者さんには、希望があれば、このイラストをカードにしてお守り代わりにお渡ししています。医師として、しょうもない!バカバカしい行動ですが、何も出来ないで、苦しんでいる患者さんをタダ見ているだけの医師にはなりたくない私です。変態医師と思われても仕方がありません。しかし、あくまでも「神頼み」ですから……念のため。
これをお読みの方で、効果的な「おまじない」をご存知の方がおられれば、コメントに情報をお書きください。
【画像参考資料】
「龍体文字の奇跡」 マキノ出版
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
見えない事の真実
この世界には、見えない事で真実を証明されていない事は数々あります。
例えば、重力や引力は、その性質や法則は判明していますが、本質は未だ不明です。ニュートンの偉かったところは、リンゴの落下を見て、万有引力の「法則」を解明しましたが、引力が何であるかの本質は追求しませんでした。その後300年も経っているにも関わらず、誰も本質を証明していません。
例えば、私たちの生活に欠かせない電気は、すべて太陽エネルギーの利用です。
火力発電(石油、石炭)、水力発電、風力発電、太陽光発電の全てが太陽エネルギーの間接的な利用です。、
石炭は、太古のシダ植物の化石です。石油は、さらに太古の微生物の死骸の化石です。水力発電の水は、太陽エネルギーで海の水が蒸発し作られた雲からの雨を利用しています。風も地域ごとの気圧の変化が風を作っています。太陽光発電の太陽電池は、作製するのにかなりのエネルギーを消費しています。
これだけ科学が発達しているのに、誰も太陽エネルギーの直接利用できないのです。人間の知恵はこの程度なのです。
原子力発電は、ウラニウムを利用して出来る熱エネルギーで水を沸騰させて、その水蒸気でタービンエンジンを回転させ、発電機を動かすのです。一見、最先端のシステムですが、18世紀に出来た、産業革命の主役の蒸気機関を利用しているだけです。
北海道で地震があり、大停電になりました。その原因は、主要の発電所が1箇所壊れたため、電気の供給が足りなくなり、北海道のすべての発電所が強制的に停止したのです。ここで、不思議と思いませんか?
電気量が足りなくても停電するし、電気量が多過ぎでも停電するのです。供給する側の発電所の作る電気量と、供給される側の消費側の電気の量が、ほぼ同じでないと停電するのです。
最近は、風力発電や太陽光発電が多くなり、電気量が著しく増加する時間帯があるため、電力会社は総電気量を観察測定しながら、火力発電、水力発電、原子力発電の産生する電気量を調節しています。電気量が多過ぎると停電するからです。
つまり、作る電気の量と消費する電気の量が、ほぼ一致しないと電気は流れないのです。それには、理由があります。発電機の中で磁石を変化させると、近くの電線に電気が発生して電気流れるのです。私たちが生きるこの空間には、マイナス電子とブラス電子がひしめき合って共存しています。そこに発電機の環境を作ると、マイナス電子とプラス電子が分離して、マイナス電子だけが電線に流れて行くのです。
ではマイナス電子は、何もしないのに、どうして自然に流れていくのでしょうか?これには訳があるのです。プラス電子と別れたマイナス電子は、どこかで再びプラス電子と会えると思って流れていくのです。河川で例えると、上流から下流へです。下流にはマイナス電子の消費者である家電製品や工場があります。電化製品の中に入ったマイナス電子は、そのまま空間に存在するプラス電子と合体するのです。
発電所でマイナス電子が吸引されるので、発電所周囲の空間にはプラス電子が過剰に産生されます。すると、周囲の空間のマイナス電子と合体します。すると、さらに周囲のマイナス電子が不足するので、発電所周囲のから波紋のようにマイナス電子の不足が広がっていきます。何百キロも離れた消費者のところで、マイナス電子が補給されて、この現象は終わるのです。宇宙空間からすれば、何百キロというのは、すぐ隣です。
これは、水の循環と同じです。海の水が蒸発して雲になり、雨となって地上に水が落ちます。地上に落ちた水は、地面に染み込んで地下水となり、湧き水として河川に流れて海に戻るのです。
要するに、電力というのは、空間に満ちたプラス電子とマイナス電子のバランスを発電所で崩して、戻ろうとする循環の力が電力になるのです。水の循環で例えれば、発電所は海水を温め蒸発させて雲にして雨を降らせる太陽光エネルギーのようなものです。ですから、電力を作る発電所の量と、消費する電力の量がほぼ等しくないと、電気は流れないのです。
見えないところで、さまざまの真実が隠れているのです。人間の体も同じような事がある筈です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
エンパス体質
先日、包茎手術した20代の患者さんとのエピソードです。
手術中に患者さんを安心させるために、雑談をしています。仕事は?趣味は?出身は?などいろいろです。そしたら、その患者さんは少年期〜高校生にかけて、四国の香川県善通寺市で育ったそうです。何と!ビックリです。私が産まれたのが善通寺市だったのです。そして、当時の四国新聞の赤ちゃんコンクールで、私が一位だったのです。そんな私が、60年以上経ってから慢性腎不全で透析しなければならない身体になり、赤ちゃんコンクールで優勝て何だっただろうねなと、大笑いしました。
さらに話しは進み、私の能力・体質に及びました。「私はヒトの残りの命のを観ることができます。」見えると言っても6ヶ月の命ですが…患者さんの顔を観て、命の影が正常であれば、手術をすると説明しました。「貴方は大丈夫だから手術しているんですよ。」
次に、彼がご自分の体質が教えてくれました。「エイチピー」です。「エイチピー?」と聞くと、他人の気持ちや感覚と過敏に協調する体質だと言うのです。他人が痛がっているのを見ると、自分も同時に痛くなるのです。悲しんでいる姿を見ると、自分もとても悲しくなってしまうのだそうです。後で調べると、私の聞き違いでHPではなく、「エンパス」でした。
患者さんの希望で、高額のテクニックの難しい手術を希望されたので、手術時間が1時間30分もかかりました。手術慣れしていても、さすがに、66歳の私も疲れました。手術が無事に終わると、患者さんが「とても疲れました⤵︎」……「おいおい、一番疲れているのは、寝ていた君ではなく、手術している私だよ!」……「そうか、君の体質だね?私の疲れに同調したんだ!……そう言えば、私はそれほど疲れていないから、同調したのではなく、私の疲れを吸収したのかもしれないね?」
『?!』フッと思いつきました。他人の気持ちや感覚に対して過敏に同調あるいは協調するという現象は、もしかすると、一次的な表面的な症状かも知れません。本当は、他人の能力や才能を吸収できる能力があるのです。そのつもりで、憧れの人物や尊敬している人物の人格や才能を吸収できるか試してみてはどうか?と、アドバイスしました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
宗教と医療
宗教は、一人の教祖が、神様がお造りになった世界観をユニークに描き、多くの人を共鳴させた、ある意味で文化です。ユダヤ教はモーゼが、キリスト教はキリストが、イスラム教はムハンマドが初代教祖として作った宗教です。
また、仏教は神さまの存在は取り敢えず横に置いといて、神さまの造ったこの世界をどう生きるか?のノウハウを解説した宗教です。
つまり宗教は、このキビシイ現実世界をどう生き抜くかを心の中の宗教の世界観に迎合させて、心・肉体を現実の世界に順応させようとする哲学です。
しかし、教祖の考え方が正確に伝わるとは限りません。弟子たちが、その後、自分たちの考え方を反映させるのです。初代の教祖が神から直接お言葉を聞いて、あるいは、悟りを開いたのは、教祖の天性の才能なのです。そうではない凡人に弟子たちの考え方が合っているとは思えません。初代の教祖も、きっと不愉快に思われているでしょう。『誰か宗教戦争でたくさんの人々を殺害しろと言った?』『誰がきらびやかな衣装をまとい、荘厳な儀式を行えっと言った?』『誰が経典・教典をの印刷して精読・暗唱・読み上げろと言った?』お釈迦様も現在の密教の儀式や作法を見たら、大笑いでしょう。初代の教祖たちは、『こんな事、言った覚えはないぞ!』とお怒りになるでしょう。現代の宗教は、初代教祖の考案した世界とは、かけ離れているのです。しかし、その中心には、初代教祖のオリジナルの思想が流れていますから、枝葉に振り回されることなく、本質を見極めましょう。
さて、医療は人間が発見した病気に関するたくさんの知識や治療法を基に病気の世界を解明しようとしています。常に現在進行形であって、ゴールはありません。問題点は、現在の常識がすべてであると思い込むことです。その常識で治らない患者さんは、常識が不完全である可能性が高いのです。
多くの医師は、自分が習ったことしか信じません。既知の知識をベースに自分の力で新たな発見を見つけようとはしないのです。
前立腺ガンの腫瘍マーカーであるPSA検査を開発したアメリカの研究者は、前立腺ガンのステージⅢ・Ⅳ、つまり、ガンの浸潤・転移の状況を把握するためにPSA検査を開発しました。ところが、その後の研究者たちが初期の前立腺ガンも把握できると言い出して、PSA検診の過剰診療になってしまったのです。まるで、初代の教祖の考えを曲げてしまった代々の宗教家たちと同じです。
私たちの存在するこの世界には、私たちが予想もつかない無限のあらゆる可能性を含んでいます。宗教にしろ医療にしろ、1つの方向性の世界観しか存在しないのは、どう考えても信じられません。私たちが生まれるはるか昔にいろいろな神さまが存在し、さまざまな世界を創り、また、医療も含めた文化にも、さまざまな方向性や考え方があって……当然です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
大波小波
もうじき66歳になります。人生を振り返ってみると、大小の波が押しよせたことを思い出します。
私が医学部受験の頃、挫折して医学部受験をあきらめていれば、おそらく一般大学に進み、サラリーマンになっていたでしょう。
私には、特に秀でた才能もなく、自覚できる特技もありませんでしたから、サラリーマンになっても出世もせずに、今ごろは定年退職したでしよう。特に趣味もなく、目的もなく毎日ブラブラしているでしょう。おそらく、自分の病気が気になって、毎月のように病院に通院していたでしょう。もっと元気な高齢者になっていたはずです。
しかし、2年も浪人したにもかかわらず、挫折もせずに、医科大学に何とか合格しました。その後、留年もせずにストレートに卒業し、国家試験も円滑に合格し、晴れて医師になりました。『こんな順調に人生が進んでもいいのかな?』と思っていました。
ところが、医師になってから、2回も失恋💔して、研究に対して不真面目であったので、上司に叱責💢されました。そのどちらもストレスが強く、精神的にかなり落胆しました。人生には波があります。大きな波、小さな波がつぎつぎに襲ってくるのです。それが人生です。
まずは、マイナス・ネガティヴの大きな波が……
❶小学校3年生で転校
転校先の小学校は、幼稚園から一緒だったクラスメートの中に、私一人が入り込んだ状態です。
❷高校受験に失敗、当時の三流校に入学
希望校は、ことごとく失敗、自分の能力のなさを自覚
❸高校1年生の時に左ヒザを骨折
入院中に同い年の看護婦さんに自分の大便を見られて恥ずかしかった!入院して期末試験を受けられず、1年生のエリートクラスから2年生で普通クラスにランク落ち
❹大学受験に失敗して2年浪人
つまり、将来の保障もなしの受験勉強を3年間…精神的に落ち込んだ
❺大学卒業後、2度の失恋と、真面目に研究しなかったので上司に叱責
自分の魅力のなさと能力のなさを自覚
❻父親の突然死
心肺蘇生を息子の私が病室で行い、臨終を宣言しました…多大な借金を残し父はあの世へ...
❼結婚後に地方の病院に派遣され、家族のことを考え大学を退職
腕も人当たりも、それなりの私なので、地方に派遣するにはモッテコイの人材
❽転勤した救急病院の上司のゴタゴタが原因で、予定よりも早く退職して開業医へ
上司が病院の院長を計画的に恐喝してマスコミ騒ぎになりました
❾バブルがはじけ、銀行の金利が驚くほど上昇
開業資金の借金の金利が、毎月195万円!……キツかった
➓親友が急逝
本当のただ一人の親友が脳卒中で他界、私の考え方に共感してくれた、ただ一人の親友
⓫体調が崩れ、最終的に慢性腎不全
患者さんの体は気になるが、自分の体は気にならなかった結果
⓬透析と診療の併走人生
透析する分、診療時間が半減、当然収入が激減!
マイナスの波の次に来るポジティブな波が……
①転校先の小学校が有名な進学校だったので、生徒のほとんどが優秀、有名人の子どもや子孫で、多大な影響を受けた……還暦の同窓会で、有名大学・企業出身の人ばかり
②入学した高校は、中等度の能力の集団だったので、頑張って勉強すば、上位にランク可能であった
③普通クラスに落ちたのがキッカケでヤル気が出た……結果、学年で一番になれた
④浪人生の頃は、自分の人生を深く考える良い機会であつた
⑤失恋したおかげで、今の奥さんと出会えた……振ってくれた女性たちに深く感謝
⑥父を反面の教師として学んだ
⑦大学の医局を辞めるキッカケになり、人事を掌握していた主任教授に今では深く感謝
⑧救急病院で外科・内科・整形外科の勉強ができて、開業にとても役立った…排尿障害が泌尿器科の病気のほとんどの原因であることに気がついた!
⑨多額の金利支払いを何とか乗り越え、自信にもつながった
⑩私の考え方に共感してくれた、ただ一人の親友が他界して、一人ぼっちになった印象で、一匹オオカミになた……
⑪教科書的知識やデータだけでは、病気の本質は見えないことを悟った!
