人生には山あり谷あり#2
私が千代田区永田町にある永田町小学校に3年生からいました。当時は人に言われるままの、そんな自己意識のない生徒でした。
ある日、下駄箱で同級生の尾崎が同級生の鈴木君をイジメていました。正義を主張しようと、尾崎に「イジメをするな」と言いました。すると、「股を蹴るぞ!」と脅ろかされたので、私は「やるならやってみろ」と股を開いて言うと、尾崎は私の股を蹴り上げたのです。
「大したことがないね」と私が言ったら、尾崎は悔しそうな顔をして去っていきました。鈴木君は感謝してくれました。問題なく自宅に帰宅しました。夜になりお風呂に入ると…ビックリしました。蹴られた陰嚢に皮下出血が確認されたのです。心配になって両親に見せました。すると父親は翌日に小学校に電話しました。
翌日に小学校が「チン蹴り禁止」を公表したのです(笑)
20年以上も経過して、私は慈恵医大の泌尿器科のチーフレジデントで大学の病院・各科の病棟を依頼されて往診に行っていました。内科に依頼されて内科病棟に往診に行きました。すると内科の患者さんをお見舞いに来院された男性を見かけました。…『!』…「尾崎くん?」と言ったら尾崎だったのです。「どなたですか?」と言われました。「貴方にオチンチンを蹴られた同級生ですよ。」と言っても覚えていないような雰囲気でした。
この尾崎の曾祖父さんが実は明治時代に有名な尾崎行雄さんだったのです。「憲政の神様」、「議会政治の父」とまで言われた超有名人だったのです。皇居の近くに憲政記念館(旧名は尾崎記念館)ぐらい有名人なので巣。
尾崎は曽孫で超お金持ちで、当時は赤坂の土地を所有していました。ホテルニューオータニの2軒目の高層ビルの土地の所有者だったのです。この土地を売却したか、あるいは貸しているのかもすしれません。
しかし本人は有名人ではないし、単なる有名人の曽孫でしかありません。自分の行なった事を覚えていない、あるいは嘘をついている程度の人間なのです。曾祖父さんのように尊敬される人間ではありません。……ざまあみろ(笑)。睾丸を蹴られた私は何と泌尿器科に入局し(笑)、無事に二人も子供ができました(笑)。神さまに人生を助けて頂いたのかも知れません。
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