行間
情報や知識は、イラスト・写真・データ・文章という形で私たちの前に現れます。
それを読むことで、情報や知識を獲得します。しかし、100人の人が、同じように読み、100人が同じクオリティで獲得できるかというと、決してそのようなことはありません。100%獲得できる人もいれば、10%程度しか獲得できない人もいます。
例えば、小説を読むのと同じです。ただ、ひたすらに字ヅラを追っても、作者の意図するところは分かりません。読む側が、意識を持って一生懸命に理解しようとしなければ、あるいは文章の行間を読まなければ理解できません。斜め読みの通読だけでは、本当の理解には結び付きません。精読し、何回も何回も読まなければ、作者の気持ちになって読まなければ分からないのです。
受験の講師で有名な林先生は、試験問題の小説の一節を読みながら、小説の作家の気持ちはもちろんのこと、出題者の意図まで読むのです。
それと同じで、患者さんのデータを見るだけの診察・診療では、患者さんの訴えること、つまりは、病気の意図するところは、データだけでは読めないのです。
病気はまるで、思いを伝えてくれない、秘密を守る「言わザル」のようです。
医師はデータには出て来ない、病気の本当の意図を言わせるように、あらゆる方向から検査を行なわなければなりません。「押してダメなら引いてみな」的な検査を選択し、「言わザル」に言わせるのです。その言わせる能力が、医師の才能になります。知識をたくさん持っている、技術が巧みだからと言って、必ずしも才能があるとは限らないのです。
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