⑫自分が身体障害者になって、患者さんの立場を実感し深く理解できた
ここには掲載しなかったネガティヴの波やポジティブの波が他にもいくつかありました。街中のこんな開業医でも、ご覧のようにスムーズな人生ではなかったのです。患者さんは、私のことをトントン拍子の人生であったろうと思われているでしょう。決してそんなことはないのです。患者さんも、病気になった時点で、大きなマイナス・ネガティヴな大波が来たか?と思われるでしょうが、私のようにポジティブな波がいくらでもやって来るのです。
ネガティヴの波がなければ、私の人生はもっと変わっていたでしょう。しかし、今の私は、ネガティヴ・ポジティブの波がなければ、存在しません。今の私がいなければ、私のユニークな考え方で助けた患者さんも存在しなかった訳です。ネガティヴの波は、私にとっては本当に辛い出来事でしたが、ある意味で必要悪だったのかもしれません。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
神さまのワナ
人生は、生きている中でいろいろなことが起きます。
トップギアで全速力で生涯走れるヒトは、ごく少数です。そこには、神さまが仕掛けたトラップ・ワナが隠れています。
灘高校を卒業して東大の医学部に入って医者になり、その後ハーバード大学に留学して、さらに勉強して司法試験に合格して弁護士になったヒトが、県知事までのぼり詰めました。そんなすごいエリートが、インターネットで知りあった23祭の女子大生と援助交際を行い、マスコミにバレて辞職に追い込まれました。職業に適した品格を持つべきだったのに......。
偏差値の高い湘南高校を卒業し、東大法学部に入学・卒業して、当時の大蔵省に入省しました。その後、財務省に代わり、出世街道をまっしぐらに進んで財務省のトップになった人が、マスコミ記者の女性にセクハラ行為をして辞任に追い込まれました。人を束ねる人間とは思えません。
2人とも勉強のできる学生としては、最高だったはずです。どちらもI.Qはとても高いヒトでしょう。一度読めば容易に記憶でき、一言聴けば、すぐに思い出すことのできる記名力抜群だったのでしょう。人間離れの才能を持ち劣等感もなく、常に優秀で人の上に立つ人材です。でも、タダそれだけです。コンピューターが人間の姿をしているだけだったのです。
ヒトは、思い悩み苦しみ、そこから抜け出すことに努力しなければ、人間性も他人の気持ちも分からない中途半端な人間になるのです。気をつけないと、神さまのワナに落とされますよ。
今の学校教育は、このような人材を作ることを良しとするのです。子供たちの様々な個性を尊重することが大事です。勉強ができるだけがすべてではないのです。
このような現象は、各分野でおきます。良い事をし過ぎても、悪い事をし過ぎても、勉強し過ぎても、仕事をし過ぎも、出世し過ぎても、遊び過ぎても、健康になり過ぎても、宗教にはまり過ぎても起きるのです。神さまは、順風満帆のヒトに、必ず足を出してつまずかせるのです。何事もほどほどに......。
運気には、相互作用があります。このことを考慮しながら、人生を過ごさなければなりません。
私は、たくさんの患者さんを治療して治したり、症状の軽減を図ってきました。それが過ぎて、私が難治性の病気になったと思われます。ほどほどにしなければならないのに、それが出来ません。これも私の宿命なのでしょうね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
人生の浮き沈み
BSテレビで、「ボディガード」をたまたま観ました。その際に、若きホイットニー・ヒューストンさんを見て、『魅力的だな』と思いました。ホイットニー・ヒューストンさんは、高音の声が素晴らしく、アメリカの国歌斉唱を1991年第25回スーパーボールという華やかな公の場で独唱するほどでした。モデルも仕事にするスタイル抜群の容姿の黒人歌手でした。天が二物を与えた存在でした。映画「ボディガード」で一躍有名になりました。それが絶頂期だったのでしょう。
その後、DV亭主がキッカケで、心労が重なり、酒とコカインと薬物に逃避しました。しかし、中毒になり、施設に入って立ち直ろうとしていました。
声もガラガラになり、美声とは程遠くなり、晩年の彼女の風貌も写真のように別人です。薬物中毒が引き金の心筋梗塞のため48歳で他界しました。
美輪明宏さんの考え方で、人生にはリズムがあり、陰陽☯️、プラスとマイナス、山あり谷あり🏔、幸不幸など色々な波🌊が押し寄せて来ます。安定した人生は起伏の幅が少なく、波瀾万丈の人起伏の幅が大きいということです。サーファーが次から次へと寄せてくる大きな波を如何に処理するかが、サーファーの腕の見せ所です。人生も同じです。
ホイットニー・ヒューストンさんは、若くして想像を超えるエベレストの頂上を登ったために、その後は、一気に深い渓谷に転落したのでしょう。絶頂期を迎えた時には有頂天になりますが、それがいつまでも続くとは思ってはいけません。ソフトランディング出来るように、それまでの努力以上に、必死に努力しなければなりません。
また、現在絶不調の人は、これから来るであろう絶好調に備えて、力を蓄えましょう!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ファンタジー
小人の国を描いた「ガリバー旅行記」には、その他に巨人の国や「日本」が出てきます。当時の人からすれば、「日本」とはおとぎ話の世界でしか存在しませんでした。
孫悟空で有名な西遊記の中に、地面から炎が噴きでる「火の国」の描写が出てきますが、現実に石油が浸み出ていて、それが地面から燃えている地域があるのです。しかし、西遊記の読者はファンタジーだと思ったでしょう。
黄金の国「ジパング」もどれだけの人がその存在を信じていたでしょう。
飛行機は、空気抵抗のために音速を超えることができないというのが、一昔前の航空物理学でした。それもあっと言う間に過去のお話です。
「産褥熱の原因は細菌だ」と訴えた産婦人科医は、全く信じてはもらえずに学会を追われ、哀れな末路をたどりました。
私たちが「おとぎ話」や「ファンタジー」や「夢物語」を思っていたことが、実は現実世界に存在したという事例がたくさんあります。どうして、このようなことが起きるのでしょう。
これは、私たちの考える世界よりも現実の世界の方が、想像を超えるほどはるかに広く深遠だからです。現実の世界の方が、私たちの智恵の世界よりもはるかに広いからです。
私たちの智恵は、過去の人間が知り得た世界観を超えることができないのです。それも、完全な智恵はここ100年足らずの知識だけです。
東日本大震災による大津波は、1千年前の古文書には記録がありましたが、全く無視され、今回の悲劇になりました。「想定外」という言葉に嫌気がさしたものです。
原子力発電所の被害も想定外に適応できませんでした。アメリカGE製の原子炉は、アメリカ気候風土特有の竜巻対策で、緊急用のディーゼル発電機は原子炉の下部に設置されています。竜巻のほとんどない日本仕上げではありません。発電機家屋も海岸べりにもかかわらず、防水対策も取られていませんでした。また、人が住まないような土地に原子炉が誘致されていますが、人が住まないのは住まない理由や歴史がある筈なのに、それを無視して誘致し設置されています。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
ウィズダム Wisdom
ユダヤ教は、「旧約聖書」と「タルムード」という戒律を基本にしています。
ちなみに、キリスト教は「タルムード」の代わりに、「新約聖書」で、イスラム教は「コーラン」になります。
この「タルムード」の中に、「ウィズダム」という考え方があります。日本語で「叡智」「知恵」と訳される言葉です。
内容からすると「賢明に生きるための生活の知恵・術」とも訳せる言葉です。例えば、「分かれ道に出くわしたら、近道を選ぶのではなく、遠回りでも安全な道を選択しなさい。」という知恵です。「タルムード」の中では、大金を支払ってでも、この「ウィズダム」を買えというのです。
さて、人生を60年も過ごしていると、個人的で主観的な考えですが、私なりに「ウィズダム」が蓄積されてきます。ここで、私の「ウィズダム」を少しずつまとめてみましょう。
【健康】
1.水分は控えること。多飲は万病の元である。
2.排尿は1回に30秒以内が正常である。それ以上かかる人には、必ず排尿機能障害がある。
3.1日の排尿回数は、7回以下が正常である。それ以上の回数の人は、必ず排尿機能障害がある。
4.就寝後排尿で眼が覚めないのが正常である。夜間に1回でも排尿で起きる人には、必ず排尿機能障害がある。
5.耳たぶに縦線のしわや溝がある人は、将来、血管の病気(心筋梗塞・狭心症・解離性動脈瘤・脳梗塞・くも膜下出血など)になる可能性が高い。現在、症状がなくても健康診断をするべきである。
【暮らし】
1.四季折々の祭事や催事は積極的に参加する。人生にメリハリができて充実した命が全うできる。
2.他人は自分の鏡である。素敵な人は自分の好きな面であり、嫌な人は自分の嫌いな面である。
【真理】
【参考】
「タルムード」の解説を読むと、ユダヤの神様は人が思考することを善しとする性格を持っています。人が考えもなくワンパターンのことをすることに腹を立てているようです。またユダヤの王様に偉大なソロモン王がいますが、「タルムード」の中でソロモン王はいくつものウィズダムを教えるシーンが出てきます。「ソロモンの秘宝」が話題になることがありますが、その秘宝とは、金銀財宝などの具体的なモノではなく、抽象的な究極の「ウィズダム」を指しているのかも知れません。知識や知恵が究極の財産・秘宝なのです。
キリスト教はこの「タルムード」を否定します。生きている人間の利益を高める具体的な知恵や術は、死後の永遠の世界では無意味です。神の世界では人間の欲する現世の価値など全く無意味と考えます。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
腕時計の魔力
チックタックと時を刻む腕時計には、男として魅かれる何かがあります。
趣味として、とても良い高価な腕時計を収集している人も多い筈です。私は意志を持って腕時計を頻繁に購入しないようにしています。
地元の医師会の会員だった(過去形!)若手の先生は、国立大での優秀な開業医でした。医師会の休日当番などで一緒になることがあった先生です。開業してから直ぐに繁盛して、かなりの収入があったようです。その先生が一緒になった時に、ご自分の腕にしている時計を自慢げに見せるのです。「この時計1個で高級外車が1台購入できる・・・」と。
その後のこの先生の波乱万丈が凄かったのです。妻がメル友と家出をして離婚、ご自分は深夜に酒を飲んで自転車に乗り電柱に衝突し、大学病院に運ばれ長期間入院してしまいました。精神薬をご自分で大量に購入し、次第に言動がおかしくなって行きました。行政の判断で二人のお子さんを育てることができなくなり、お子さんは養護施設にあずけられ、その内の一人が交通事故で亡くなってしまいました。言動が異様のため患者さんもだんだん少なくなり収入も激減し、医師会からも脱退され、ついには行方不明になってしまいました。
もう一人は、私の友人です。手術が上手で人柄がよく仕事がとても繁盛して収入もウナギ登りになりました。たまに学会で会うことがあったのですが、彼の趣味が高価な腕時計の収集でした。毎年のように高価で有名な腕時計を購入しては、私に見せてくれました。当時は大きな腕時計が流行っていました。彼にも突然の不幸がやって来ました。脳内出血で倒れ、二度と帰らぬ人になったのです。
私の数少ない経験ですが、それ以降、高価な腕時計を頻繁に購入しないようにしています。今私が身につけているのは6年前に購入したオメガの腕時計です。つい先日修理に出してメンテナンスしたばかりです。その前の時計は20年前に購入したタグ・ホイヤーのダイバーウオッチで15年ほど使用していました。妻からは「同じ時計をしているのは医師として貧乏くさいから、新しい腕時計を購入しろ」と言われましたが、今回は頑として断りました。複雑でメカニカルな高級腕時計は、自分の人生の時間や運を吸収してしまうような気がしてならないのです。収集した時計の数が増えれば増えるほど、自分の時は浪費され尽きた所でジ・エンドというイメージです。妻からみれば私は訳の分からない人種です。でも、それでいいのです。みんながしあわせになると思えれば・・・満足です。
私が死ぬと分かる直前に、もしも金銭的余裕があるのであれば、フランク・ミューラーの時計かローレックスの金時計を購入したいですね。
実は自動車にも不動産にも、この腕時計と似たようなジンクスがあります。そのうち・・・お話しましょう。
【備考】
先日、患者さんとの話の中で、高級時計を頻繁に購入する人がいるそうです。ところが、その人の考え方が面白く、腕時計は1個しか装着できないから、新しい時計が欲しくなったら、現在の時計を下取りにして新しい時計を購入するそうです。この方法であれば、大事な時計は常に1個ですから、時計の所有者に不利益な魔力がかからないかも知れません。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
守護霊
ずっと以前にある宗教団体について、その教義を詳しく知る機会がありました。
その宗教団体の考え方では、人間には必ず5人の守護霊が存在していて、その人を守っているそうです。そしてその守護霊5人と現在の人間一人の合わせて6人が一つの魂のグループを形成しているとのこと。現在生きている人間が死ぬと、その人は今度は守護霊の立場になり、守護霊の一人が今度は人間として生を受けるというサイクルを繰り返すのだそうです。つまり背後にいる守護霊は、過去にそれぞれ人生を経験しているのです。
その背後の5人の守護霊の個性にによって、現在の人間の人生の性格が色濃く特徴づけられます。例えば、過去にフランスに生れていた守護霊であった場合、現在の人はフランス文化に憧れるようになり、結果、パリに住む人になるとか、外国人でも、日本人以上に日本人らしい外国人がいますが、そのような人の守護霊は過去に江戸時代に生を受けていたかも知れません。
周囲の人を笑わせたり明るくする人の守護霊は、喜劇役者や落語家だったりするのかも知れません。また結婚相手の運気を上げてくれる人の守護霊は、過去にかなりの不幸があり、その反動で運気を上げるようになったのかも知れません。ある人の周囲で、その人を意識してか、あるいは無意識に、迷惑をかけたり無視したり義理を欠いた行為をすると必ず不幸な現象が周囲の人に起きる人がいます。この場合、その人の守護霊は修験者や霊能力者や陰陽師などで、ある意味「たたり神」的守護霊の持ち主の場合があります。実は私が・・・。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
夜の武者行列
鎌倉に一戸建ての中古の住まいを購入した家族がいました。
住んでしばらくしてから、夜になると家の外でガチャガチャガチャガチャと騒々しい音がするようになりました。家人が音の原因を突き止めようと玄関を開けると、外にはたくさんの甲冑武者がいるではありませんか!
