涅槃の仏像で分かる事
仏像で涅槃の像があります。これはお釈迦さまの終末時のお姿です。左胸を下にして横になっていますね?この姿を見て、お釈迦さまの終末時の病気の原因が想像できるのです。
胃の十二指腸方向が左下になるので、胃の内容物が重力で十二指腸に流れやすくなるので、胃の負担が軽快します。胃腸疾患の患者さんは嘔気・嘔吐を改善させるために、この体勢になるのです。実は、お釈迦さまは、この際に、豚肉かキノコで食中毒にかかったのです。その記録では、嘔吐と下痢で苦しまれたのです。
当時のインドの医学では、胃腸疾患は左下に横にするとされていたのです。ところがある国の涅槃の像が逆向きの右下にして横になっている仏像があるのです。これはお釈迦さまが横になっているのであれば、どちらでもいいと思って作られたのでしょう。歴史的根拠を無視して仏像を作るのは、如何なものでしょうか?病気の診断で、教科書に載っている病気の症状と検査所見とが一致する場合しか診断できないのと同じです(笑)。
病気の診断で、教科書に載っている病気の症状と検査所見とが一致する場合しか診断できないのと同じです(笑)。その一致しないと、「気のせい」「歳のせい」「ストレスが原因」と診断されてしまうのです。
時代
今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど
……「さまざまな病気や人生で苦しむ人はたくさん存在します。だからと言って、すべてが終わりではありません。」
そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
……「病気で苦しんだ人が、原因が判明して治療することにより、症状が軽快します。あんなに苦しんでいたのに、喜んだお顔になり、嘘みたいに元気になります。そして過去を振り返って、当時のことを思い出すのです。何もない気楽な人生、仕事ばかり懸命にしている人生、好きな趣味ばかりの人生、浮気ばかりの人生、お金儲けだけの人生、恋愛ばかりの人生などなど……人生を真剣に考えることはしません。」
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ
……「この地球は空気も水も土も無限大に存在する訳ではなく、限られた存在です。人に魂があるとすれば、当然として限られた存在でしょう。当然ながら、水と同じで見えない水蒸気→雲→雨→水→川→海→水蒸気と繰り返しています。見えない二酸化炭素→光合成→炭水化物→燃焼→二酸化炭素と繰り返します。当然ながら、見えない魂→赤ちゃん→人間→いろいろな人生→他界→魂となるのでしょう。」
旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
……「旅=さまざまな人生を人は過ごすのです。その人生が客観的にハッピーだろうが、不幸だろうが、繰り返し繰り返し経験するのです。旅ですから、一か所にとどまることはありません。」
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ
……「人生は何度も何度も生まれ変わりを繰り返すのです。そのすべてがハッピーでもなければ、すべてが不幸でもないのです。繰り返し繰り返し様々な経験や体験をするのです。さらに一回の人生の中でも、ハッピーも不幸も繰り返し起こるのです。病気で苦しんでいる人も、必ず解放される日が来るはずです。」
まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出逢いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ
驚くべき漢字の世界
漢字は主に象形文字です。
山⛰、川、亀🐢、馬🐎という漢字などは容易に理解できますね?では、次にあげる漢字はいかがでしょうか?
【方】
方向や方角に使われる「方」の語源は、実はとても恐ろしい象形文字です。
当時の中国では、自分たちの部族を護るために、東西南北に結界を張っていました。その結界の境界線の目印に、他の部族の人間の死体をぶら下げてさらしていたのです。まるで、はりつけにされたキリスト様のお姿です。2枚の板に首を挟んで体をぶら下げた状態です。点が頭、横線が板、下の形がぶら下がっている両足です。
【道】
辶+首=道の起源がまたまた恐ろしいのです。「道」という象形文字、英語で「way」とは疑問に思いませんか?何で「辶=路」+「首」なのか?
