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必然

Img_0046近所の50代の男性が、風邪を引いたと言って来院しました。
一目見るなり、「影が薄い!」のです。患者さんは風邪症状しか訴えないのですが、こちらから根掘り葉掘り質問すると、胸の不快感を訴えたのです。そこで心電図を取ったら、今までに私が見たことのない所見でした。そこで、近くの循環器専医師を急いで紹介しました。循環器の医師も驚いて、近くの日赤病院行かせたところ、ICUに緊急入院しました。しかし、日赤病院でもだんだん手に負えなくなり、五反田のNTT病院に転院させました。その転院した当日に患者さんは亡くなりました。私が診たのが木曜日で亡くなられたのが日曜日でした。原因は風邪のウィルスによる「劇症型心筋炎」でした。


1ヶ月半前に、私が前立腺肥大症の手術をした患者さんのエピソードです。
術後の定期検診で、埼玉から来院しました。一目見るなり、「影が薄い」のです。ごく稀に、術後心内膜炎になる患者さんが存在します。それを疑って、いろいろ質問しましたが、答えはNOでした。さらに根掘り葉掘り質問すると、「最近、何となく胃が重い」と言うのです。そこで、埼玉地元の大きな病院で「精密検査を受けなさい」と指示しました。特に胃カメラを必ず受けるようにと念を押しました。2ヶ月後患者さんが来院しました。すると、影が正常に戻っているのです。「何かしましたか?」と尋ねると、胃カメラで胃ガンが 見つかり手術をしたとのこと。結果は、一番悪性度の強い胃ガンで、本当に早期発見だったとのこと。それから10年経過していますが、患者さんは今でも時々顔を見せに来院されます。


小学校の同窓会が47年ぶりにありました。子供の頃に色の黒いと思っていた友人男性が、何となく白っぽく見えるのです。私が白内障手術後で眼には人工レンズが置換されていましたから、私の能力は消えたと思っていました。久しぶりに会うと、変わるなと思っていました。翌年に還暦の同窓会が開かれました。すると、その友人が元の黒い肌に見えるのです。「?」と思っていたら、その友人がみんなの前で報告があると言うのです。前回の同窓会の後、大腸ガンが見つかったと言うのです。発見当時に「手遅れ」と診断されました。彼は助けてくれる医師を探し当て、奇跡的に手術は成功したのです。しかし、肝臓に転移が見つかり、来月手術の予定だというのです。来年の同窓会に出席できればと言葉を終えました。私はその時に来年も会えると思いました。白くないからです。翌年、彼とは元気に再会できました。


以前に馬込に住んでいて、千葉に転居した患者さん家族が来院しました。ご両親と幼稚園児の男の子です。昨日、男の子が腹痛を訴え、地元の小児科を受診したら、風邪の胃腸炎と診断されました。翌日になっても腹痛が改善しないため、わざわざ高橋クリニックに来院したのです。一目見るなり、「影が薄い」のです。さっそく、お腹を拝見すると、腹筋のシックスパッドが見えるのです。幼稚園児のお腹ではありません。明らかに腹直筋の筋性防御、つまり腹膜炎症状です。すぐさまエコー検査を行いました。腸閉塞でした。大田区の総合病院を知っていると言うので、「腸閉塞」の診断で紹介状を書きました。行った病院では「虫垂炎」の診断で手術を始めたら、途中で腸閉塞と分かり、二カ所もお腹に傷を付けたのです。その後、手術は3時間以上もかかり、腸閉塞の原因は腫瘍だったのです。幸い、その腫瘍は良性で、事なきを得ました。退院後、家族一同で来院し感謝の言葉をいただきました。


PSA値が高いからと言って、大阪から来院された患者さんのお話です。
一目見るなり、「影が薄い!」と見えました。さっそく、エコー検査と触診を行いました。予想通り、明らかに前立腺ガンです。正直に患者さんに伝えました。すると、患者さんは、当院で治療を行いたいと言うのです。遠方で影の薄い患者さんを治療するのは忍びないと思いました。「私の治療は、一般的な方法ではなく、独特です。大阪で治療されたらいかがですか?」と答えました。患者さんは、構いませんと答えました。すると、その時に一瞬で影の薄さが消え、正常な濃さになったのです!私の治療でこの患者さんの命が延びた!と思えた瞬間でした。リアルタイムのこの変化は、初めての経験でした。


