七転び八起き #2
永田町小学校から同じ区域の千代田区立麹町中学校に進学しました。この中学校は、永田町小学校、麹町小学校、番町小学校の三つの小学校から進学できるので、それぞれの小学校の50%の生徒が私も含め越境入学しています。最終目標は、都立日比谷高校→東京大学でした。
1学年11クラスで約550人の大所帯です。私は真面目でしたが、興味がなかったので、それほど必死に勉強はしていませんでした。そのため、学年での成績は上から3分の2(下から3分の1)程度でした。でも、麹町中学校は全体的に優秀だったので、日比谷高校には入れるはずだったのです。ところが、新しい都知事の美濃部さんが平等をうたって、断トツの日比谷高校を抑えるために、学校群制度を作りました。しかも、試験の結果と中学校の内申書の両方で判定することになったのです。
ところが、麹町中学校は千代田区の中でも一番優秀な学校だったので、通信簿の評価が4でも、他の学校の5に匹敵したのです。なぜなら、通信簿の評価は、全校生徒の何パーセントが4で何パーセントが5でと、決められていたからです。通信簿の評価が同じでも、学校が違えば、実力が同じとは限らないからです。
その結果、前年度は麹町中学校の半分以上が都立高校に合格しましたが、私の学年は、残念ながら同級生の半分以上が不合格になりました。私もその一人でした。仕方なく、当時のすべり止め高校の海城高校に入学しました。しかし、私が高校を卒業して医学部に合格した頃から、大学の合格率が高くなり、海城は今では新御三家の進学校になりました。なりました。
中学校の成績を少しでも上げようと、父親が家庭教師を頼みました。一橋大学の学生である石井先生でした。勉強はもちろんのこと、卓球も教えてくれました。私が高校生になってから弟の家庭教師になってくれました。石井先生は新潟県出身の母子家庭の方でした。就職する際に私の父親が保証人人になり、無事に一流企業の住友銀行に就職しました。その後、トントン拍子に出世して最後に住友銀行の六本木支店、ヨーロッパ支店、神田支店の支店長になりました。住友銀行を退職してから、ある日、高橋クリニックにお越しになりました。PSA検診で高かったので前立腺針生検を受けたら前立腺ガンが見つかり、今後の治療の相談に来院したのです。まさか中学時代の家庭教師の先生が自分の教え子に相談来るとは思えませんでした。一生懸命にアドバイスしました。
高校一年生の11月頃の体育の時間に、走り高跳びで踏み切った左足のひざ関節が折れてしまいました。着地点の砂場でひざを曲げると、折れた骨が飛び出たのです。体育の先生が「お前のひざは曲げると、いつもこうなのか?」と言われて、『そんなバカな!…』直ぐに外科の病院に連れて行かれました。
入院した病院の若先生の副院長は、海城高校卒業で慈恵医大出身の外科の先生でした。膝蓋骨靭帯の付着部である脛骨結節が剥離骨折をしたのです。この骨折は珍しく、日本で年間3症例くらいしかなかったそうです。この先生が骨折の手術をしてくれました。実は、この先生は外科から研究のため病理学に専攻を変えて、将来、慈恵医大の病理学の主任教授、名誉教授になり、後に国際病理学会の会長になった牛込先生でした。通院中に当時の若い牛込先生から、「慈恵医大を受験したら…」と勧められました。しかし、当時の高校一年生の私は、建築設計士になろうと思っていたので、慈恵医大を知りませんでした。まさか将来慈恵医大に合格して医師になるとは思ってもみませんでした。
骨折入院が原因で、一年生の二学期の期末試験が受けられませんでした。ある先生が試験を受けられなかったことを考慮しなかったので、二年生のクラス替えの際にエリートクラスから普通クラスに落とされてしまいました。…ガッカリです。そして私が配属の普通クラスの担任の先生が、考慮しなかった生物学の長島先生でした。
普通クラスに配属になり、落ち込んで悶々としていました。何とかしなければいけないと思い、死に物狂いで勉強しようと思ったのです。そこで本屋さんに行って「記憶術」「速記術」の本を片っぱしらから読み漁りました。最終的には授業中にわら半紙で教師の言ったことは全て記録し、自宅でノートに清書し、授業で出てきた単語をすべて集め、参考書を端から端まで大声を出し、理解できるまで何度も読みました。試験前にはノートに記載された文章を一字一句覚えました。そして二年生の一学期の中間試験に臨みました。…結果は、何と!学年で一番になったのです。世界史のテストは100点で、世界史の先生から「初めてだ!」と驚かれました。その後、順調に勉強が進み、二年生の終業式に学年の優秀賞を受賞しました。その時の面白いエピソードがあります。終業式の全校生徒の前で教頭が各学年の優秀者を読み上げました。高橋〇〇とエリートクラスの生徒が呼ばれたのです。私は残念と思いました。ところが教室に戻ると担任の長島先生が、「実は教頭が勘違いして、違う生徒の名前を呼びました。本当はこのクラスの高橋知宏くんが優秀賞です。」クラスで大拍手でした。…ある意味で、普通クラスに落とされた事が私に火を付けたのでした。担任の長島先生に感謝です。
三年生のクラス替えを楽しみにしていました。今度こそはエリートクラスだ!…ところが、当時の学生運動の影響で、差別であるエリートクラスが排除され、すべて平等クラスになったのです。…ションボリです。(つづく)
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