玄関を開けておくと、その武者たちはガチャガチャと隊列を組んで家の中に入ってきて、そして、また隊列を組んで整然と出ていきます。武者は面をつけているので顔は分かりませんが、きれいな甲冑姿です。
いろいろなお払いなどをしてもらいましたが、家族全員が見ることのできるこの超常現象が止むことはありませんでした。
鎌倉は、今でこそ風光明美な観光地ですが、その昔は古戦場でした。当時は、ここに紹介した甲冑姿の武者が多くいたことでしょう。当時の武者たちの思念や霊が、鎌倉に浮遊しているのでしょう。そしてその霊の隊列の通り道に、この家があったのです。
霊の通り道が原因だったのかは定かではありませんが、しばらくしてから家の持ち主のご主人が癌で亡くなりました。それをきっかけに、この家を売却して家族は引越ししました。今でも、この家は存在しているらしいとのこと・・・。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
仏教世界とインターネット
大日如来像
インターネットで毎日情報発信をしたり、情報を収集していると、仏教の世界観と合い通じるものがあるように思えてなりません。
真言密教では、世界の中心に大日如来が存在し、常に真言を宇宙に発信しているといいます。
悟りを得た者だけが、この真言を聞くことができるのです。
ところが、悲しいかな私たち凡人(仏教では凡夫)には、この真言は効くことができません。
しかし、私たちにはインターネットとパソコンやi-Phone・i-PADなる端末によって、世界中の出来事や映像、深い知恵を入手することができるのです。お釈迦さまが苦労してやっと得た能力(神通力・千里眼・叡智)を少し手ほどきを受ければ自由自在に操ることができるのです。
お釈迦さまが唱える「縁」という概念も、インターネットのWEBという概念とほぼ同じです。WEBで他人を攻撃すれば、何百倍にもなって帰ってきますし(人を怨まば穴二つ)、WEBで良いことを発信すれば良いことはあっという間に全世界に広がり、また帰ってきます(情けは人の為ならず《自分の為になる》)。
仏教の創始者であるお釈迦様は、悟りを開いた時に現代にワープして、この世界の一部始終を観察して理解してから元の世界に戻って行ったのかも知れません。もしかすると、現実の世界でそうであったように、バーチャルなインターネットの世界においても、時間や空間の次元が異なるだけでお釈迦様やキリスト様が隠れ潜んでいるかも知れません。そしてブログやツイッター・掲示板などに匿名で真理を説いている可能性もあると思うと夢が膨らみます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
写真撮影の条件と結果
今のデジタルカメラは、ほとんどがオートでカメラが状況を把握して撮影してくれます。マニュアル設定で写真撮影する方も少なくなったでしょう。
絞りを開放にしてシャッター速度を速めれば、明るい所ではピントがシャープに合った写真が出来上がります。出来上がった写真は、被写体だけにピントが合っていて、被写体から前後にずれた背景はピントが合わないボケ気味の写真になります。奥行きのある写真撮影や被写体を強調したり、スピード感あふれる表現を希望する場合の設定です。
今度は、絞りを絞るだけ絞って、シャッタースピードを遅く設定して撮影すれば、焦点深度が深い写真が出来上がります。出来上がった写真は、被写体はもちろんのこと、前後の背景全体もシャープにピントが合います。写真としてはフラットな平面的な表現ですが、撮影されたすべてのものにピントが合っています。
人間の能力にも、この撮影方法の違いと表現の違いのような現象が起きます。
学校教育で望まれるのは、IQの高さです。いわゆる知能指数です。パッと見て判断して、即座に反応できる能力です。記名力が優れ、いつでも知識を引き出すことのできる能力です。ある意味、パソコン的な能力でもあります。
この能力は、学校教育の延長線上の世界や競争社会には通用しますが、それ以外の世界には不向きです。
学校教育では望まれない気質、例えば一つのことを考えだしたら他が見えない非効率的な人、数学的な素養はないけれど直感的な能力に長けている人、一つの質問にいくつも答えが浮かんで正解が出せない人など、いろいろあります。こういった人は現代社会ではアウトローですが、新しい発見や発明をするのは、こういった人たちです。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
約束
妻が近所のご婦人(私の患者さんでもある)から耳にしたエピソードです。
彼女の実のお兄さんにまつわる話です。
お兄さんは体を患い、死を覚悟していました。しかし、心残りなことが一つありました。
奥さんには先立たれ一人身だったお兄さんには、15年仲よく連れ添った老犬がいました。自分が入院した後、その老犬のことが気になって気になって仕方がありません。入院する時に親戚に、その老犬を預けました。その時に「俺が逝った時には必ずこの犬を迎えに来るから、それまでよろしく・・・」と言葉を残して入院してしまいました。
大方の予想通り、お兄さんは天に召されました。残された老犬はさぞかし悲しんでいるかと思いきや、元気いっぱいで毎日うるさく吠えています。飯はガツガツ食べます。お兄さん以外になつかない犬でしたから、親戚は大弱りでした。「あの約束はどうなったんだ!」と親戚中が思っていたそうです。
お兄さんの葬儀が終わり、49日に納骨する予定でした。しかし、親戚の都合で急遽35日に納骨することになりました。元気いっぱいに騒いでいた老犬が、納骨の日の朝、ポックリと亡くなっていたそうです。
『お兄さんは約束を果たした・・・』親戚一同皆そう思いました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
宇宙大法則
この宇宙空間、時空間には次の法則があるようです。
【慣性の法則】
宇宙空間でボールを投げると、投げた時の初速でボールは永遠に飛び続けます。もちろん重力の影響や宇宙空間の抵抗がないものとしてです。これは運動物理の慣性の法則です。しかし物理現象以外にもこの法則は成り立ちます。
例えば、物の考え方や感情などです。私が慢性前立腺炎の原因は排尿障害だと信じて6年近く診療しています。これも慣性の法則が成立しています。
自分の環境を不幸だと思っていると、周囲の環境がその思いを持続させるべく、次々に不幸なことが舞い込んで来ます。慣性の法則は自力他力にかかわらず働きます。
【無常の法則】
「諸行無情」と勘違いされる方がいますので改めて明らかにします。実は「諸行無常」です。あらゆる事象は常に変化している、静止しているように見えても、刻々と変化している、ということです。平家物語の「おごれる者久しからず、諸行無常の響きあり・・・」とは、いつまでも隆盛とは限らないということでしょう。
常に変化することがこの世界なのだから、一つのことに固執することは変化する周囲との軋轢を生むことになります。「慣性の法則」と「無常の法則」とのバランスは難しいでしょう。
【陰陽の法則】
山があれば谷があり、登りがあれば下りがあり、朝日があれば夕日があり、日当たりがあれば影があり、運気が上がれば運気が下がります。常に変化するという概念から「諸行無常」と通じるところがあります。
【縁の法則】
空間的にも時間的にも全く無関係な存在であっても、互いに何らかしらのつながりが必ずあるという概念です。
対等な者同士が縁でつながっているとは限りません。人と犬、人と物、人と自然現象という場合もあります。宇宙からの観点では、生物も鉱物も、たとえ空気の流れであっても、さほど大きな差はありません。人間だけが、自分の存在を特別だと思い込んでいるだけです。
【因果応報の法則】
原因があれば必ず結果があるという概念です。上の「縁」の概念がなければ成り立ちません。キリスト教で「求めよ、さらば与えられん!」という言葉があるように、具体的に求めるという「原因」がなければ、与えられるという「結果」は生まれてきません。
【善悪無しの法則】
この宇宙では善悪の判断・区別はありません。陽子も中性子も電子もどれが善でも悪でもありません。ただそこに存在するのみです。善悪の判断・区別は、人間だけが人間の立場によって成り立つ相対的・主観的な概念です。
【過ぎたるは尚及ばざるが如しの法則】
何事も、最大限まで到達すると、最小限に戻ってしまいます。風船を膨らまし続けると、破裂してしまい、膨らませる以前より小さくなります。ある意味「陰陽の法則」に似ています。
必ずしも正反対の現象が起きるとは限りません。善を追求するあまり、良いことだけを行っていると、ついには体を壊し早死にしてしまいます。「あんな良い人が早死にするなんて・・・」的な現象です。
【寄る所に球が寄る、引力の法則】
宇宙には引力・重力が存在するのは物理学の常識です。これは、物理学的現象以外の有形無形の事象に起こる現象です。良い人には良い人が、悪い人には悪い人が集まります。
私が慢性前立腺炎や間質性膀胱炎について研究していると、全国から慢性前立腺炎・間質性膀胱炎で苦しんでいる患者さんが集まるのと似ています。「因果応報」や「縁」にも通じる現象です。
【場の法則】
すべての現象には、その現象が起きるのに必要な「場 Feald」が存在します。時間が存在するためには、空間が必要です。イチローは大リーグという場がなければ存在しないのに等しいのです。50mプールで泳ぐイチローは、野球選手としてのイチローほど眩しくはないでしょう。卓球台がなければピンポンはできません。正確には卓球台がなくてもピンポンはできますが、卓球というルールの場がなければ、ピンポンは成立しません。「場」は有形のものであっても、無形のものであっても構わないのです。インターネットという仮想空間の場がなければ、私の考えはアピールできません。私の存在は医療の場に身を置いている医師であるからこそ、その存在価値があるのでしょう。
自分が輝くことのできる場を見つけることが重要になります。手塚治虫先生は医学の世界では普通の医師だったかも知れませんが、漫画の世界では頂点に達しました。そして「ブラック・ジャック」の愛読者のうち、かなりの数の人間が憧れて外科医になりました。彼の漫画の方が大学の有名教授よりも影響力があったのです。(過去に外科学会でブラックジャックのブースがありました。)
これらの法則を熟知しながら、人生の荒波を突き進んでいかなければならないのです。ちょっとやそっとの小細工ではどうしようもないのが人生です。満足のいく人生を歩むのは結構大変ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
発電機
銅線や鉄線などの伝導体のコイルの中で磁石を動かすと、伝導体の中に電気が発生します。この原理を応用したのが、皆さんご存じの発電所の発電機です。
磁石を永遠に動かし続ければ、電気は永遠に産生されます。電気はポテンシャルを持った電子の集まりの流れです。ポテンシャルの大きさが電圧であり、集まりの多さが電流の大きさとして表現されます。
造られた電気は、工場や家庭に送られ、機械や電化製品により消費されます。ほとんどが熱エネルギーに変換されます。また、発電所で造られた電気は、100%工場や家庭に届く訳ではありません。送電線の電気抵抗などで熱エネルギーとして消費されてしまいます。そのロスは生産される電気量の5%に当たります。
物理学の教科書にエネルギー保存の法則と質量保存の法則が載っています。一つの事象の前後で、エネルギーの総和も質量の総和も同じである、という法則です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
善と悪
「善と悪」という言葉を聞くと、絶対的に存在する価値観だと思ってしまいます。
【映画 天使と悪魔から】
しかし、「善と悪」は相対的な事柄なのです。この宇宙に起きる物理学的なすべての事象には、善も悪も存在しません。小さな星雲が大きな星雲に吸収されても、単なる自然現象であって、善でもなければ悪でもありません。地球に大きな彗星が衝突し地球が消滅したとしても、彗星は悪ではありません。
善・悪の判断は、あくまでも人間の一方的な立場の観点からの相対的な価値観と判断です。また、同じ人間でも主義主張が変われば、善悪も変わります。
ところが、この地球上で善悪の判断ができるのは人間しか存在しません。人間として生まれたからこそ、善悪の判断ができるのです。ですから、人間として生まれたからには、単純に50%確率で「悪」の世界に足を踏み入れるのではなく、100%とは言わないまでも、80%~90%以上の確率で「善」の世界にどっぷりつかりたいものです。それこそ、人間として生まれた価値があるのではないでしょうか。
悪の世界の方が魅力的で少ないエネルギーで到達できます。本能むき出しの煩悩の世界だからです。それに比べ善の世界は、陳腐で維持するには多大なエネルギーが必要です。本能を抑える知性・理性の世界だからです。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
シンクロ
岡山で開催された日本泌尿器科学会に出席しました。今回は慢性前立腺炎の手術方式について発表しました。
4月17日(金)午後羽田を立ち、1泊して18日(土)の午後2時に発表、大阪で1泊して4月19日(日)午後1時の代替医療研究会出席のスケジュールでした。
4月18日午前3時に突然目を覚ましました。さぁ~そうしたら眠れなくなってしまいました。いつでもどこでも眠れる人間の私が眠れないのです。深夜テレビをつけて悶々と朝日が昇るのを待ちました。その間、おなかが変で、下ってしまいました。
学会の発表は心から楽しんでいる筈なのに、緊張して眠れないとも思えません。結局、午前9時に発表のためのポスターを貼り(A4用紙で20枚)、午後2時過ぎに発表です。発表も無事終わり、大阪のホテルに入ったのが午後7時前でした。
私が家をあけると、家族の誰かが病気などの具合が悪くなるというジンクスがあります。ですから出張中は必ず自宅に電話をかけます。
妻の携帯に電話すると、やはり具合が悪かったのです。妻が夜中に急に気持ちが悪くなり、思わず私を呼んだのだといいます。その時間が何と午前3時ごろだというのです。私が突然目を覚ました午前3時だというのです!
