パンドラの箱

9daecdeafc2c49b2a0440856cf1b5552 PSA検査で値が高いので、前立腺ガンを疑い、針生検をすることでガン細胞の悪性度を確認して、治療方針を決定するのが、今の前立腺ガンの治療方針です。

PSA検査が普及して、健康診断や人間ドックにも多く使用されたので、PSA値が高い人がたくさん見つかり、さらに多数の人々が針生検を受けて、前立腺ガンが見つかる人が多数います。

前立腺ガンの患者さんが早期発見されて、適切な治療を受けることが出来れば、死亡者数は減るはずです。

「パンドラの箱」のギリシャ神話とは………

Pandora神であるゼウスはすべての入した箱を地上最初の女性パンドラに贈り、決して開けてはならないと命ずる。パンドラが地上で好奇心から箱を開くと、あらゆる災禍が外へ飛び出したが、彼女があわててをしたので「希望」だけがに残った。(災禍の危険に対する保険のために希望が同封されていあ)

……要するに、人間の受けるあらゆる病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみ等を解放してしまい、それを人間は受けてしまったのです。しかし、希望だけが残ったと云うのです。この神話はまるで前立腺の針生検と似ているような気がします。前立腺の中味を確認するために、医師が針生検を行ったために、その結果、前立腺の中で静かに寝ていたガンを起こしてしまい、前立腺ガンで亡くなる方が増えたのです。ガン=災いを解放してしまったのです。

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グラフはPSA検査の開発と普及によって、前立腺ガンの死亡数が増加していくのを表しています。PSA検査が普及する前の1980年の死亡者数は2千人程でしたが、2017年には1万4千人にも増えたのです。医師は前立腺ガンの罹患数は1980年が4千人から2017年には10万人ですから、1980年の死亡率(死亡数➗罹患数)50%から2017年14%に減ったので、PSA検査を積極的に行なうべきだと主張するのです。しかし、PSA検査をたくさん行うので、必要以上の針生検を行なってしまったので、死ぬ患者さんが7倍も増えたと私は考えています。

前立腺ガンに関した「パンドラの箱」は2009年12月の医師の代替医療研究会で、私が講演解説しました。

http://hinyoukika.cocolog-nifty.com/bph/2009/12/post-b811.html

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四足歩行から二足歩行への進化の盲点

3億6000万年前に両生類が誕生しました。四足歩行の脊椎動物の誕生でした。哺乳動物が誕生したのが2億2500万年前です。もちろん四足歩行のままです。
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両生類が誕生した時から3億3200万年経過した、今から2800万年前に人類の祖先である類人猿が誕生したのです。進化した二足歩行の脊椎動物の誕生です。さらに進化して人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスが誕生したのが10万年前ごろとされています。…そうです、たった10万年前なのです。
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二足歩行になってから類人猿は手を使うようになり、知性が発達し、やがてホモ・サピエンス→人類に進化したのです。ここまでは、進化による有益な事ばかりです。
両生類から類人猿に至る3億3200万年の間まで、四足歩行で胴体は地球に対して常に平行に位置していました。二足歩行になってから胴体は地球に対して常に垂直になったのです。排尿と排便は胴体が平行の状態で確立完成したのですが、垂直になってから2800万年しか経過していないので、排尿と排便が胴体が垂直状態で抵抗なく排泄できるかどうか疑問です。
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人生50年の頃は泌尿器科の病気になる人は少なかったのですが、人生百年のこの時代では泌尿器科の病気の人がたくさん増えています。これは二足歩行になって垂直胴体の排尿・排便の対応が完璧でないので、40歳〜50歳くらい経過すると、その欠点が顕在化、つまり露呈して、泌尿器科に受診する患者さんが増えるのです。
排尿に問題を抱えている患者さんには、イラストのように前かがみで排尿と排便をするように指導しています。この指導は3億3200万年の進化の歴史を考慮して行っています。


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東照公御遺訓

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日光東照宮の自宅のお土産に、「東照公御遺訓」を購入しました。
徳川家康公は、若い時に自分の命に関わるほどの体験や奥さんと長男を殺してしまうなどの人生を過ごしていました。
その人生を経験して、いろいろと思う事があったのでしょう。

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人の一生は重荷を負って、遠き道を行くが如し
急ぐべからず

不自由を常と思えば、不足なし

こころに望みおこらば、困窮したる時に思い出すべし

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思へ

勝事(かつこと)ばかり知りて、負くることを知らざれば、
害その身にいたる

おのれを責て人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり
-*-*-*-*-*-*-*-*-

この言葉は、実は徳川家康公が実際に語ったことではなかったのです。家康公がお亡くなりになって後の世、水戸光圀公らが、家康公だったら、このように考えおっしゃるだろうと書かれた言葉なのだそうです。日本の支配者になった家康公でしたが、それまでのご苦労は、歴史書をはるかに超える想像を絶するものだったのでしょう。
家康公でさえも、こんなにとても辛〜い思いを体験している訳ですから、一般ピープルである私たちにも同じ経験したとしても、不思議ではありません。