当時の中国では、新たな道を作る時に、必ず儀式が行われていました。山や森などの人跡未踏の環境の中では、魑魅魍魎や百鬼夜行などあらゆる魔物が住んでいると考えられていました。そのために、死んだ人の首を提灯のようにブラ下げ呪文を唱えながら歩くのです。首は切った頭を髪の毛で棒に結んでいる形状です。
【白】
白い色の象徴する造形は何だと思いますか?
実は、白骨の頭蓋骨💀なのです。中国大陸では歴史上、何十回も戦争が起きました。何万人もの捕虜を全員崖から突き落として殺害しました。その崖から数年後に谷底を見たら、どのような光景が見られるでしょう。真っ白に白骨化したご遺体、特に頭がい骨が緑の谷間に白く点々として目に入ります。
【高】
凱旋門のような高い建造物を表現しています。
当時の中国では、結界を張るために建造物の壁の中に、敵国の兵士達の死体を埋め込んでいます。ある意味で、魔除けの建物です。
万里の長城は、紀元前214年ごろに秦の始皇帝の指導で建てられました。北方の遊牧民族からの侵攻を防ぐために建設されたものです。
結界を張るために造られたのですから、当然として敵対視する遊牧民の死体が埋められいたはずです。
漢字を書く際には、その由来を心に噛みしめ、丁寧に書きましょう。
【参考】白川静 著 「漢字の世界」
食欲の秋
10月になって、秋晴れを見ると、「食欲の秋」という言葉が思い浮かびます。
夏の湿度も気温も下がり、快適で食欲が湧くからとお思いでしょう?そうだろう、なるほどと思われるでしょう?
【お天気.comから】
本当は、違う意味なのです。
中国は、その昔騎馬民族によって略奪される事に頭を悩ましていました。歴史を振り返ってみれば、漢民族が騎馬民族である蒙古に支配された事もありました。
その支配される前の頃、漢民族は常に騎馬民族をとても脅威に感じていました。ですから、その脅威に対する前触れを少しでも察知しようと努力していました。
騎馬民族の使用する馬たちは、春に馬がたくさん生まれ、その馬たちが春から夏にかけて、草原の草を貪欲にたくさん食べます。たくさん食べれば食べるほど、馬は成長し大きく元気になります。その完成された体格が、秋なのです。
大きくなった馬は、騎馬民族にとっては、平気です。
ですから、秋になると、力強くなった沢山の馬に乗って、騎馬民族が略奪に押し寄せてくるかも知れないと、警告しているのです。特に秋晴れは、大陸性の湿度の低い寒気高気圧です。見通しが良ので、遠くの騎馬民族が押し寄せて来るのを事前に察知出来るのでしょう。その意味で、
恐怖の『天高く馬肥ゆる秋』なのです。
慢性腎不全で闘病中の私は、「食欲の秋」になっても、少しも食欲が出ません……かなしい😢
ステッキ専門店
以前から話題に上っていたステッキを購入しようと専門店を今日5月10日、夫婦で訪れました。実は、Amazonなどの通販でステッキを購入しようと思い、妻に話しをしたら、妻からダメ出しをされてしまいました。妻が言うには現物を見て握って見みなければダメと言われてしまいました。以前にヒルトンホテルの地下1階で立派なステッキ屋さんを見たことがあるから行きましょう!と先日言われました。
お店は、新宿ヒルトンホテルの地下一階にある「ステッキ専門店 ステッキのチャップリン」です。オーナーはご婦人で、1500種類のステッキを常時揃えています。高額なもので100万円以上、安価なもので一万円以下です。正装用のものから普段使いのものまで、色々なステッキが品揃えとしてありました。お店のチャップリンの名前の由来は、あのチャップリンの娘さんからライセンス契約しているお店なのです。
外出用に欲しく、予算としては、一万円から三万円前後のステッキを購入しようと思いました。金額の差は、高額のものは、ヘッドが純銀製でシャフトが黒檀で、安価なものは、ヘッドがアクリル製でシャフトがアルミニウム製かカーボン製です。また、ヘッドに動物の彫刻を施したものや宝石を施したもの、全体に漆が塗られているものなどいろいろです。