妻は、その後気持ちが悪くなる訳でもなく、吐く訳でもなく、下痢する訳でもなく、そのままスヤスヤ寝入ったそうです。東京―岡山間の800km以上の距離を無視した妻と私のシンクロは、午前3時に私を起こし、さらに私に下痢を起こさせ終わったのでした。
妻の念力がすごいのか、それとも妻の呼びかけに対する私のシンクロがすごいのか分かりません。きっと常時接続の太い赤い糸で結ばれているのでしょう。
大阪の道頓堀で串カツ(ソース二度付け禁止で有名なだるま屋さん)で夕食をとりました。新世界コース2200円串カツ15本でおなかいっぱいです。早朝下痢していたのに、全く異常なしです。ハハハハハ・・・。今度大阪に行ったらネギ焼きを食べようと思っています。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
「時間」と「こころ」と「虚数」
私たちが身の回りで容易に確認・認識できるものは、立体的な3次元以下の存在そのものです。
ですから、2次元も1次元の存在も容易に理解・認識できます。紙に書かれたもの・印刷されたものは、2次元の世界の存在です。オシロスコープで確認できる周波数は、1次元の存在です。(実際は0次元の点の連続で、航跡を残して2次元の画像として認識しているので正確な1次元ではありませんが・・・)
空間に置かれた御覧の球体は、何時間経過しても、これでしか表現できません。なぜなら、立体を表現するために空間をX軸・Y軸・Z軸で表現するしか方法がなく、時間を具体的には表現できないからです。
数式で表現してみましょう。3次元のある位置での状態をP3とすれば、P3=aX+bY+cZ と表現できます。
さて、ここで問題解決に登場するのが「虚数」の概念です。
「虚数」は、二乗して(-1)になる数をいいます。ルート(√)のマイナス1、つまり現実には存在しない数です。しかしこの「虚数」の概念が存在しないと、量子物理学もコンピューターも誕生しなかったでしょう。
この現実には存在しない「虚数」という概念を時間軸に利用すると、時間を表記できることが分かったのです。
虚数軸のプラス方向が未来、マイナス方向が過去になります。現実の世界では、時間は未来への一方通行ですが、虚数軸を考えると未来にも過去にも行き来できます。微塵世界の量子物理学では、時間は未来にも過去にも行き来できることになっています。右に行ったり左に行ったりできるように自由自在です。
数式で表しましょう。4次元のある位置の状態をP4とすれば、P4=aX+bY+cZ+diと表現できます。
さて今度は、無機質な球体ではなく、人間をモデルにして考えてみましょう。
この人物が誰だか分かりますか?儒教創始者の中国の孔子です。
先ほどの球体と同じで、いつまで経っても時間の経過は分かりません。孔子先生が微動だにしなければ、3次元空間では時間は止まっているようにしか見えません。
ところが、時間軸を虚数軸として表現すれば、たくさんの孔子先生が時間差でこの空間に存在することになります。
しかし、これだけではこの空間に存在する孔子先生のすべてを表したことにはなりません。孔子先生クラスの人間が全くものを考えずに、ここに立ち尽くしているとは思えないでしょう?
孔子先生は絶えず考えています・・・『四十にして迷わず』『五十にして天命を知る』などなどです。
時間軸を設けた4次元空間でも、この孔子先生の心の流れを表現することはできません。「虚数」の登場で3次元から4次元に飛躍的に説明できるような何かが登場しなければ先に進むことはできません。
ー∞<sinθ<+∞(本来は-1≦sinθ≦+1)になるようなθの値とか、tan90°=1(本来はtan90°=∞)など支離滅裂な公式を利用しなければならないのかも知れません。
こころの世界から見れば、4次元世界は3次元世界ほどではないにしろ、自由に過去から未来へ、あるいは空間の無限の広がりを自由自在に飛び回ることができます。たとえば、時間の流れをエネルギーとして考えてみましょう。エネルギーの法則で有名なのがアインシュタインの相対性理論です。その中で物質はエネルギーに変換できる、つまりE=mc2(2乗)です。mは質量、cは光の速度定数です。すなわち、質量mの物質のエネルギーは、光の速度の2乗をかけた値に等しいというものです。
エネルギーをあらわすのに速度の2乗をかけるのが物理の公式に多く出てきます。その延長線上に、時間のエネルギーをあらわしてみましょう。
時間エネルギーEtとすれば、Et=M(ι)2(2乗)と表せます。
過去の時間エネルギーは、Et=M(-ι)2=M(-1)2(ι)2=M(-1)=-Mです。未来の時間エネルギーは、Et=M(+ι)2=M(ι)2=M(-1)=-Mです。
どうでしょう、過去の時間エネルギーも未来の時間エネルギーもどちらもマイナスになるのです。要するに過去だけを考えても、未来だけを考えてもマイナスの時間エネルギーにしかなりません。つまり過去のことをくよくよ考えているネガティブな考え方の持ち主も、明るい未来のことだけを考えているポジティブ思考の持ち主も、どちらもマイナスの時間エネルギーを生み出すだけです。
時間エネルギーをプラスに持っていくためには、どのようにしたらよいでしょうか?それは過去と未来を同時に考えるようにしたらよいのです。数式で表現すれば次のようになります。
Et=M(-ι)(+ι)=M(-1)(ι)2=M(-1)(-1)=+Mです。(数式には素人の飛躍がありますが目をつぶって下さい。) 人生でも勉強でも過去のことだけを見ていてはダメです。未来のことだけを見ていてもだめなのです。過去と未来をバランスよく思考して初めてプラスのエネルギーに変わるのです。
| 固定リンク
| コメント (7)
| トラックバック (0)
「顔」
クリニックの外来で診療していて、まず拝見するのが患者さんのお顔(表情)です。
「慢性前立腺炎」の男性は、目の周りがくぼんでいるような「うつ病表情」です。「間質性膀胱炎」のご婦人は目が大きく色白で目鼻立ちがハッキリした美人が多いように私は感じています。「インフルエンザ」の患者さんは、顔の表情筋が弛緩して「能面」のようになり、それでいて瞳がうるんでいます。病気に限らず死期が迫っている人は、顔の輪郭が薄く感じられます。ゴルフの上手い方は『前世が犬だったかな?』と思えるほど犬に似た顔をしています。(犬といってもハスキー・シェパード・コリー・ブルドック・柴犬など、いろいろ表情は違いますが・・・)
人間の体の中で、顔のように豊かな表情を演出する部分が他にあるでしょうか?・・・あるのです。つい最近、私も偶然に気が付いたのですが、泌尿器科の排尿障害の病気になると、3D(立体観察)超音波エコー検査で膀胱出口が顔のように豊かな表情を演出してくれるのです。
まずは、【写真1】をご覧下さい。
【写真1】
慢性前立腺炎で来院した30歳の男性患者さんの膀胱出口の所見です。オカッパ頭に大きな鼻の人が口をアングリと開けているように見えませんか?口の部分が膀胱出口です。あごの部分と鼻の部分が膀胱平滑筋の過形成で硬くなっている所です。目に見えてしまう凹みの部分は排尿障害によってできたうっ血拡張した静脈(俗に瘀血:おけつ)部分です。この写真を見せられても正常を知らなければ、異常と思えませんね?
そこで【写真2】をご覧下さい。
【写真2】
何となく丸い形の真ん中に真円に近い穴が開いて見えます。変形した日の丸に見えます。これが正常の男性の膀胱出口周囲の表情です。人の顔には見えません。膀胱という臓器ですから当然と言えば当然です。実は56歳の私の膀胱出口の所見です。ところが排尿障害があって、膀胱出口を中心に周囲が凸凹してくると表情が出現するのです。
【写真3】
これは、18歳の男性患者さんの膀胱出口の所見です。よ~くご覧になって下さい。何に見えますか?人が悲しく嘆いているように見えませんか?
【写真5】
【写真4】のように画像を反転させ、白黒強調画像にすると、何と!ユンクの絵【写真5】です。
【写真6】
膀胱の顔表情は、人間の顔ばかりだけではありません。
【写真6】の膀胱出口は、まるでネコがあくびしているかのように見えます【写真7】。
【写真7】
【写真8】
この方は18歳の男性です。慢性の会陰部痛で勉強が手につかず、今までずっと泌尿器科医に「慢性前立腺炎」と誤診されていた患者さんです。実は「膀胱頚部硬化症」が原因で膀胱出口が硬くなっていたのです。
【写真9】
3D画像で観察すると、イルカが「のん気」に笑っているように見えます【写真9】。でも患者さんは必死に悩んでいます。
【写真10】
この患者さんの3D画像【写真10】は、アニメのドラゴンボールに登場する「牛魔王」【写真11】に似ています。病気の姿が「牛魔王」ですから、人を苦しめる理由になるでしょう。
【写真11】ドラゴンボールの1シーン
【写真12】64歳ご婦人の膀胱出口です。排尿障害のため自己導尿を行っています。
【写真18】ご婦人の膀胱出口周囲の静脈瘤
赤ちゃんが目をつぶっているように見えます。凸凹している部分は排尿障害により拡張した静脈です。
【写真19】黒人の赤ちゃん人形
さて、ここに上げた「顔の表情」として観察できる膀胱出口の所見は、すべて病的な異常所見です。膀胱が自分の辛さを3D画像検査という言葉を介して、私に一生懸命に訴え掛けているかのように思えて仕方がありません。「真言宗」では宇宙の中心に存在する大日如来が、あまねく宇宙全てに「真言」を発し続けているとされています。しかし、残念ながら悟りを開いた人間にしか、この真言を見たり聴いたりすることができません。まるで放送局から番組の電波が空中に流れているのに、ラジオやテレビなどの受信機がなければ鑑賞できないのと似ています。
もちろん私は「悟り」を開いている訳でもありませんし、超能力者でもありません。でも3D画像検査で膀胱出口を観察していると、一瞬、そう一瞬ですが「真言」を垣間見ているように錯覚します。
【補足】
ここに掲載した内容は、NPO法人心身医学臨床研究会のHPに投稿した内容とほぼ同じです。
代替医療にご興味ある方は、心身医学臨床研究会にご連絡下さい。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
夢枕
通院しているある会社の社長さんから直接うかがったお話です。
この社長さんをCさんとします。ある夜、Cさんが眠っていると、実の兄さんが夢の中に出てきて、実家(青森)の階段の下の納戸を一生懸命に捜しものをしているのです。実にリアルな夢でした。その翌日も翌々日も同じ夢を見たので、Cさんは青森の実家の母親と兄さんのお嫁さんに電話して、階段の下の納戸に何かあるから、捜すように頼みました。
実はCさんのお兄さんは、問題の夢を見る前の2週間前に、ポカポカ陽気の昼間に車の運転中、居眠りをして川に転落して溺死したのでした。そのお兄さんが夢に夜な夜な出てくるのです。
実家で家族が捜しても何も見つかりません。お陰で、お兄さんの出てくる夢を1週間見る羽目になりました。Cさんは堪らずに、青森に帰郷し実家の階段下の納戸を徹底的に調べました。すると、資源ごみとして束ねたあった新聞紙の下から帳簿が出て来たのです。お兄さんは自営で新車・中古車の自動車販売を商っていましたから、二重帳簿?を密かに隠していたのです。その後、階段下の納戸の夢は、ピタリと見なくなりました。
しばらくすると、またまたお兄さんがCさんの夢の中に出てきて、「メガネがない」「メガネがない」の連呼の夢を見るようになりました。実家に電話すると、お棺に愛用のメガネを入れ忘れたとのこと。そこでお兄さんのお墓の中にメガネを納めると、メガネの夢を見なくなりました。
Cさんは、また夢を見ました。今度もお兄さんが出てきて「ジャンバーがない」の連呼です。またまた実家に電話すると、お兄さんが所属していた町内会の野球チームで作ったおそろいのジャンバーを、やはりお棺に入れ忘れたとのこと。早速、お墓に納めると、お兄さんの夢は、二度と見なくなりました。
身の回りの品々程度で成仏できない仏さんです。もしも恨み辛みを持ってなくなられた場合の仏さんの執念は、・・・恐くて想像できません。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
丹田・第2のチャクラの位置
丹田(たんでん)・第2のチャクラをご存知ですか?
丹田は古武術の気を溜めて置く場所で、へそ下5cmの場所にあるとされています。気を出す時に、大地や大気から体に取り入れた「気」を一度丹田に納め、その後、丹田の「気」を「エ~イ!」と一気に放出するのが、「気」の出し方です。(唐山流)
第2のチャクラとは、インドのハタヨ-ガの考え方で、脊椎に沿って下から7つのチャクラがあり、「第2のチャクラ」は日本で云う「丹田」に相当する場所です。
泌尿器科医として年間150例以上の内視鏡手術を行なっていると不思議な経験を数多くします。今回、「丹田」・「第2のチャクラ」の位置を正確に特定できたと思われたので、ここで紹介しましょう。
患者さんは現在21歳の男性です。
17歳の頃から残尿感・尿道の痛み・陰嚢のかゆみ・下腹部の不快感がありました。地元の泌尿器科医を受診し「慢性前立腺炎」と診断され、セルニルトン(慢性前立腺炎の治療薬)や桂枝茯苓丸(瘀血(おけつ)を解消する漢方薬)を服用していましたが一向に改善しません。インターネットで当院を見つけ19歳の頃、来院しました。
診察・検査で「膀胱頚部硬化症」という排尿障害が隠れていること分かり、その病気の刺激が、患者さんの症状を作っていると考えられました。
排尿障害改善薬(α-ブロッカー)で、悩みの症状は軽快しましたが、本人が強く内視鏡手術を希望されたので、親御さんの承諾を得て、手術を行ないました。
手術後、残尿感・尿道の痛み・陰嚢のかゆみはすべて消失しました。しかし、「下腹部の不快感」が取れないので、再度の内視鏡手術を希望されました。
「下腹部の不快感」を具体的に患者さんに述べてもらうと、骨盤の前で、へそ下奥の位置だそうです。趣味でロッククライミングを行なっているが、力を入れて登ろうとすると、その位置に直径8cmほどの球体がギューっとつかまれるような感覚があり、力が入らないというのです。・・・それは「丹田」・「第2チャクラ」ではありませんか!