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年寄りの冷や水

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この言葉をご存知ですか?
お年を召した方が、若者と同じ様に夏場に冷たいお水を飲んで、お腹を壊したり体調を崩したりするので、若い時と同じ身体と思ってはいけませんと言うことわざです。転じて、無理しないで年相応の事をしなさいと言う故事です。
この当時、江戸時代のお年寄りて何歳かご存知ですか?実は40歳以上です。当時のご隠居さんは40歳からです。40歳で仕事を辞めて、後は自分の趣味に専念し、50歳で他界するというのが一般的でした。

夏場の暑い時期に、大きな河川、隅田川や利根川の中央の川底に近い場所から冷えた水を組み上げて、それを水売りが売るのです。滅菌している訳でもありませんから、免疫が過剰反応するお年寄りがお腹を壊しても、不思議ではありません。

最近では、みのもんたさんの昼番組で、バカな医師が健康のために毎日2リットル以上の水分を摂りなさいと言ったものだから、一般の人々がたくさん飲むようになったのです。水分をたくさん飲むと、禁断症状で喉が渇くのです。喉が渇くと『脱水症状だ!』とさらに飲むので、結局、悪循環で多飲症になるのです。

排尿に問題があって、自分で自覚しない人が、この非常識の流れに沿って水分をたくさん飲むと、とても辛い症状が出てきます。膀胱炎や慢性前立腺炎と誤診されて感染症の対策の馬鹿の一つ覚えの「水分をたくさん飲め!」と指示されて、それに従い症状はますますひどくなるのです。

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試練と天使と悪魔

Gabriel
旧約聖書に登場する大天使カブリエルと地獄のサタンことルシファが兄弟であることをご存知ですか?
大天使ガブリエルは太陽の化身でルシファは月の化身なのです。ですから兄弟であることは想像できますね。
同じ兄弟なのに、どうして立場が天と地ほど変わったのでしょうか。
神様は、この世界と天使と動植物と、最後に人間を創りました。しかし、どういう訳か人間を重用し、何かと気に掛けたのです。先に生まれた天使からしてみたら面白くありません。
そうこうしているうちに、弟のルシファは実力行使をしてしまうのです。あろう事か神様に反乱を企てたのです。事前に謀反はバレ、兄のガブリエルは神様に加勢したので、ルシファは戦いに負け、堕天使として地獄に落とされてしまったのです。

Lucifer
神様がこれ見よがしに人間を愛したには、実は神様が天使に課した試練だったのかも知れません。その試練に耐えたのがガブリエルで試練に負けたのがルシファだったと考えることができます。
私も今の自分の試練に耐えなければ、ルシファになってしまうかも知れません。頑張って耐えて、私はガブリエルになりたいと思います。

後日談になりますが、ガブリエルもルシファと同じように人間に対してやはり面白くなかったではないかと思えてなりません。なぜなら、その後、ムハンマドの前にガブリエルは降臨し、アラビア語で神の意志を伝えるのです。しかし、その内容はユダヤ教ともキリスト教とも異なる内容で、コーランに記載されています。それが原因でユダヤ教とキリスト教とイスラム教は混乱し、ISが台頭し、現在の混沌とした世界になったのです。人間同士が殺し合っている姿を大天使ガブリエルは微笑んで眺めているのかも知れません。

KSさん、記事を書きましたよ。満足してもらえましたか?

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宗教による世界観の違い

ユダヤ教ではヤハウエにより、この世界が作られました。この世界の真理は深遠で、人間ごとき存在には理解しがたい世界です。しかし、ユダヤの世界にも賢者は多く出現し、神の作ったこの世界での生き方を説いたタルムードという戒律を順守して生きれば人生は安泰なのです。この世界の真理を詳細に理解する必要はない、知る必要がないのです。

キリスト教は、神であるヤハウエがキリストとして地上に降り立ち、神の世界観を説いて回ります。この内容は「新約聖書」としてまとめられ、神と人間との正しい関係を解説しているだけで、この世界の真理を詳細に解説している訳ではありません。しかし、キリスト教では神が与えたこの世界の秘密・真理を探究・研究することには寛容です。それが、欧米で科学は発展する素地になたのです。

