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七転び八起き#3

 高校三年生になりました。エリートクラスがなくなり、全クラス普通クラスになったのです。二年生の時の「やる気」が次第に薄れてきました。また、大声で声を出して本を読んだり記憶するのが、だんだんと恥ずかしくなってきたのです。そのため成績は下降気味になり、そのまま大学受験に失敗して二年も浪人することになりました。

私は建築設計士になろうと思っていました。出来れば早稲田の理工学部に入ろうと思っていたのです。ところが、三年生の二学期頃、両親から話しがありました。「手に職を付けて欲しい」と言われたのです。親の言いなりの長男ですから即受け入れました。母親は歯科医なので、歯科医は女性の仕事というイメージでしたから、医師になることを決めたのです。骨折を治療していただいた牛込先生のおススメを思い出し、出来れば慈恵医大にと考えました。また、父が若い頃にお世話になった人の娘さんが、慈恵医大の生化学の教授の久志本先生だったので、これも慈恵医大進学しようと思ったきっかけです。

しかし、二年も浪人して先が読めない状態で、精神的にはかなりストレスがありました。1年目は駿台予備校、2年目が代々木ゼミナールでした。代々木ゼミナールでは、定期試験で100番~50番以内でした。当時の上位100番以内の気になる氏名があり、布施君、小針君、大野君でした。慈恵医大に入学時に、布施君は特待生、大野君は将来の総合診療科の主任教授になりました。

さて、何とか慈恵医大に合格しました。合格して初めて気づいたのが、私の保証人の久志本教授が、慈恵医大進学過程の校長だったのです。さて、入学してから、それまで入ったことのない運動部に入ることにしました。結果、弓道部に入りました。そこで知ったのですが、アーチェリーは、その人に合わせて的に当たるように弓を調整しますが、日本の弓道は、弓に自分の体や感覚を合わせなければ当たりません。弓と体と心が一体になって初めて、的を狙わなくても的に当たるのです。かなりのエネルギーが必要になります。

5年生の時に執行部学年になるのですが、一学年上の上級生が4年生の後半の時に、「執行部学年は4年生にするべきだ」と訴えて、結果、4年生が執行部学年になりました。数ヶ月で4年生→5年生になったので、当然すぐに、私たちが執行部学年になりました。そして同級生6人の誰もキャプテンになってくれないので、仕方なく私がキャプテンになりました。上の学年の5年生が、執行部を終えてもクラブには参加して練習すると約束していたのに、次第に練習に来なくなりました。6年生は国家試験の勉強のためにクラブは事実上引退するのですが、5年生も引退してしまったのです。6学年のうち2学年も練習に来ないのは問題です。やはり、執行部学年は5年生が行うべきと結論を出し、結局、私は4年生5年生の2年間キャプテンを続けました。上級生のキャプテンたちは勉強時間が欲しかったから4年生を執行部にしたのです。このキャプテンは後に病理学の教授になりましたが、主任教授にはなれませんでした。いくら勉強が大好きでも、他人のことや周囲の状況を考えないで自分の事しか考えないから、出世はできないのです。

留年もせずに無事に進学し卒業しました。医師国家試験もスンナリ通り、昭和54年(1979年)に晴れて医師になりました。私は先輩からの誘いで泌尿器科学教室に入局しました。ところが、入局した研修医は私一人で、上の学年の研修医が7人、1年後、下の学年の研修医が7人で、何と7:1:7と上下で挟まれた格好です。臨床の中で初めての体験ばかりで、相談する同級生もおらず多少のストレスはありましたが、今までもいろいろな出来事があり何とか乗り越えたので、頑張りました。

59775467b3d84d8e89c5950ef6ed2ef5私の両親は、なぜか新興宗教に興味を持っていて、当時、神光会、後のGLA(God Light Association )を主催する高橋信次さんと仲が良かったのです。高橋信次さんはたびたび自宅に来られ、私も直接会話したことがあります。高橋信次さんの妹さんで高橋ケイコさんは、特殊な能力があり、お会いした人の守護霊や未来が読めるのです!そこで私も自分を診てもらいました。以前にも診てもらいました。私の前世は中国で医療を行っていた僧侶だったとのこと。それ以前はインドでお釈迦さまのたくさんの弟子の一人だったと診断されました。本当かどうかは別として、今の彼女と将来結婚できるか?私は将来どうなるのか?の2つを質問しました。

すると、「今の彼女とは結婚しません。」…ガッカリです。「将来、有名な人になります。」…本当かなあ?と思いました。それからしばらくして彼女から話しがあると言われました。ホテルオークラのレストランで会いました。彼女からある理由で結婚できないと言われました。『予言通りだ⤵︎』何度説得しても、彼女は意志を貫きました。突然、私は寒気が出て体が震えて食欲が一気に気持ちが悪くなり食事が食べれず、もちろん彼女を説得もできませんでした。このタイミングでインフルエンザを発症したのです。残した料理を見たレストランのスタッフから、「何かお味に問題がありましたか?」「いいえ、体調が悪いからです。」

でも、彼女が私を振ってくれたお陰で、現在の奥さんと出会い結婚できた訳ですから、逆に彼女に感謝しかありません。彼女は後に出世してくれたので、とても嬉しかったです。私と結婚していれば、私が彼女の負担になって出世できなかったかもしれません。2つ目の予言は、現在はインターネットだけで有名な医師になりました(笑)予言をした高橋ケイコさんと高橋信次さんは、二人とも50歳代でお亡くなりになりました。予言者は自分の未来を読むことができないのは、よくある事です。高橋信次さんの考え方を基礎にGLAから独立した新興宗教が「幸福の科学」です。(つづく)

 

 

 

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コメント

高橋先生
お世話になってます。
高橋ケイコさんの予言は凄いですね。
確か宗教家の立花大敬さんが高橋姓の方の祖先は神官のような仕事をしていた、と言っていたように思います。前世が僧侶で仏様のお弟子さんって羨ましいですね。(笑)
ところで、以前から手術をご相談させて頂いてますが、実は歯性感染症を1年6ヶ月前から患っておりまして、最近、歯根端切除術というのも2回受け(1回は東京世田谷区で受けました:新幹線で品川前辺りで高橋先生の近くやなぁと妻と話してました)顎炎の可能性もあり、抗生剤を長期投与し始めたところです。歯の違和感もすっきりしないので、手術はも
う少し先にして頂きたく考えています。また、その際にはよろしくお願い致します。

投稿: 〇〇泰則 | 2019/05/19 17:03

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