上の写真は、手術直前の膀胱三角部の所見です。前回の手術で膀胱三角部の中央が平坦になっています。膀胱三角部は、膀胱感覚のセンサーが集中します。ですから膀胱頚部硬化症の排尿障害で刺激をまともに被害を受ける場所です。
右の写真は、超音波エコー検査(3D画像)です。上の写真の反対方向(膀胱側)から膀胱出口を観察している光景です。
赤い矢印が、膀胱出口周囲の膀胱平滑筋過形成・線維化している部分です。今回の内視鏡手術はこの硬い部分を処置します。
右の写真は、内視鏡手術直後の膀胱三角部の状態です。TURis-Vで、病変と思われる部分を蒸散・気化させました。2枚上の膀胱三角部の術前写真と比較すると、緊張が取れ、膀胱三角部全体が柔かい印象になりました。
さて、その際に、驚くべきことが起きたのです。
写真の赤いだ円で囲まれた部分を蒸散・気化処置している時に、患者さんの悩まれていた「丹田」を強くつかまえられる感覚が出現したのです。位置的には、膀胱三角部の中央で膀胱出口寄りです。すなわち、全てではないでしょうが、こここそが「丹田・第2チャクラ」の位置なのです!
丹田やチャクラに「気」を練る時には、膀胱三角部から膀胱出口を具体的にイメージして練り上げましょう。
【補足】
処置した時に「丹田」の感覚が再現されたので、そこが「丹田」だというのも素人的で余りにも短絡的です。しかし、少なくとも「丹田・第2チャクラ」と膀胱三角部が強いかかわりを持っていることは事実でしょう。この事実から新たな発見ができると良いと思っています。
手術によってチャクラがすべて消失したとは思えません。なぜなら、だ円で囲まれた部分は、長径1cm短径0.5cmの小さなだ円で、患者さんの訴えるチャクラは直径8cmの球体だからです。
慢性前立腺炎や間質性膀胱炎で苦しまれている患者さんは、このチャクラ(膀胱三角部)の暴走から来るとも理解できます。
チャクラCHAKRAはサンスクリット語で「輪・環」という意味です。つまり平坦な丸です。患者さんの感じているチャクラは球体状の物体感覚です。この違いにも興味があります。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
お花畑
高校生の頃(今から40年前)、母親が夕餉の支度をしている間、弟と二人で「プロレスごっこ」をしていました。
兄としては力で抑えようとしましたが、弟も高校生で体も大きくなり、さすがに力では抑え切れなくなっていました。
次第に息が上がり過呼吸状態になったと思った瞬間、そうその瞬間、・・・
・・・私はお花畑のど真ん中にいました。丘の丘陵線が正面に見え、きれいな花が咲き誇っていました。私はどうやら丘の中腹にいるようです。・・・
心地よい音楽が流れています。とても安らいだ良い気分と思った瞬間、そうその瞬間・・・
・・・プロレスをしていた弟が私の名を呼びます。「どうしたの?冗談でしょう?」・・・私は過呼吸で意識を失っていたのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
空耳
妻がテレビを見ていると、突然2頭の飼い犬が耳を立てて玄関の方を注視しました。
ドアがサーッと開く音がして「ただいまァ」と娘の元気な声とヒールが玄関をカツッと鳴らす音がしました。
妻は「お帰り」と言って2頭の犬と玄関に迎えに出ました。・・・しかし、そこには誰もいません。2頭の犬も「?」です。玄関の外にも内にも、娘の部屋にも娘はいません。
テレビで心霊現象の番組を見ていた妻は、ゾ~~~です。逆に娘が心配になってきました。だいたい娘が帰宅する予定の時間ではありません。ある勉強のために専門スクールへ行っている時間でした。
その恐い現象が起きた2時間後に、娘は本当に元気に帰宅しました。
その30分後に帰宅した私が妻から、このエピソードを聞き、「生霊・いきりょう・いきすだま・しょうりょう」だと思ったのです。娘にインタビューするとスクールの勉強中に、今一乗りが悪く『今日は早く帰りたい・・・』とズーと思っていたそうです。それが妻の「空耳」事件の時間だったのです。人の思いは、時間・空間を無視して、思った場所・思った人に伝わることがあります。それが「生霊 いきりょう」です。悪意に満ちた思いでなければ問題ありません。
「丑の刻参り」は、悪意に満ちた執念が他人を呪う「生霊」の典型です。
源氏物語にも登場し、お能の題材として舞われています。
ただし呪った思いは呪った同じ程度の質量で自分に還るので、「人を恨まば穴二つ」状態になるのを覚悟して臨まなければなりません。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
読字障害
先日、NHK番組の特集で「病の起源 読字障害」という番組を見ました。
字を見てもなかなか理解できない、意味不明の記号にしか見えないという感覚の病気です。欧米人の10%、日本人の5%に程度の差こそあれ、この障害を持つ方が存在するそうです。
歴史的に有名な人が、この障害を持っていたとされています。
CNN創業者テッド・ターナー、自動車王ヘンリー・フォード、ウォルト・ィズニー、アメリカ初代大統領ワシントン、マトリックスのキアヌ・リーブス、大脱走のスティーブ・マックイーン、ゴッドファーザーのマーロン・ブランド、ミッションインポッシブルのトム・クルーズ、黒柳徹子さん、ジョン・レノン、ベートーベン、モーツアルト、モハメッド・アリ、ベーブ・ルース、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、岡本太郎、ピカソ、稀有の建築家アントニオ・ガウディ、物理学者でボーア、ファラディなどなどきりがありません。
この話を妻と話していたら、私たちが何気なく書いたものを黙読しているが、この能力は明治になってから外国から輸入された文化だそうです。それまでの日本、江戸時代の文盲率は低かったのですが、一般庶民は字を読む時に必ず声を出して音読しないと読めなかったそうです。声を出さない、いわゆる黙読はインテリの階級しかできない能力だったそうです。
時代劇で、御触書きを誰か一人が大きな声を上げて読み上げているシーンを『字を読める者がみんなのために読み上げていた』と思っていましたがそうではなったのです。そうでもしないと、その場にいる全員が口々に大声を出して読み上げることになり、混乱するからなのです。
また同じく時代劇の中で、武家の子弟が書架の前で正座をし声高々に「子のたまわく・・・」というシーンは、『大袈裟な』と思っていましたが、事実、当時の子どもだからこそ声を出さないと読めなかったのです。
現代人が当たり前に行なっている「黙読」は、日本人が西洋から輸入した「黙読」文化であり、明治の教育によって訓練されて得た能力だったのです。現代人の歩き方も西洋から輸入した文化です。右足が前に出るときには左手が前に出るという歩き方です。この歩き方は軍隊行進の歩き方です。富国強兵を推し進めていた明治政府が国民全員を兵士にしようとしたのでしょう。日本人本来の歩き方は手を振らない歩き方です。
NHK番組の受け売りですが、「字」を読むためには、目から得た字の図形情報を大脳後頭葉で受け、その図形情報を音情報に変換して、音として読んでいるのです。つまり「字」という記号・図形情報を頭の中で音として聴いているのです。
読字障害は、この一連の流れの中で図形情報→音情報変換システムの障害に他なりません。
この病態生理が真実であれば、私たちは文字を読んでも視覚で直接理解している訳ではなく、間接的に音で理解していることになります。「黙読」をスムーズに運営させるためには、図形情報→音情報変換システムをフル稼働させなければならないことになり、脳神経のエネルギー浪費になるでしょう。それから考えると、「音読」は、図形情報→音情報変換システムに100%依存しなくなるので(文字を見て読んでいる以上、ゼロとは思えません)、脳神経のエネルギー消費が少なく、理解が直接的で速まり、その分、記憶力強化につながるのかも知れません。
速読法という読書法があります。1冊の本を1分ほどで読み理解するという方法です。読書量や情報量が増え、現代社会の一部のエリートたちには歓迎されている技・超能力です。この読書法は、図形情報→音情報変換システムを経由せずに、視覚情報を直接理解する訓練の結果なのでしょう。IQの高い人たちには効率的で適した方法でしょう。でも高校生の頃、音読で試験を乗り切った非効率的な私の頭には苦手な方法です。流通業界の識別認識システムのコンピューターのようで好きになれません。
過去の読字障害でありながらも名を馳せた人たちを見ると、IQの高さと社会で受け入れられる才能(EQとします)の高さとは別物であることが分かります。IQもEQも高い人、IQだけが高い人、EQだけが高い人、IQもEQも程ほどの人、どちらもない人、中間タイプの人、おそらく人間は脳の活動からみれば、この5タイプでしょう。あなたはどのタイプですか?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
過ぎたるはなお及ばざる如し
孔子の言葉を集めた「論語」の中に「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という名言があります。
何事も行き過ぎは禁物、適当にしているのと同じ事で、どちらも「中庸」の精神からは外れた愚行という意味です。偉大な人の「言葉」には、後世様々な解釈がつけられます。孔子の意図したこととは異なるかも知れませんが、現代風に解釈すると、「何事も程ほどに」の意味でしょう。
「中庸ちゅうよう」とは極端に片寄らない、それでいて中間でもない、臨機応変な揺れ動く様を意味します。様々な事象にこだわりを持ってもいかず、それでいて「中庸」を心掛け過ぎてもダメなのです。逆らう訳でもなく、流される訳でもなく、それでいて己の確固たる意志を常に持っている状態・・・凡人にはできません。
日本人が4人ノーベル賞を受賞することになりました。その中で素粒子理論についての功績で物理学賞が3人もです。
この宇宙誕生の頃、宇宙には素粒子と反素粒子が同数存在していたそうです。しかし、何かの理由で反素粒子は全て消滅し、現在では素粒子しか残っていません。
宇宙におけるこの事実は、「過ぎたるは・・・」の序章だとしたら、この先この宇宙には、どのような試練が待っているのでしょう?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
こころとは?魂とは?
開業医のひとり言のブログで「ハードとソフト」というテーマで自説を述べました。
また、慢性前立腺炎のブログで「入力と出力」というテーマで病気の本質を探究しようと、やはり自説を述べました。
これらを書いているうちに、人間のからだに起こる無形の何か、病気が病気として発現できるための「何か」や子どもが健全な発育を維持できるための「何か」は、脳や脊髄の媒体そのものである神経細胞が形成する複雑な神経回路、すなわち「プログラム・ソフト」ではないか?と強く思うようになりました。そしてその「何か」が、「こころ」・「魂」に似ているように思えてなりません。
もちろん「こころ・魂」が一つのプログラム・ソフトである訳もありません。神経細胞がプログラム言語となり複雑なプログラム(神経回路)を形成します。そしてその一つの複雑なプログラムが、また一つの大きなプログラム言語となり、そのプログラム言語で構成された複雑な巨大なプログラムが形成され・・・次々に幾重にもプログラム階層が作られて、とても大きなプログラムの塊りになります。この大きなプログラムが起動すると、「こころ・魂」という無形の形になるのでしょう。
今、私が操作しているこのパソコンも、私には理解できないほどの、プログラム言語の集合体であるプログラム・ソフトで動いています。単なる記号の組合せが、キーボードの連打で堅固な意味のある行動をとるのです。そして有形のものを作り上げます。無形から有形に、まるで奇跡です。こころ模様から行動にです。頭の中で思い描いた建物を設計図に仕立て、資金を集め建設会社に注文すれば、思い描いたこころの中の絵が、現実の高層ビルになるのです。
もしも「こころ・魂」が神経細胞の巨大なプログラム・ソフトであるならば、立体的な神経回路を2次元の図面におこし表現することは、今は無理でしょうが、遠い未来には可能でしょう。するとその描かれた神経回路図は「こころ・魂」そのものを図として絵として具現化されたことになります。その全体像を遠くから眺めることができたなら、きっと意味のある絵として見ることができるかも知れません。単なる神経回路図ではなく、意味のある図・絵として認識できてしまった時・・・恐ろしい秘密をまた覗いてしまうのかも知れません。そう、知らなくても良い秘密を・・・
人間の脳・脊髄を合わせた神経細胞の数は有限です。有限ですが、50億個とも60億個ともいわれるほど膨大な数です。20歳を過ぎてから脳細胞が1日に10万個死滅すると云われていますから、単純計算で155年(20+135)維持できることになります。人生が50年であれば全く問題はありませんが、今や日本は80年90年の時代です。50%近くの神経細胞は死滅しています。
もしも「こころ・魂」が有限の神経細胞で作られたプログラムソフトであるならば、寿命に近づくにしたがい、こころのプログラムは壊れるに相違ありません。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
友人の死
私の友人の山川和夫先生が亡くなりました。
救急病院の勤務医時代に、内科に関することを教えてくれた東大出身の内科医です。現在の臓器移植ネットワークの基礎を作った人です。当時、腎臓移植の延長線上にあった臓器移植の主導権をとろうと、既得権のある総合病院・有名病院・大学病院の魑魅魍魎の医師たちの争いの中で、まったくしがらみのないネットワークとセンターを作り上げました。当然、臓器移植ネットワークの初代総裁になるべき人物だったのに、完成されたの確認してからゴタゴタの責任を全て持って、在野(SONY健康管理部)に降りた人でした。「もったいない!」と私は思いましたが、正義を貫いた人でした。人脈も豊富で博識で尊敬できる医師でした。一流をとても愛した人でした。
