オマケの人生
私は2年前から透析をしながら生きています。
腹膜透析で身体の制御ができなくなり、1年前から週3回4時間ずつの血液透析をしています。この透析がなければ、私はすでに亡くなっているはずです。そんな私は、ある意味、幽霊?地縛霊?家族を守る守護霊?です。
街中を散歩したり、透析クリニックへ歩いて通院していると、たくさんの人の元気な姿を見ます。すれ違う人々は、私を避けたり、エスカレーターでは、逆に割り込んで来る人もいます。そのたくさんの人々は、私のことが確実に見えているのです。地縛霊は超能力者の人しか見えませんが、私は普通の人間にも見えるのです。
将来、私は死んだ時には、当然誰からも見えない存在になる筈です。その際に、死んで当然の私が、周囲の人から見られていたことを思い出すでしょう。それを思うと、今生かしてもらっている現状に、何かを求めなければいけないと考えます。ただ生きているだけでは、価値がありません。ですから私の価値ある行動は、医療を介して、患者さんに喜びを与えることです。そして、私だけが観えたこと、閃めいたこと、思いついたことを医師を含め一般の人々にも知らしめるのが私の使命でしよう。
友人たちの中に、個性豊かで有能な人物が早死にしています。日本の臓器移植ネットワークを作った山川先生、鹿児島で適確な手術をして、とてもたくさんの患者さんを助けた倉内先生などです。おそらく、彼らは人生でやるべき事をすべて実現させたので、神様から、今度は天国で実績を上げてくれと誘われ、……早死にするのです。
患者さんの悩み苦しんでる病気を治すだけが、本当の使命なのでしょうか?
病気を治すことで、患者さんを元の状態にただ戻すことだけで、本当に良いのでしょうか?
患者さんが病気になった時点で、神さまは、その人物に意味のある試練を与えたと考えるべきでしょう。そして、その試練を乗り越えることで、それまで考えもしなかった新たな自分を見出す「きっかけ」を作ったのかもしれません。その試練を克服し、新たな自分を見出すお手伝いをするのが医師の仕事かもしれないのです。
私も残り少ない人生を気楽に遊んでいるわけにはいきません。人を助けることを使命として、現状の試練を与えられたのかもしれません。そういう意味では、70億人存在する人間の中から選ばれたと考えれば、とても光栄なことです。
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コメント
高橋先生
先生の存在は私達、患者にとっては希望です。
苦しい時も希望があると耐えることができます。
私もうつ病、慢性前立腺炎になり、病の苦しさを経験して
治療の方法を探したり、諦めたりしたなかで先生の存在を知り、
救われた一人です。
「神よ、
変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることができないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
ニーバーの祈りと言われる言霊を心にしたため、生きています。
先生、お体お大事にしてください。
近いうちに手術のご相談にお伺いしますので、よろしくお願いします。
投稿: ◯◯泰則 | 2018/09/10 10:50