運命と宿命
運命には、宿命と狭い意味での運命に分ける事が出来ます。
人間に生まれれば、人間としての人生しか歩めません。当然、犬にはなれません。逆に、犬に生まれれば、犬としての生活があるだけです。人間にはなれません。これが宿命です。
人は努力すれば、努力しない人に比較すれば、成功者になるチャンスは多くなります。これが運命です。運命のファクターはいろいろあります。勉強すること、社交性を身につけること、技術を磨くこと、色々な資格を取ることなどです。しかし、運命を左右する要因があるからと言って、必ずしも運命が希望通りに変化するとは限りません。もっと不確定要因があるのです。
宿命と運命に関して、インターネットで調べると、次のように記載されています。宿命の「宿」は「宿る」ではなく、「前世からの」という意味で、前世から定まっている運命のこと。
運命の「運」は「運ぶ」ではなく、「巡り合わせ」という意味で、人間の意志に関係なく巡ってくる幸、不幸のことである。
宿命は生まれる前から決まっているものなので、変えることのできないもの。
運命は人間の意志によって幸、不幸を左右することはできないが、巡り合わせによるものなので、日頃の行いや選択の積み重ねにより、結果として変わるものである。
「宿命のライバル」というのは、まるで前世から決まっていたような、絶対に避けられないライバルという意味で使われる。(アンパンマンとバイキンマンは、生まれる前からの宿命のライバル)
親族に心筋梗塞、脳梗塞や高血圧の人がいれば、血を受け継いだその人も動脈硬化の疾患になりやすいのも宿命です。親族に癌患者が多ければ、癌家系ですから、血を受け継いだその人も癌のなる確率が高くなります。これらも宿命です。
私の父は、糖尿病で脳梗塞が引き金で他界しました。私に糖尿病と脳梗塞を始めとする動脈硬化になる、これも私の宿命です。
能力のない人が、懸命に努力して出世したとすれば、それは運命です。能力の無いのは宿命ですが、人生や社会生活において、それを凌駕する努力の結果が、運命です。運命は人間の意志や努力によって、針路や結果が異なります。大した頭も無く、2年間も浪人生活を送り、辛抱強く努力して医師になれたのも、私の運命です。しかし、前世で私が医師で、「来世も医師になるぞ!」と誓っていたとすれば、今の私は宿命です。
私が妻と結婚したのは、普通に考えたら運命でしょう。しかし、前世で「今度生まれ変わったら、また一緒になろうネ」と約束していたとしたら、それは、宿命です。
宿命は、人生の土台です。その土台が、土地柄、家柄、生まれた階級・環境、社会的地位、知能指数や能力、家族の力量、容姿などの外見です。その土台に何を築き上げるかが運命です。土台である宿命がどうであれ、個人の努力による運命で方向性は全く異なります。運命の到達点は誰も知りません。それこそ、「神のみぞ知る」です。
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