武蔵高校を卒業、慶応大学医学部を現役で合格し、お父上の親戚が皆東大出身だったので、お母様のために翌年東大の理Ⅱに入り、教養課程で最高の平均点を上げ、理Ⅲ(医学部)に転部した脅威の頭脳の持ち主でした。
私の医師としての考え方、物事の曖昧さを排除し、事象をクリアカットに定義し、分からない部分は不明と定義するそんな考え方を教わりました。ですから患者さんにもクリアカットに説明できるようになりました。医師が曖昧に説明すると、混乱し困るのは患者さんだからです。
泌尿器科医の苦手とする超音波検査を私が得意となったのも、彼の1回のアドバイスで受けた一言(真髄)のお陰です。
お父上も東大出身で順天堂大学の有名な内科教授で、教授の任期中に心臓で亡くなられていました。
彼も18日の朝、自宅において急性心不全で亡くなられたそうです。
17日の夕方から私は体調を崩し、風邪気味?でした。その日は午後8時に就寝しました。翌18日の朝、午前中から手足が何となく自分のものではないような感覚があります。
翌19日には、身体の右半分がしびれています。力が出ないわけではありませんが、頭の先から足のつま先まで、正座をしてしびれた足のようです。本日20日になって、しびれは軽減してきました。大分治ったと思って、新聞を開いたら死亡欄に友人の記事です。
今回の私の症状は、風邪ウィルスによる脊髄神経根の炎症が原因でしょう。風邪症状の翌日から発症で全身の右側半身だけというのが、脳梗塞でもなければ、ギラン・バレー症候群でもありません。こんな風邪症状の患者さんを、医師になってこの29年臨床現場で経験したこともありません。友人が旅立つ前に、私にチョッといたずらし、勉強させてくれたのかも知れません。
お通夜に行きました。大勢の参列者がいました。彼の叔母さんで同時に私の患者さんでもある方と会釈をしました。参列者に話しを聞くと、彼は5月に不整脈で入院精査していたそうです。6月には仕事場に出ていたそうです。突然の死です。
私の右手は90%近く回復し、自分の氏名をいつもと同じに記帳することができました。私と違って、例えいたずらでも、やることにそつがない先生でした。味方にすると頼りがいがあり、敵にすると恐いタイプの友人でした。
彼のご冥福を、合唱。
【追記】
あれから2年が経ちました。
平成22年6月6日(日)神谷町近くのお寺で三回忌法要があり参列しました。その後、ホテルオークラで「偲ぶ会」がありました。
生前の山川先生のお人柄や業績をみんなで歓談し、とても和やかな会でした。奥様をはじめ三人のお子様も立派に成長され、山川先生もきっと安心されていることでしょう。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
時間の存在
最近、「時間はどこで生まれるか」(橋本淳一郎著 集英社新書)を読み面白かったの感想を述べます。
本によると、ニュートン物理学の世界観では、絶対的空間と絶対的時間が存在していました。我々人間が五感で容易に認識できる世界観です。
ところが時代が変わり、アインシュタインの相対性物理学の世界観では、時間と空間は密接に関係しており、相互に変動する可能性があることが分かりました。空間そのものもエネルギーに変換しうるというのです。でもこの現象は五感を持った人間にはとても理解しにくい現実です。
さらに量子物理学のミクロの世界では、時間も空間もエネルギーも存在しないというのです。我々凡人には到底理解できない現実です。
時間という概念は、マクロ世界の人間も含めた生命が認識する概念なのです。生命が存在しなければ「時間」という概念は存在しないのです。宇宙はただそこに存在するだけのものなのに、生命が存在することで、宇宙に時間というものが生じたことになります。
生命が時間を認識するためには、変化を認識しなければなりません。その変化の認識によって、生命は「好し」と評価し、自分が生きていると自覚し喜びの状態になるのでしょう。
すると、変化がないときには、生命は「不快」と感じるのでしょうか?その事こそが「病気」の原因かも知れません。
例を具体的に挙げましょう。
排尿のサイクルは右のイラストの如くです。蓄尿・排尿・リセットの各相が存在してます。毎日の排尿回数を5回~6回とするのならば、蓄尿時間は7千秒~1万秒、排尿時間は30秒前後、リセット時間は10秒前後でしょう。
脊髄や脳はこのリズムを心地よく感じていて、それを正常な排尿と認識するのです。このリズム、すなわち秩序ある時間の流れの繰り返しこそが、生命の好物なのでしょう。
ところが、何らかの原因で排尿障害があると、このリズムは狂います。生命にとっては不愉快極まりない状態です。
排尿障害で膀胱頚部が振動し、そのため感覚器である膀胱三角部が硬化すると、蓄尿相に膀胱三角部が十分に伸展しない、排尿時に膀胱三角部が漏斗状に変身しない、排尿直後に膀胱三角部がリセットしないと、本来の排尿サイクルのタイミングを失います。すると秩序あるリズムでなくなるので、脊髄も脳も不愉快になり、正常なリズムを捜そうと脊髄内の神経回路が発達し、増幅回路になり頻尿や関連痛の温床になるのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
願い
「ザ・シークレット」で宇宙の法則を説明しましたが、ここではもう少し具体的なテクニックについて説明しましょう。ほとんどの内容が本からの受け売りなので、そのおつもりで・・・。
ご自分で望んだ未来にしかならないという法則なのですが、望む姿が具体的な状態でなければ、具現化しないのです。一部の人間を除いて、世界中の人間がおそらくは大金持ちになりたいと思っているでしょう。その場合、ただただお金持ちになりたいでは、お金持ちにはならないのです。まれに、宝くじが当って億万長者になったとしても、それで終わりです。その後お金持ちの状態は長続きしなくなり、結局は破滅のパターンがやってきます。
では、どのようにして思えばよいのでしょうか。
例えば、私の場合であれば、高校を卒業してから浪人を経験して何とか医科大学に入学でき留年もせずに6年間で無事に大学を卒業しました。卒業した年の国家試験に合格して晴れて医師になり、そのまま研修医として大学病院で修行しました。その都度その都度、見上げると目標があり、何とかクリアして、現在は泌尿器科専門医・外科認定医・消化器外科認定医・スポーツドクターです。
現在の自分の仕事を可能な限り努力することで、名医と呼ばれるようになるかも知れません。さらに神の手(ゴッド・ハンド)と呼ばれるようになるかも知れません。研究研鑽しているうちに、新しい発見や発明をするかも知れません。それを評価されノーベル賞を受賞するかも知れません。そして偉人として伝説の域に到達するのです・・・。
・・・以上のことは夢物語ですが、このように極めて具体的に想念して願うのです。この具体的な思いの中には、「お金」という概念は出てきません。「お金」は、あくまでも社会を生きていく上での手段であって、目標にはならないのです。人間は「お金」にはなれません。当たり前のことです。自分が成れる具体的なイメージに付随する存在が「お金」なのです。
こんな私ですが、開業してから18年を経過し、税務署に2回も入られ、見解の相違?という理由でかなりの「お金」を追徴されました・・・。それでも何とか支払って、こうして生きている訳ですから「お金」は付随するのでしょう。
現在の私は、富士山で例えれば五合目までも到達していません。田子の浦港から上陸して富士市を経由して、まだ麓の富士宮を少し上がった地点です。願いの大きさに躊躇することもしばしばです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
お妾(めかけ)さん
風邪で来院した患者さんが体験したお話です。
今から15年前、彼が独身だった頃の2月、そう今頃です。6畳の部屋で一人で寝ていると、深夜に突然寝苦しくなり、急にかけ布団ごと誰かにガバっと上半身が起こされました。
すると目の前に40歳代の女性の姿がありました。恐くて仕方がありません。この日を境に、この現象が1ヶ月も続き、屈強な彼もさすがに精神的にまいってしまいました。
家族に相談して、そっちの方のスペシャリストを呼んでもらいました。その方の支持で部屋をいろいろ捜してみると、仏壇の奥に小さな木魚があり、さらにその奥に亡くなった祖父のアルバムを見つけたのでした。心霊写真と思しき写真が何枚かありました。もちろん、まともな写真があり・・・その中に・・・祖父のお妾さんの写真があったのです。その顔・姿が深夜に突然に現れるご婦人その人だったのです。【お妾さんの浮世絵】
そのお妾さんはすでに亡くなっていますが、彼女の命日が話しをしている患者さんの誕生日と同じだという偶然が重なり、さらにその年が亡くなって50年、50回忌の年だったのです。
そこで成仏してもらおうと、スペシャリストの方に祈祷をしてもらうことになりました。角部屋で三方が窓になっている部屋です。部屋を閉めきり部屋の真ん中に線香を一本立てました。読経しながら線香に火をつけました。線香の煙が初めの内は一本線になってゆっくり立ち昇っていました。しかし次第に「ボッボッ」とあってはならないリズムを取りながらお線香が燃え始め、アッと言う間にその線香は燃え尽きてしまいました。
スペシャリストの方が「窓を開けてこの部屋の魂を解放しましょう!」と言って、一斉にすべての窓を開放しました。窓を背にして座っていた患者さんは、突然ガクッとなって気持ちが悪くなりゲーゲー吐き始めました。
スペシャリストの方が、「窓を背にして座り、魂の通り道を邪魔したので・・・」と言って霊的な処置を施してくれ、事なきを得ました。
その後、深夜のこの怪奇現象は起こらなくなりました。患者さんの診察の時間よりも、このお話を聞いていた時間の方が長かった・・・ある日の暇な診察室での出来事でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
工事の人は何処へ?
先日、自宅の電話回線をデジタルに変更しました。
そのため、東京ガスから連絡が入り、メーターと電話との接続をアナログからデジタル交換機に変える必要があるとのこと。そして、昨日、クリニックの私の方に東京ガスの下請けの工事会社の人から午前の診療中に電話が入り、「今日の10時に工事に参ります。」という内容でした。「工事に立ち会うのは妻だから、自宅に電話して欲しい」と伝えました。
午後の休み時間に、妻に工事のことを聞いたら「?」と、電話連絡は来ていないとのこと。また午前10時の工事にも誰も来ていなかったのでした。急遽工事中止の理由が不明でした。
午後の診療中に妻から、工事会社から連絡が入り、今日工事に来る予定のスタッフが朝から行方不明だ!というのです。午後予定の工事現場にも姿を現さずに、午後の予定現場から連絡が入り、私の自宅に訪問したかの確認の連絡だったそうです。自宅を出ているのは確かなのだが、本人の携帯電話にもつながらず工事会社はてんやわんやの大騒ぎをしているらしいとのこと。
本日、工事会社から連絡が入り、別のスタッフを派遣してあらためて工事を行なうとこと。問題のスタッフは未だ発見できず、家族も捜索願を出したそうです。
どうしたんだろう?理由が分からない!私の電話の対応がまずかったのかい?結末を知りたい!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ザ・シークレット
書店に「ザ・シークレット:秘密」という題名の本が山積みになっています。そして、その関連書がいくつも平積みになっています。例えば「引き寄せの法則」、「マスター・キー」などです。
この宇宙には、究極の「因果律」が存在し、自分の周囲で起きる現象や人生のエピソードは、良いにつけ悪いにつけ、すべて自分の思考の結果だというのです。
「悪いこと」を思考すれば「悪いこと」が起き、「好いこと」を思考すれば「好いこと」が起きるというのです。
宗教の中の逸話などにそのことが見え隠れします。「求めよ!さらば与えられん!」「汝の敵を愛せよ!(敵を愛せるように努力すれば、いつしか味方になる)」「情けは人のためならず(回りまわっていつしか自分が困窮した時に、自分が助かる)」「人を恨まば穴二つ(恨んだ相手が死ぬかもしれないが、自分も死ぬような目に遭う)」「我思う故に我在り コギト・エルゴ・スムス(チョッと違うか?)」などなどです。
このブログをお読みの方も、幾つか経験したことがあるでしょう。願っていたら思いがけずに実現したことなど。
そのような現象を「たまたま」と思わないで、「法則」として積極的に取り入れようというのです。
私事ですが、高校2年生のクラス分けの時に、1年生のエリートクラスから普通クラスに落とされました。勉強不足もあったのですが、さすがに悔しい思いをしました。一度、思いっ切り勉強してやろうと1学期の中間試験を一生懸命勉強しました。普通クラスの生徒なのに・・・、一番をとりたい、その一心で・・・。テストの結果、何と学年で一番の成績を取ったのです。人生の中で一番を取ったのは、これが最初で最後でしたが・・・。2年生のクラス分けをした先生たちは大慌てです。勉強のできるエリートクラスからではなく、普通クラスの生徒が一番の成績を取ったのですから・・・。『思いはかなうものだ!』と実感したのでした。そして、その学年の年間最優秀成績の生徒として表彰されたのです。(その後は下る一方でしたが・・・医学部に入学するのに2年浪人しました・・・_l ̄l○)
思わず自分の過去を吐露してしまいました。さてさて、話を本題に戻しましょう。
宇宙に存在する無尽蔵のエネルギーが、有形・無形のあらゆる具体的な存在の形となって、思考した通りに目の前に実現するというのです。(超科学ですが、理論的にはエネルギーは物質に変換可能)
