PSA検査の影響
私がまだ研修医の頃のエピソードです。
毎週1回、医局の派遣で中野坂上にある佼成病院の泌尿器科に出張していました。午前中に病棟の回診と、午後には小外科手術の第1助手として、泌尿器科手術のテクニックの指導を受けていました。
ある日、病棟回診を済ませてナースステーションでカルテ記載を行っていると、看護婦さんからご注進がありました。病棟に入院中のご婦人が、回診中の私の姿を見て、『歌舞伎役者のような素敵な人なのに、何で泌尿器科医なの?』と感想を述べられたそうです。『私が歌舞伎役者?』と思いましたが、それよりも泌尿器科医を他の診療科に比較して下に見られたことが悲しい思いでした。その当時、勉強の出来る有能な医師は、脳神経外科や心臓外科に進み、有能ではない医師は泌尿器科や性病科に流れて行くと思われたのでしょう。人間の臓器に優劣をつけること自体が馬鹿げた考えです。人間は、脳だけで生きている訳でもなく、心臓や各臓器だけで生きている訳でもありません。ひとつでもダメになれば、人は生きて行けないのです。そのひとつひとつの臓器の専門医が存在している訳ですから、その専門医に優劣をつけるのは?と思いました。
年月が過ぎ、PSA検査が開発されました。初めのうちは、泌尿器科専門医だけのマイナーな腫瘍マーカーでした。しかし、泌尿器科学会の尽力により、前立腺癌が増え続けていることをアピールして、PSA検査は一般医療にも普及しました。その影響で、人間ドックや健康診断や行政が実施している検診にもPSA検査が採用されました。PSA値が高い人が見つかれば見つかる程、前立腺針生検が施行され、前立腺癌が発見されて、益々PSA検査の評価は高くなり、嬉しいことに泌尿器科医が注目され、社会的評価が高くなりました。昔は、人間ドックや健康診断で異常値が出たと言って、泌尿器科に紹介される人は皆無でした。ところが、PSA値が高い=前立腺癌?と診断され、専門の泌尿器科で診てもらいなさいという指示が多くなり、泌尿器科の外来患者さんは増える一方です。
泌尿器科の存在価値を高めてくれたPSA検査を日本の泌尿器科学会が、PSA検診のネガティヴな側面を肯定する訳もありません。アメリカでは、PSA検査に対して否定的で、PSA検査をする場合には、医師が患者さんに対して、PSA検査後の弊害やリスクを十分に説明して、納得した上で検査を実施するようにと義務付けられています。アメリカの泌尿器科の評価は昔から高く、泌尿器科専門医になるためには、外科を修得してからでなければ取れない資格なのです。アメリカ人には、前立腺肥大症が多く、前立腺肥大症の内視鏡手術はとてもポピュラーな多く実施される手術です。そんなアメリカにとっては、PSA検診の否定は、それほどの事件ではありません。
PSA検査値が前立腺癌だけに固執するから、色々と問題が生じるのです。PSA検査値が高くなるのは、前立腺癌ばかりでなく、前立腺肥大症や膀胱頸部硬化症などの排尿障害が原因で起きることが多いのです。患者さんに、そのことを告げて様々な検査を真摯に行い、その結果、問題なければ、針生検を行わないことです。排尿障害の症状で患者さんが悩んでおられれば、前立腺肥大症の排尿障害の治療をすれば良いのです。そうすれば、患者さんも泌尿器科医も両者ともにウインウインの関係になり、泌尿器科医も患者さんから感謝されるでしょう。
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