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七転び八起き #1


Daruma 人生は本当に「七転び八起き」ですね。例えば、私の人生を例に挙げて紹介しましょう。

私が生まれたのは、弘法大師空海の出身地の香川県善通寺市です。でも私の誕生日は親鸞聖人の命日でした。

当時の四国新聞が開催した「赤ちゃんコンクール」で一位になった私が、64年後には慢性腎不全で血液透析しなければならない身体障害者1級になってしまったのです。赤ちゃんコンクールで一位の人間が、将来、身体障害者になったのですよ!

 Df17ef9f3cf64793a2148138985f7392 私の母親は歯科の開業医でした。保育園に行かなかった時には、若いお手伝いさんが相手してたのです。ところが、このお手伝いさんは弟を可愛がり、私に冷たいだったのです。ある時、台所で「お腹にぶつかってごらん!」と言われたので、懸命にぶつかって行きました。すると、ぶつかる直前にお手伝いさんがヒョイっとどいたので、私はお手伝いの背後の台所の石の角に衝突して、オデコが裂けて大出血でした。母親は私の泣き声に気づき、私をオンブして500メートル先の病院に連れて行きました。そして、オデコを縫われました。まさか将来の私が救急医療を3年間も務めるとは思いませんでした。お手伝いは後日クビになりました。(オデコの写真の一番大きなシワが、この事故の傷あとです。)

私は無口で、自分の意見の言えない子供でした。父親は軍人上がりで防衛庁(現在の防衛省)に勤めていました。しょっちゅう叱られ、ゲンコツで殴られたり、ハエたたきでぶたれたりの記憶があります。楽しくて、チョッと はしゃぐと、ぶたれるのです。当然口数の少ない自分の意見の言えない子供になります。父親を反面教師として、できるだけ子どもを叱りませんでした。おかげで私の二人の子どもは、外交的で明るい子たちです。

高田馬場の地元の小学校に二年生まで通学し、小学三年生から公立の進学校(永田町小学校)に転校(越境入学)しました。転校の際に、地元の学校の担任から「高橋くんは、どこで学習しても同じですよ(笑)」と母親が言われたそうです。でも20年後、当時の同級生で医師になったのは私だけでした。

転校した小学校は、歴史的に有名な人の子孫や子供たちが多くいました。そしてほとんどの生徒が有名校への進学を志している意識の高い人ばかりでした。そして学内での自分の成績順位まで意識していたのです。そのことは卒業後の還暦前の同窓会で知りました。

げた箱で歴史的有名(憲政の神様こと尾崎行雄氏)な曾孫の同級生尾崎くんが、別の同級生の鈴木くんをいじめているのを見ました。「やめろよ~」と言ったら、「玉を蹴るぞ!」と言われてしまいました。「やるなら、やってみろ!」と引かずに対応したら、股間を思い切り蹴られました。「何だ!どうて事ないよ」それで、問題のイジメは終了しました。ところが、夜に自宅で入浴した際に、自分の股間を見たら「!!!」おチンチンが皮下出血で真っ黒…両親に話しをしたら、父親はカンカンに怒り、小学校に電話しました。…結局、それ以来、私の小学校で「チン蹴り」禁止になりました。将来、まさか自分がおチンチン専門の泌尿器科医になるとは思いませんでした。打撃を受けた私の睾丸も、子どもが2人産まれたので、特に支障はなかったのでした。

大学病院で泌尿器科のレジデント修行している時のエピソードです。大学病院の内科の依頼で内科病棟に往診した際に、『?!!』驚きました。…病棟の見舞客の一人が見覚えのある人物なのです。何と、小学生の時に私の股間を蹴ったイジメっ子の尾崎くんだったのです。声を掛けたのですが、『あんた誰?』という表情でした。(つづく)

 

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