この法則で注意しなければならないことは、因果律そのものは人間のように善悪の判断をしないということです。また、細かい所まで思考の内容を反映しないのです。思考した最重要項目、全体像のみを反映するらしいのです。そして思考した概念と同じ性質のものを創り出すのです。ですから思考するサイドは注意を要します。
私の領域で例えを上げれば、病気になった患者さんは、『病気から逃れよう』、『早く病気が治って欲しい』と病気のことしか思考しなくなります。この患者さんの思考で何が最重要事項かというと「病気」そのものです。ですから宇宙の因果律で、「病気」のことをなお一層思考できるように、病気がだんだん治りにくく、あるいは再発するというのです。
では、宇宙の因果律を利用して、今現在の病気の苦しみから逃れるにはどうしたらよいのでしょう。
方法は単純です。思考の中心の重要事項を「病気」でないもの、すなわち「健康」なるものを置けば良いのです。
上の文面は、病気の人が宇宙の因果律を利用して、現在の状態から脱出するためのおまじない(呪文)です。「この宇宙」を「神様」でも「御仏」と置き換えても構いません。ご自分で文面を工夫・アレンジして下さい。
就寝前と寝起きに頭の中で唱えるか、実際に口に出して唱えるとよいでしょう。
地球上で意味のある言葉が発せることのできるのは人間だけです。人間は言葉に乗せて思考を確実なものにすることができます。ですから、バカバカしいと思われる呪文であっても、真面目に取り組んで損はしないでしょう。希代の陰陽師、安倍清明が真剣になって呪を唱えていたのです。荒唐無稽とあからさまに否定はできないでしょう。現在の科学だって400年後には陳腐なものになるでしょう。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
匠(たくみ)
私も今年で56歳になります。
幼稚園の園児から始まって大学卒業するまで、同学年の同級生だけで1300人以上にはなるでしょう。もちろん会話した人も見たことがある程度の人も含めてです。
開業医として18年診療し、2万を超える患者さんのカルテがありますから、2万人も診察・診療したことになります。勤務医の時代が大学8年、救急医3年の11年ですから、1万人以上は診察・診療にかかわっていたでしょう。医師との交流もあり、総勢3万3千人くらいは何らかの形で接触しています。
このように多くの人と接していると、さまざまな人の才能の形が何となくおぼろげに見えて来るものです。私が「凡才」だっただけに、才能豊かな人に憧れることもありました。勉強に関していえば、どうしてパパッと理解できないのか?一瞬にして解答が出せないのか?計算ミスをいつもするのか?授業中に自信を持って手を上げることができないのか?・・・。
上のイラストは私が考えた「才能」のイメージです。
人の才能を植物に見立てています。人が「認識できる世界」をはさんで上に「無限の神の宝庫」があり、下に「有限の人智の宝庫」が横たわっています。
私たち一般人は、「凡才」ですから「有限の人智の宝庫」から芽を出した植物のような存在でしょう。
「秀才」と称される人たち(東大・京大やハーバードに入学できるような人)は、「有限の人智の宝庫」にシッカリ根をはり、十分栄養を吸収して育つ樹木のようです。
「天才」あるいは「天賦の才」と称される人たちは、「無限の神の叡智・宝庫」から栄養を供給されて育つ植物のようです。このような人は本人が意識しなくても物事を認識・理解・行動ができるのです。少年で大学へ飛び級するような子供たちです。
我々「凡才」には可能性がない訳ではありません。コツコツと目標に向かって積み重ねれば、「努力の才」が花開くこともあります。
しかし、天才や神童とマスコミなどで持てはやされた子供たちが、10年経っても20年経っても、一向に表舞台に出て来ません。
たまにマスコミに出て来たとしても、「あの人は今・・・」的な番組で、普通の人、我々と同じ「凡才」になっているのを発見します。本人の立場であれば、悲しい環境でしょう。
これを理解するため右上に図示しました。
急に育てられたりこねくり回されると、根や幹が十分に育たないうちに果実が大きくなり、ついには落ちてしまいます。「天才」は「凡才」の領域に下ってしまうのです。
「天才」の人が、ジックリと育てられれば、安定した存在になるのです。根も幹も太くなり、その果実はたわわに大きく立派になります。例えれば、アインシュタインがそうです。彼が子供の頃、教師に何でもかんでも質問をする「変な子」として周囲から見られていました。周囲がチヤホヤどころか白い眼で見ていたのでした。そのことが彼には逆にラッキーだったのです。日本では「米米クラブ」のカールスモーキー石井さんがそうです。彼は子供の頃、花を見てはメロディーが、また風が吹けばメロディーが頭に浮かび口ずさんでいたそうです。周囲からやはり「変な子」として見られたそうです。
これと同じ現象が「秀才」にも起きます。
「秀才」が、コツコツと研鑽すれば、茎は幹となり大きく成長します。すると、「神の宝庫」から援助の芽が出てきて補強しようとします。「神の宝庫」からの援助の芽は短いので、十分な高さがないと援助されません。
ところが、研鑽を怠り、ただ己の欲望のままに果実を大きくしていくと、背が低いままで不安定な樹木になります。すると、「神の宝庫」の裏に潜んでいた「闇」から援助の長い手が伸び、果実を補強します。と同時に根が腐り果実は熟してしまいます。
私たち「凡才」にも成長の可能性があります。
コツコツと「努力」の人に成りきるのです。目標を決めても構いませんし、決めなくても結構です。がむしゃらに一心不乱にただひたすらコツコツと己の信じた道を進むのです。
すると、細い茎と根が次第に太く大きな幹となり、背の高い樹木に変身していきます。さらに成長すると「神の宝庫」から芽が出て援助の手を差し伸べてくれます。補強された時点で、「神の宝庫」からも十分な養分が供給されるので、「匠たくみ」の域に達します。
成長の段階で、バランスの悪い大きな果実を持つと、「闇」から援助の手が伸びてくることに気をつけて下さい。果実が直ぐに熟してしまいます。
「天才」や「秀才」と呼ばれる人が「匠」の人になったとは聞いたことがありません。「凡才」の人しか、まず「匠」になれないのです。
仏教の世界では、この世の人しか「仏」になれないのです。この世の人が修行して初めて「仏」という存在になるのです。仏教では、よい行いをすると天国に生まれ変わりますが、天国人は「仏」にはなれないのです。天国人が「仏」になるためには、一度人間に生まれ変わらなければなりません。
「仏教」のこの世界観と、「凡才」だけが「匠」の域に入れるというのは似ていませんか?
【注意】
このイメージは私の妄想ですから、左から右へ受け流して下さい。
特定の宗教を補佐するものでもありません。念のため。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
お金と引き換えに・・・
大田区の三医師会(大森医師会・蒲田医師会・田園調布医師会)の新年会が、ホテルで開催されたので出席してきました。
帰宅のタクシーの中で耳にした話が驚くべきものだったので、ご紹介します。
乗車したタクシーの運転手さんは60歳過ぎの方でした。かれこれ20年間タクシー業務に就いているそうです。その20年間に勤務した大手も含めた幾つかのタクシー会社で、飲食を共にしたり仲良く会話した仲間の内、50人!が亡くなっているのだそうです。
タクシー会社の運転手の中には、会話したこともない人はたくさんいますが、身近にいた運転手さんだけで50人も病気で亡くなっているそうです。その50人は、いずれも若い頃、会社の中でトップクラスの稼いでいた運転手さんだったそうです。会話をしたこともない運転手さんも含めれば、信じられないくらい多いでしょうと・・・。
最近では、飲み仲間の運転手さんが、2年前頃に酒の席で「体の調子が悪い」と言っていたそうです。話の運転手さんが「仕事を辞めたら?」と忠告すると、「年金がもらえる65歳まで頑張る」と答えたそうです。結局、年金がもらえる前の64歳で亡くなったそうです。「馬鹿野郎が・・・」と淋しそうにつぶやいていました。
その運転手さん曰く、
「長生きするためには、稼げるからといって無理をしたらダメなのですよ。」
「今日はこれで仕事は上げます。」
・・・私も仕事はほどほどにしたいです・・・。
【補足】
高血圧で通院中の患者さんでタクシー運転手さんがいます。
先の話を尋ねた所、患者さんの会社でも昨年の一年間に5人が病気で亡くなっているそうです。中には高速道路を運転中に心筋梗塞の発作で運転を誤り壁に接触したそうです。幸いにお客さんは乗っていなかったのですが、運転手さんはそのまま息を引き取ったそうです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
謎の死
年末に地元に驚くニュースが流れました。
時々、関節痛で訪れる近所の40歳代の男性患者さんが、亡くなられたのです。子煩悩で近所でも、とても評判のよい人でした。二人の子供を連れて、三人で自転車で仲良く走り回っている姿を近所でよく目にしまました。
発見されたのが12月18日です。
12月15日の朝刊が枕元にあったので、16日の朝には他界されたと思われ、死後2日間経過し発見されたことになります。
奥さんと二人のお子さんは、たまたま実家に帰郷しており、家族は留守でした。ただペットの犬だけは彼の足元にぐったりとうずくまっていたそうです。
発見したのは彼のお母さんです。息子と連絡が取れないので気になり来訪したのでした。お母さんは気丈にも直ぐに窓を開け、犬に水と餌を与えました。犬は脇目もふらず必死になって水を飲み餌を食べたそうです。
すぐさま警察が来ました。来た警察官は地元の学校の同級生だったので、号泣したそうです。
このニュースを聞いてから後日談がありました。この男性は、実はDV亭主、つまりは暴力亭主だったのです。世間体には、一見優しい子煩悩の父親を演じていましたが、二人の子供は父親が怖くて、父親の後を自転車で付いて回っていただけでした。奥さんは離婚を決意し、実家に帰省した際の事件だったのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
薄い影#2
午前の早い時間帯の診療中、50台の男性が、「昨日から風邪のようだ」と言って、診察室に入ってきました。
『!』・・・愛想の良い笑顔の患者さんですが・・・その笑顔が白いのです。・・・私の見え方でいえば、「影が薄い」のです。
風邪の症状をお聞きすると、体がだるく胸が少し痛いとのこと。風邪のウィルスで胸肋関節(胸骨と肋骨の関節)の軟骨が炎症を起こすと痛みます。痛みのある部分を押しましたが患者さんは痛がりません。通常、胸肋関節炎は自発痛と圧痛があるので容易に判断できますが、この患者さんには認められません。
しかし、お顔を見ると・・・「影が薄い」のです。・・・胸の痛みなので、心電図を取りました。すると、見たこともない心電図の所見です。典型的な心筋梗塞であれば、容易に診断できますが、心筋梗塞の心電図所見でも狭心症の心電図所見でもないのです。
地元の医師会に、循環器の専門医がいるので、その先生を紹介し、すぐに行ってもらいました。
診察室を出るときに患者さんは、「大丈夫ですよね?」とニコニコしながら私に尋ねました。さすがに「影が薄い」とは言えずに、「風邪のウィルスで心内膜炎や心嚢炎になることがあるので、専門医に診ていただきましょう。」と告げました。
午後の診療中に紹介先の循環器の先生から電話連絡がありました。その先生も診察した時点で急を要すると判断し、近くの赤十字病院へ紹介しました。即刻入院、ICU(集中治療室)で治療を受けているそうです。
月曜日に循環器の先生から連絡がありました。患者さんが風邪で来院したのは、木曜日です。当日に赤十字病院に入院しましたが心臓の働きが次第に悪くなり、土曜日に急遽、最新高度医療病院に転送になり、緊急バルーンパンピング(機能不全に陥った心臓を助けるために、心臓・大動脈に特殊な装置を挿入し心臓を補助する)をしましたが、残念ながら日曜日に亡くなられました。診断は「劇症型心筋炎」だそうです。何らかの原因(風邪のウィルス?)で、心臓の筋肉が炎症を起こし、炎症を起こした心筋は死にます。心臓全体の筋肉が炎症を起こした時点で、心臓が停止するというものです。(日本心臓財団HPを参照)
私が感じている「薄い影」は、近い将来から半年後の将来の間の生命の危機を暗示します。絶対的な運命ではなく、先の「薄い影」の患者さんのように生還される可能性が多々あります。健康面の「薄い影」についての理論は、前回のテーマで詳述していますから、参考にして下さい。
しかし、患者さんをぼんやりと診察していたり、検査やデータだけに注目していると見逃すのです。最近の若い医師は検査データ至上主義です。また、患者さんを直に診察していると言っている割には、直感を低く見ています。井原さんの霊感ではないけれど、もっと感性を高めましょう。そのような覚悟で患者さんを観察すれば、見えるようになるのです。何事も訓練・鍛錬です。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
薄い影
先日(9月21日)、前立腺肥大症の術後の66歳の患者さんが、術後報告に来院されました。
手術後の経過は良好で、排尿状態もすこぶる良く、手術をしてもらって良かったと喜んでおられました。・・・しかし、・・・しかし、その患者さんの「影が薄い」のです。貧血で顔色が悪いのでもなく、とにかく影が薄く見えるのです。
「体の調子が悪くありませんか?」と尋ねると、否定されます。しつこく尋ねると「胃がチョッともたれます。」という返事です。
「地元の大きな病院で、必ず胃カメラを行なってもらってくださいね!」と私に念を押されて、患者さんは帰られました。
その2ヵ月半後の本日(12月8日)、その患者さんが久しぶりに来院されました。患者さんの影が戻り濃くなっているのです!