選択したステッキによっては、外見的にキザな野郎だと思われたり、障害者と哀れに思われたりします。自然に見えるステッキを購入しようと考えています。
ところが、商品をいろいろ眺め、実際に握ってみると、好印象のものがいくつもあり、本当に迷いました。事前には黒檀のシャフトを希望していましたが、実際に待ってみると結構重かったのでやめました。最終的には、価格は考えないで購入してしまいました。
さて私が選んだステッキは、握りが楢でシャフトが椿の自然木を選択しました。椿の節が凸凹していて真っ直ぐでない自然木を主張しています。色はうす茶で普段使いにも公の場でも馴染む印象です。価格は予算をはるかにオーバーの65,000円、税込みで7万円超えでした。しかし、一生モノの品質でしたから私は満足です。でも、今回のように良いものをたくさん見ると、私の性格上、そのうち2本目も3本目も購入してしまうでしょう。きっと「アクセサリーから収集」になるのです。
スフィンクスの謎かけで有名なのが、「朝には4本足、昼には2本足、夜には3本足て、な〜に?」です。高齢者がみんな3本である訳ない!と思っていた私が、この歳になって3本足のためにステッキを購入してしまいました。
神の子と、自分の子の違い
人気俳優の強姦事件で、女優の母親がマスコミのインタビューで、しきりに親としての責任を感じていると述べています。
ところが、西洋では考えられない応対だそうです。
なぜなら、子どもは神からの授かりもの、あるいは借りものと考えるからです。18歳を過ぎた成人になった時点で、ヒトは一人前になり、神の前では親も子も独立した平等の存在になります。ですから、成人になった後の行為の責任は、その個人本人にあって、親には責任がないと考えます。
十字架に貼り付けの刑に処せられたキリスト様の責任を、当時、マリア様が親としての責任を問われないのと同じです。
しかし、日本では、子どもは神の授かりものではなく、親の所有物になるのです。その結果、成人を過ぎても、いつまでも親の所有物に変わりありません、すると、いつまでも所有物である子どもの行動の責任を親がとる必要が出てくるのです。ちょうど飼い犬が人様にケガを負わせた時に、飼い主が全責任を負うのと同じです。その流れで言えば、今回の女優の会見の様子はしごく当たり前です。
日本をはじめアジア圏内の国々は、親や一族の責任が問われます。お家お取り潰しや一族郎党皆殺しなどの事例は、数えたらきりがない歴史です。
人は神の子という考え方は、障碍者を授かった時に本領を発揮します。神から育てるのが容易ではない子を授かったということは、その親に神から『しっかりやれよ!』と任命されたことと等しいと考えます。任命されるに十分な能力と責任感がある親と考えられるからです。この責任を果たせば、天国に行った時には、神から称賛の嵐を受けるのです。
この考え方を発展させれば、西洋では複数の孤児を里親として迎えたり、養子に迎えたり頻繁に行われるのです。
以上は、今朝、奥さんと朝食の時に話題にあがった内容の要約です。
落語会
3月21日の休みに帝国ホテルの落語会に参加しました。
小朝師匠、好楽師匠、今、浮気問題で話題の文枝師匠が噺をかけました。
三人三様で面白かったです。文枝師匠は枕詞で自分のことを取り上げて笑いを取っていました。NHK大河ドラマ「真田丸」の千利休の役作りで丸坊主になっていたのがベストタイミングだったようです。
560名ほどの人間が一同に会して孔雀の間という大きな宴会会場で食事しています。圧巻です。
軽いコース料理を食べました。事前に減塩食を依頼していたので、ソースは別にしてあったり、スープは薄味でしたが美味しかったです。
食事が終わり、富士の間という大きな宴会場に移動し、悪語を楽しみました。
スポーツを楽しむわけでもなく、趣味のない人間が食事制限下でグルメに走ることもなく、文化に触れるしか楽しみがなくなりました。落語、歌舞伎、ミュージカルなど以前であれば考えられないことです。
より以前の記事一覧
- 落語会 2015.03.28
- 歌舞伎 2013.06.28
- 6代目中村勘九郎 襲名披露公演 2012.02.13