名医 内藤寿七郎 先生
名医と称される医師がいます。
故人ですが、愛育病院院長だった内藤寿七郎(ないとうじゅしちろう)先生です。
この先生とは、直接お会いしたことはありませんが、妻から、その御様子聞いて間接的に知っています。
娘が入園していた幼稚園の園医として、定期的に健診されていました。入園初めての診察の時に、娘の資料を見ずに、一目見るなり、「ノド風邪を引きやすいですね?」と妻は尋ねられたそうです。その通りなのでビックリです。「大きくなったら、治りますよ。」と言われました。確かに、その通りになりました。
また、娘の友人のお母様からお聞きしたお話しによると、やはり同じ状況で、聴診器も当てずに、一目見るなり「喘息持ちですね?」と言われたそうです。娘と同じく正解でした。私がそのお子さんを拝見しても、外見的にはまったく健康なお子さんにしか見えませんでした。
私も、頻尿のご婦人や慢性前立腺炎の男性患者さんを一目見れば、外見だけで8割がた分かりますが、さすがに診察前に即診断の自信はありません。内藤先生は、私には見えない、のど風邪や喘息の幼児を見分けることでき、それを口にするのです。さすがに名医と称される医師です。
東京大学の主任教授にはならなかった内藤先生は、大学の出世街道からすれば、主流ではありませんでした。しかし、当時の東大小児科の主任教授は誰も知りませんが、内藤寿七郎先生は有名です。学問的に有名であるのと、能力は別物ですネ?
先進国の中で、乳幼児死亡率が高かったのが、日本とトルコでした。先進国の乳幼児死亡率は、出生数1千人あたり20人前後でしたが、 日本の乳幼児死亡率は、100人越え、多い地区では160人も超えました。原因は、当時の乳幼児の栄養失調が原因でした。その原因を突き止め、裕福ではない当時の日本で出来る対策を工夫し確立したのが、内藤寿七郎先生でした。
【参考】
「小児科医者 内藤寿七郎物語」赤ちゃんとママ社
【備考】
1906年10月23日 - 2007年12月12日)は、日本の医学者、小児科医。元日本小児科医会名誉会長、日本小児科医会の初代会長。東京帝国大学医学部卒業。
日赤中央病院小児科部長、愛育病院小児科部長、愛育病院院長などを歴任。1992年、日本人として初めてシュバイツァー博愛賞を受賞。
2007年12月12日、腎不全のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去、101歳没。
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