「先生の言いつけ通り、地元の病院で胃カメラを行なったら、胃前庭部に胃癌が見つかり、手術しました。」
「地元の外科の先生が、胃前庭部に発赤がある。私は様子をみたいと言ったら、主治医が胃癌を疑うので手術をすすめられました。」
「術後の結果は悪性度が中くらいで、浸潤も転移も発見されませんでした。」と喜んで報告されました。
私もホットです。「実は・・・」と言って、カルテを患者さんに見せました。殴り書きのカルテでお恥ずかしいですが・・・カルテには「胃不快」の記載の下に「白い」とコメントをつけています。「白い=影が薄い」の私の隠語です。
患者さんも泌尿器科医である私が胃カメラ検査をしつこく念を押したのが気になっていたんだそうです。
影で何かを診断した、最近あった実話です。
【補足】
これだけの話しだと、非科学的と云われてしまうので、少し科学的な根拠を説明しましょう。
前立腺肥大症があり排尿障害が存在すると、オシッコを我慢することが多くなり、交感神経が常に興奮状態にあります。
また、癌細胞が体内にあると、癌細胞を殺すために免疫抗体を産生しようと副交感神経が興奮します。
高校生の時に学習した生物学でご存知のように、交感神経が興奮すると、体が戦闘体勢に入る状態になります。副交感神経が興奮すると、体が安静な状態になります。この二つの自律神経が同時に興奮すると、体は交感神経と副交感神経の興奮が混在した表現をとります。それが影の濃さになるのでしょう。一見元気に見えるのです。
しかし、内視鏡手術で排尿障害が軽快すると、排尿障害による交感神経の興奮は少なくなります。そのため副交感神経の興奮だけになります。免疫抗体産生顔貌になり、おそらく、その表情が「影が薄く」見えるのでしょう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
幽体離脱
先日、前立腺肥大症の術後の74歳の患者さんが、1ヶ月ぶりに術後出血で深夜来院されました。午前0時36分です。
カテーテルを挿入し保存的に止血を懸命に試みましたが、止血できずに止む無く緊急手術になりました。
超音波エコー検査で膀胱内にたまった血液の塊(凝血塊)を確認できます。
カテーテルを挿入して洗浄するのですが、一向に止血される形跡がないので止血手術に踏み切ったのです。
上記の超音波エコー検査の3D画像です。
丸い球のように見えるのが凝血塊です。
手術が終了したのが午前2時47分です。
止血洗浄で凝血塊は除去して、カテーテルだけが膀胱内に確認できます。
この後も、出血が続くので緊急止血手術になりました。
麻酔は仙骨神経ブロックですぐに歩行できます。手術中の録画を患者さんに説明しました。
その後、午前3時15分に手術台から立ち上がろうとした時に、いわゆる立ちくらみ状態で、患者さんが軽いショック状態になり一瞬意識を消失しました。すぐに気がつきましたが、完全ではないのでしばらく安静にしてもらいました。
結局、しっかりとした足取りで帰宅したのが午前6時ちょうどでした。
自宅の妻は0時前に、急患で私がクリニックに呼ばれたのを知っています。午前3時過ぎにふと目を覚まし、私がまだ帰宅していないのに気がつきましたが、また夢の中に入りました。
その時妻は、患者さんがショックを起こして私がてんやわんやになっている夢を見たそうです。午前3時15分に患者さんがショック状態になりましたから、まさにその時刻なのです。
緊急手術で止血に手間どり遅くなると思ってもよいのに、術後に患者さんがショックを起こしていると夢見たことに驚きです。私の手術技量に妻が絶大の信用を置いてくれているのか?、はたまた幽体離脱でクリニックの現場を見ていたのか?不思議な出来事でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
排尿障害と水分代謝と原因不明の病気
【人体は宇宙】
人の体は小宇宙にたとえられます。宇宙のようにすべての次元が幾重にも織られて造られた複雑な存在です。現代医学で理解されているの人間の構造やシステムは、未だに不完全です。
しかし、科学が万能だと勘違いされている人たちは、重箱の隅をつつくような努力はしていますが、現在の診断法や検査手段に固執し旧い考え方から脱却できないでいます。
実際に原因不明の解明されない病気は結構存在します。シェーグレン症候群然り、最近話題になった線維筋痛症然り、間質性膀胱炎然りです。原因が不明だと、自己免疫疾患やアレルギー疾患という分類に何でもかんでも収めて、後でジックリ考えようという態度に思えて仕方がありません。
【医師の思考回路】
重箱の隅をつついて研究し没頭する世界は、受験勉強の難問を解くのに慣れている医師たちにとっては、心休まる世界です。特に知能指数の高い医師にとっては、難問の世界は仮想世界ではなく、現実世界と錯覚していたのでしょう。小学生、中学生、高校生と難問の解答の先が現実の世界にそぐわないものであった事実に虚無感を覚えた、若かりし頃の気持ちはすでになく、現実に苦しむ患者さんをよそに、研究のための研究というのが現実です。
数年前に癌治療学会の席上、高名な医師が「これら基礎研究が実際の臨床現場で役立つのか?」と苦言を呈したことがありました。
研究のための研究は、「木を見て森が見えない」状態だと私は思います。
【葉と枝と木と林と森】
さてさて、前置きが長過ぎました。
ここで水の流れを中心に、人の体を「森を見る」ようにして考えてみましょう。
臨床で調べる検査データは「枝葉」を視ることです。人の解剖学・臓器を調べるのは「木」を診ることです。人の生理学・内分泌・代謝は「林」を見ることです。全体像=森=真実を観るためには、さらに大きな視点から観ることが必要になります。大きな視点は、科学的な現代医学からは逸脱することがありますから、その辺はご了承下さい。
【水の流れ】
上記の図式は、細かい医学常識を無視した「水の流れ」の大よそのイメージです。(こころの中のこのイメージが大切です)
食事や飲水で口から体の中に入った水は、水分代謝の世界を作ります。大腸で吸収された水は、血液の溶媒として流れに乗ります。この水を「場」として内分泌システムや免疫システムが円滑に稼働します。もちろん血液細胞・免疫細胞・免疫抗体・胃液腸液胆汁などの消化液も水という「場」なしでは存在は考えられません。
この水が作る「場」はとても重要です。生命現象であるイオン反応・電離現象・酵素反応などのあらゆる化学反応は、水の「場」という存在なしには考えられません。しかし、重要な生命反応が華々しい表の現象であるために、「場」としての水の本当の顔、つまり裏の重要な現象である「水の排泄」が見えなくなってしまうのです。血流や免疫反応を「単なる水の排泄現象だ!」とは誰も思いもよらないでしょう?
血圧の維持も水が必要です。涙が出なければ視界を確保できませんし、唾液が出なければ食事ができないばかりでなく会話もできなくなり、人としての社会性までもが阻害されてしまいます。
生命の営みは極論すれば(あくまでも極論です)、水の様々な形での「排泄」の一言に尽きます。血液システム・内分泌システム・免疫システムでの「場」としての水は、内部環境への水の排泄ですし、尿・汗・涙・消化液での水は外部環境への水の排泄です。
この排泄のどこかに支障があれば、システム全体に狂いが生じるのは容易に理解できるでしょう。よっぽどのことがない限りシステムに狂いが生じないと考える方が、無理な考えだと思います。
【水と臓器の役割】
尿は腎臓で生産され尿管を通過して膀胱にたまり排泄されます。
涙は涙腺から分泌されます。唾液は唾液腺から分泌されます。肺呼吸の呼気からは水蒸気が排泄されます。運動を行なった時の汗は汗腺から分泌されます。食物の消化・吸収に必要な消化液は、胃腺から胃液が膵臓からは膵液が肝臓からは胆汁が腸腺からは腸液が分泌されます。
骨髄で血液細胞・免疫細胞がつくられます。脳下垂体・甲状腺・副腎・膵臓・心臓・腎臓からホルモンが分泌されます。これらすべての臓器・器官は血液中に溶けたホルモン・電解質・濃度や自律神経を介して複雑に微妙にコントロールされています。一部が全体であり、また全体が一部であるという状態です。
ここまでは、葉から枝へ、枝から木へ、木から林への思考の広がり的考え方です。
上図のシステムの中で、一番多く排泄される水が尿ですから、尿排泄の微妙な変化は、たとえ微妙であっても他の水排泄に関わっている器官や臓器に負担をかけるというのはうなずけると思います。
調べてみるとわずかな排尿障害があり、頻尿と陰部の痛みがあるご婦人が、涙と唾液の出ないシェーグレン症候群を合併していると聞き、「排尿障害を治療したらシェーグレン症候群が軽快するよ!」と予言したのを全く根拠のないホラとは思えないでしょう?
汗分泌に負担がかかる皮膚や免疫の異常で生じるとされているアトピー性皮膚炎が、排尿障害の治療で軽快できると予測が立つのです。
掌蹠膿疱症という原因不明の手のひらと足の裏の皮膚炎が、排尿障害の治療で治ったと聞き、不思議に思わない私です。
シェーグレン症候群に関しては、次のように考えます。
軽微な排尿障害で膀胱が過敏、頻尿になった状態を体がフィードバックで抑え込もうとしたのですが、腎臓・膀胱を抑え込めなかった。その代わり、他の器官が被害を受け、涙腺と唾液腺が抑えられ、その結果、涙と唾液が出ないシェーグレン症候群になったと推理したのです。
ここでは、自己免疫抗体の存在やアレルギーなどという言葉は使用しません。大きな目的のために、複雑な過程を経て小さな器官が被害を受けたという認識でいいのです。最近は、科学的エビデンス(根拠)を追求するあまり、森が見えなくなっているのが現実です。困っている患者さんは今困っているのです。10年後20年後に治療法が考案されても遅いのです。
多汗症という原因不明の病気があります。緊張すると手・顔・腋の下からポタポタと滴り落ちるほど汗が出るのです。自律神経の病気あるいは心因性とされることがあります。健常人からすれば、汗ぐらいと思われるでしょうが、患者さんは悩み苦しみます。
隠れ排尿障害が存在していて、水分代謝に負荷がかかり、その結果、汗腺を刺激して発汗しやすくなっているのかも知れません。
この辺で、林から森への思考の広がりになりました。しかし、この広がりは恐らくまだまだ続くでしょう。
【補足 図の説明】
水の代謝の観点から考えれば、生物は水を取り込んで、ただひたすらに排泄している存在です。水の排泄形態が、尿・汗・消化液・血液・リンパ液・ホルモン・涙などの様々な形をとります。それぞれの排泄形態に付随的機能があり、医学的生理学的には、その付随的機能が重視されていて、水の排泄が軽視されているに過ぎません。
尿の出が悪ければ、他の水排泄形態に余分な負荷がかかり、汗だけに負担がかかれば多汗症になり、汗と免疫のセットで掌蹠膿疱症になると考えます。また、消化液に負担がかかれば過敏性腸症候群に、消化液と免疫に負担がかかれば潰瘍性大腸炎になるのです。
【補足】
【東洋医学の考え方】
東洋医学は、日本の漢方、古代中国の漢方、中医(現代中国医学)、チベット医学、アーユルベーダー(インド医学)に大まかに分類できます。インド医学はチベット医学や古代中国漢方に強い影響を与えています。古代中国の漢方は、日本に伝わり、日本独自の漢方になりました。中国漢方では、脈診・舌診を重視し、日本漢方では腹診に重点をおきます。中医は西洋医学に強く影響され古代中国の漢方とは別の医学と考えた方が良いでしょう。
現代医学は、解剖学・生理学・病理学・微生物学・臨床検査学を駆使して、病気と原因(病因)を科学的な手法で調べ実証しています。実証できない背景が前提となっている場合、例えば気の流れ、経絡、ツボ、チャクラなどというのは、実証できないので存在しないことと等しくなり、それらを土台にして成り立つ医学は荒唐無稽の絵空事の医学になります。
しかし、歴史的には、本来科学は神が創った混沌としたこの世界を浅はかな頭しかない我々人間の理解できる言葉で表現しようとした学問です。正確にいえば、信仰が宗教と哲学に分かれ、哲学が概念だけで思考する狭義の哲学と再現性を求める実証主義の科学に分かれたのです。何千年経過しても歴史から見れば当然完成されず、未だに手探り状態です。科学を真に知る人は謙虚ですが、中途半端に科学を知る知識人は科学を妄信します。ある意味、宗教に近いものがあります。「科学教」とでもいうべきでしょう。
私も科学的な思考法にどっぷり浸かった人間です。ですから一生懸命に科学的な考え方をするように努力しますが、それ故、科学的思考法の溝にはまり抜けなくなることがあります。
歴史が示すように、再現性のある実証、つまりエビデンス(証拠)が呪縛になり、問題の解決を遅らせるのは科学のはらんでいる矛盾でもあります。解決を早めるためには、呪縛から解放された頭の中で繰広げられるイメージの力が必要です。このような思考法が非科学的とののしられても構いません。患者さんのために科学が存在するのであって、役に立たない科学は一時でよいですから引っ込んでいるべきです。
科学的思考法は、思考が膠着し油断するとそれこそ非科学的思考に陥ることがあります。新たな科学的思考や証拠を拒絶するという愚行に出ることが、歴史を振り返るとしばしばあります。一例を挙げましょう。
出産後の産褥熱で産後の婦人がバタバタと亡くなる時代に、医師の汚い手が原因に違いないと、今では常識の医師の手洗いを薦めた医師がいました。【注】しかし、周囲の医師からは手の汚れが人間を殺せるわけがない、非科学的だとののしられました。たとえ科学的な根拠をリアルタイムに示すことができなくても、科学的な発想で証明することに意義があります。
【注】
『・・・一方,「傷は化膿して治る」という常識への挑戦も,同じく1840年代に始まる。その最初は産婦人科医,ゼンメルワイスだった。当時,出産には産褥熱がつきもので,多くの場合,それは避けられないものと考えられていた。 しかし彼は,医者が行なった出産介助で高率に産褥熱が起こっているのに,助産婦が介助した場合にははるかに少ない事に着目する。医者と助産婦で何かが違っているはずだ,とゼンメルワイスは考えた。さまざまな可能性について考え,最後に行き着いたのは「医者の手」だった。 医者は病人や産婦を見るだけでなく,病理解剖も行うが,助産婦が解剖を行なう事は無い。 当時,手術や処置の前に手を洗う習慣は無く,素手で解剖を行なった後,手についた膿を布でぬぐって,出産にたち合う事もしばしばだった。ゼンメルワイスは,解剖の時に何かが医者の手に付き,それが産婦の体内に入り込み,産褥熱を起こすと考えた。これが最も合理的に,助産婦と医者の間での産褥熱の発生率の差を説明できる。 彼は直ちに「出産に立ち合う前には,必ず手を洗うように」と医局員に命じる。それにより,産褥熱の発生は劇的に下がり,多くの産婦が救われた。 しかし,医学会は彼のこの簡単な提案とそれによる産褥熱の発生率の圧倒的な低下のデータを,徹底的に拒否した。「手を洗うなんて煩わしい」「手を洗うなんて,教科書に書かれていない」「手を洗うなんて誰もしていない」という理由で・・・。結局彼は,病院から追放され,紆余曲折の果てに失意のうちに発狂し,人生を終える。・・・』外科の夜明け(トールワルド,講談社文庫)から
【補足】
多発性粉瘤症の患者さんの多くが、水分摂取の多い方です。
手術などで、粉瘤・アテローマの手術を幾度か行っても、再発を繰り返すのです。体質だと諦めている方も多いと思いますが、実は水分(お茶・コーヒーを含む)を極力控えることで再発が抑えることができます。
水分をたくさん摂取すると、体の方は何とかして大量の水分を外に排泄しようと努力します。しかし、人間が1日に排泄できる水分の量は限られています。体に水がパンパンに溜まって、生命の維持が出来なくなる可能性もあります。そのため体は、体中に粉瘤・アテローマを作っておき、いつでも炎症(=水)が起きて、化膿(=水)や出血(=水)がし易いように準備しているのです。
粉瘤・アテローマが出来る人にとって、水は「毒」です。注意しましょう。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (7)