一時期マスコミを騒がしたロサンゼルス事件の三浦氏がアメリカの警察に逮捕されました。護送される映像がテレビニュースで放映されていました。たまたまテレビを観ていた私は、「影が薄い!」と感じたのです。あれほど精力的にマスコミに出演していたのに、「随分とやつれたなぁ?」と思いました。すると、その翌日、彼は留置所で自殺したのでした。テレビ越しにも感じるイメージだと初めて認識しました。


Img_0047平成26年の12月のある日の朝、鏡を見たら私自身が「影が薄い?」と見えるのです。「6ヶ月の命?」に見えるのです。慌てて、自分で採血をしたら、結果が慢性腎不全でした。その時から、腎不全の闘病生活が始まったのです。今では、影は正常に見えます。
私の6ヶ月の寿命が見える能力は、この日のために存在した能力だったのかもしれません。ある意味で、私に課せられた「必然」の能力だったのです。まるで、線路を走っていれば次々に駅を通過して、終点にたどり着くようなイメージです。


原因不明とされている数多くて泌尿器科の病気を、私の独自の考えで治療し、効果が得られるのも必然です。泌尿器科医の私が慢性腎不全になり、真剣に慢性腎不全を勉強したのも必然でしょう。直面するさまざまな障壁やいろいろな形態の障害も必然なのでしょう。

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コメント

「私は高橋先生にとんでもなくイヤ~なお誕生日プレゼントをあげちゃいましたね。」

去年の今日、私は数回目の手術を高橋先生からやってもらいました。

確か今日は高橋先生のお誕生日でしたでしょうか?

先生、65歳、おめでとうございます。
去年の今日も私の頑固な身体はなかなか麻酔を受け付けてくれず高橋先生を随分、困らせました。

「本当だよ。僕の寿命が縮んじゃうよ。(笑)。」
二人で笑いましたね。

あれから一年、まずは高橋先生、本当によく戻ってきて下さったと改めて喜びと感謝が沸きます。

高橋先生、どうか長生きされて下さい。
どうぞ、どうぞ、素敵な一年でありますように。

投稿: | 2017/05/21 14:23

先生ご苦労様です。
無限の扉が開きますように。


投稿: 羽まるまる | 2017/05/21 16:01

先生
人間ドッグを受けるよりも先生に影を診てもらうことがいいのではと思います?メールや電話では影を診ることは出来ないのでしょうか?
【回答】
私は超能力者ではありません。
たまたま自分が自覚した感覚です。
100パーセントの診断率ではありません。

投稿: 慢性前立腺炎 | 2017/05/21 19:46

「大丈夫だよ。あなたは90くらいまで生きるよ。
そういうふうに見えるよ。」

二回目の受診の際、高橋先生はそう仰いました。

とても90までは生きれるとは思っていないですが、私も49になり若くもなく、しみじみと生と死を考えるようになりました。

一体どういうふうに生きていたら寿命がもらえるのか?
どういう生き様なら危機一髪から戻ってこられるのか?
戻ってくる事ができなっかた人は何が違ったのか?
運が良いとか悪いとか、そんな事では片付けられない
何かがそこには必ずあるように思えてなりません。

高橋先生、息子が大学受験の年となりました。
息子が産まれた時、私はある病気になり
「この子が20歳になるまで生きていたい。」と、
毎日祈ったものです。

「生きるとは苦の連続
 生きることはままならない事。」

この三年間で私が高橋先生から学んだ事です。
静かに悟る事を私に教えて下さった高橋先生に改めて
御礼申し上げます。

今日は日曜日。
きっと素敵なお祝いとなられた事でしょう。

どうぞ、どうぞ、皆様でお幸せに。


投稿: | 2017/05/21 20:34

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