病気による人格否定
ある日、彼女から突然に別れ話がありました。
その理由が、私の家系に糖尿病の父がいるからだと言われてしまったのです。一生懸命に説得しましたが、頑として譲りませんでした。私が生まれて初めて告白した女性だったので、とても残念でした。
1ヶ月近く気分が落ち込み、医局のみんなや教授までも慰めてくれました。
同級生の間でも話題になったようです。当時の慈恵医大の医師は人間味に溢れていました。
でも、おかげで今の妻と結ばれたので、振ってくれた彼女に今では感謝しています。
自分が未だ発症もしていない病気を理由に、私の人格を全面否定された事については、今でも鮮明に記憶に残っています。
その後に分かったことなのですが、実は、病気の理由は言い訳だったのです。彼女も医師で、同じ研修医だったのですが、1年〜2年先輩医師たちを見ると、知識や技能が優秀の医師ばかりでした。それにひきかえ、付き合っていた同級生の私が、とても無能な残念な人間に思えてしまったのです。そのため、結婚相手としては却下されてしまったのです。
しかし、その後、有能に見えた先輩医師たちは、単に1年〜2年先に研修していて知識と技術があったからだということが分かり、今では、先輩医師たちの方が自分よりも低く無能に思えたのでした。それにひきかえ、病院内で忙しく走り回って活躍する私を見て、再認識・再評価して、前回の事を誤ってくれました。つまり、目の前の一瞬の状態しか評価せずに、将来的な私の伸び代を評価出来なかっただけなのです。
それ以降、他人からの自分の評価は、どうでもいいと思うようになりました。もちろん、評価されるように研鑽努力をしますが、それが重要であって、評価は二の次です。
患者さんが病気の苦しさを一生懸命に訴えても、病気だから仕方がないと言うのも、病気のせいで人格を否定された事と同じです。苦しんでいる事、ある意味、努力をしている事を評価されないという事です。
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コメント
「あなたは嘘つきだ。」
「あなたの頭の中ではドンパチドンパチ花火が上がっている状態で僕が何を言っても駄目なんだよ。
「あなたは心療内科に行った方が良い。そしたら治るかもよ。」
更にその医師は続けて
「僕は今56歳で仕事なんてしている場合じゃないんだよ。僕の家系はみんな70前後で死んだいる。
僕には仕事している暇なんてないんだよ。
遊ばなちゃ。」
【回答】
患者さんを診断・治療して患者さんに喜びを与える仕事よりも、遊んで自分を喜ばすことが重要と言っている医師の、何と愚かな発言でしょう!」
それから私のドクターショッピングが始まり命からがら
高橋先生に辿り着けたわけです。
先日、乳がん検診の為、久しぶりにその先生がいらっしゃるその総合病院を訪ねました。
その先生は泌尿器科を外れられ見事に院長になられていらっしゃいました。
その先生を恨む気持ちは微塵もありません。
その先生の持てる能力で精一杯、診てくれたのかも知れません。
{先生、良かったですね。
先生のご希望通りになられて。
出世され、おめでとうございます。}
私は届くことのない言葉を呟き病院を後にしました。
投稿: | 2017/10/07 11:02
その先生が明確な治療方針もないまま
悪戯に優しい言葉だけを言っていたら私は高橋先生に
辿り着く事が出来なかったでしょう。
その意味で私はその先生に感謝しなければなりません。
因縁因果、三世因果
世の中はままならない事の連続ですね。
それでも生きていかなければなりませんね。
少なくとも私は(私達は)高橋先生から生きる望みを
貰ったわけだから躓きながらでも生きていかなければ
なりませんね。
投稿: | 2017/10/07 11:22
「聞かれたから答えたよ。」
「相談があれば僕は応えるよ。」
かつて恋愛関係にあり結婚の話まで出た相手にその後も
頼りにされ、人としてお付き合いが出来るなんて、
なんて羨ましい関係なのだろう....と、
手術台の上で天井を見ながら私は思いました。
「50を過ぎたら男と女を越えて人として付き合っていく。そうすると楽に生きていけるよ。」
間もなく50になる私はこれから出会う人を含め関係性がそうなっていくと期待して.....
生きる事に希望を持ちたいと思っています。
投稿: | 2017/10/07 14:39