イスラム教は、ムハンマドの前に神アラー(ヤハウエ)の使いである大天使ガブリエルが舞い降り、神の「御ことば」をムハンマドにアラビア語で伝えるのです。この内容は、やはり神と人間との正しい関係を説くものであって、コーランとして編集されています。ここでも神の作ったこの世界の真理を詳細に解説している訳ではありません。逆に科学的手法を持って真理を追究することは、神の意に反することになります。なぜなら神の言いつけに背いて、アダムとイブが智恵の実を食したことに、神は激高したことによります。その考えを発展させ、イスラム原理主義では人間が何百年もかけて築き上げた文化や文明を破壊するのです。

仏教では、苦に満ちたこの世界から逃れる術、つまり解脱(げだつ)の方法や考え方を説いているのであって、この世界の全貌を解き明かしている訳ではありません。この世界を動かしているのは梵天という神様であって、仏の力の届かない存在です。

インドのヒンズー教にしろ日本の八百万(やおよろず)の神にしろ、人智の及ばぬ存在=いろいろな神の御業によって、人間は右往左往していることになります。その勝手気ままな神々のご機嫌を損ねないように、地元の神様を奉ります。船乗りであれば海の神様を農家であれば雨の神様と太陽の神様を敬うのです。そこには宇宙とは?世界とは?などという発想は生まれません。

ユダヤ教やイスラム教では、科学的手法を持って作られた医学は異端になります。病気や怪我は神が定めた運命か、悪魔の悪戯が原因です。ですから治療は神への祈りか、白魔術による悪魔払いが本質的な治療です。

キリスト教では、神の作ったこの世界の真理を科学的に解き明かすことを善しとしていますから、私たちが慣れ親しんだ西洋医学の活躍する場が大いに存在します。

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ハンムラビ法典

世界最古の法典であるハンムラビ法典(目には目を歯には歯をで有名)は紀元前1792年(3800年前)にメソポタミア文明バビロン国のハンムラビ王によって作られたものです。
そのハンムラビ法典の石碑には、非常に具体的な内容の条文が刻まれています。
280条からなるこの法律は国民を宗教と正義によって護り統治するために作られたとされています。
超古代において、これほど強い意志を持って創られた事実に感嘆します。

さて、そのハンムラビ法典の215条~223条に医療に関する条文の記載があります。
●215条:医師がケガ人をメスで手術した時には、10シェケルの銀を治療費として請求できるというものです。
バビロン一般市民が大麦畑の収穫で1日一生懸命に働いて日当が1シェケル銀といいますから、今の貨幣価値に換算すると1シェケル=八千円くらいでしょうか?
それから計算すると、法典に記載されている医師の報酬の10シェケル=八万円くらいの金額になります。
現在の日本の保険診療では、オデキの切開排膿が初診料込みで保険点数744点、三割負担で2330円ですから、かなり高額な治療費を請求することになります。

ところが、
●218条:医師がケガ人をメスで手術したが死なせた時には医師の手を切る!という条文があります。
医師は患者さんを死なせると2度と仕事が出来なくなるというものです。
現在でこの法律が適用されたら、外科医を志す医師はいなくなるでしょう。
バビロンの支配階級であった貴族や武士が戦いに負けてもそのような罰はありませんから、医師という職業は高給取りですが社会的地位はとても低かったと思われます。いわゆる今でいう「3K(きたない・きつい・きけん)」の仕事の一つだったのでしょう。

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病気や怪我人を治す医師の仕事は、客観的に見れば確かに危険で汚い仕事です。
伝染病の患者さんを診れば感染の危険があります。血だらけの怪我人の傷を縫合する現場を見れば、高貴な貴族・支配階級・英雄が一生をかけて行う仕事には見えないでしょう。

医師の職業としての確率は、世界中さまざまな起源があります。
しかし、ほとんどに共通することは、太古の昔では宗教と医療とは密接な関係にありました。
呪い師(まじないし)や預言者などは、それが現在でも有効であるか否かは別として、かなりの医学知識と治療手段を持っていました。
キリストはその短い人生の布教期間中に、いろいろな病人を治療したことが「奇跡」として聖書に記載されています。
弘法大師空海が創設した真言密教では、病気治療のための法術や護摩焚きなどの秘術があります。
チベットでは医師になるために、現在でも僧侶の資格を得てからではないと医師の勉強ができません。

私的見解ですが、争いが絶えなかった古代世界で、病人や怪我人を治すのがとても上手な奴隷を支配階級が重用し、身分を保障したのが医師という存在の始まりではないかと私は思っています。
医師は古代において決して不動の特権階級ではなかったことを肝に銘じて、目の前で苦しむ患者さんの診療に誠心誠意励まなければなりません。

【参考】ハンムラビ法典 飯島紀著 国際語学社


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