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第115噺(145噺中)「転倒」

私がやぶ医者であることをカミングアウトします。そこで私の体験談をここで披露します。

私は1年前から、転ぶことが多かったのです。自分の不注意や歳のせいで、運動能力が低下したからだと思っていました。
例えば、自宅周囲は坂が多く、坂を下っている時に、前のめりに転倒し、顔面や両手を怪我しました。坂の段差が原因と解釈していました。
クリニックの勝手口から院内に入る時に、照明がついていなく暗く見えないので、足をつまずきました。2度ほど転倒しました。
自宅の三階から降りている時に、三階と二階の途中の踊り場でつまずいて、踊り場にいやっと言うほど体を打ち付けました。建て物全体に響き、大きな音がしたので、娘が驚いて玄関から出て来ました。その光景を見られてしまいました。
最悪だったのが、自宅の段差で転倒し、後頭部を強打し、一時的に意識消失しました。

医師として思いつく病気が、パーキンソン病、下肢動脈閉塞症、小脳失調症、脳梗塞、高血圧、糖尿病の神経障害でした。
大学病院の主治医に相談してみました。様々な検査を行いましたが、結論は出ず不明でした。
そうこうしている内に、歩いく距離が100メートル〜200メートルしか歩けなくなりました。脊柱管狭窄症の間欠性跛行が考えられましたが、MRI検査でも所見は得られませんでした。
その内、歩けなくなり、大学病院に車椅子で行くことになったのです。

結論から言うと、慢性腎不全による尿毒症だったのです。何のことはない、1年前からの転倒は、この病気の初期症状、前ぶれ、前兆だったのです。
一見何でもない日常生活の転倒という現象が、実は命取りの病気のサインだったのです。
私の使命を悟りました。私の一人の残りの人生を、神様は一つの病気の証明にしたかったのです。耐えられる私を選択したのです。

たかが転倒、されど転倒、重大な致死性の病気は、体を利用して常に訴えているのです。

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コメント

えええ!?
後頭部の裂傷時以外にも、そんなに転倒されて
たのですか‥‥?

こう言ってしまっては何ですが、先生の骨格及び
筋肉は存外丈夫な構造だった事が、証明された訳
ですね。
普通、それだけ転ぶと何らかの不都合が起きそうな
気がします。
自分自身も自転車乗車中に転倒し、肩鎖靱帯断裂やら
頭部打撲による一時記憶喪失やらの目に遭いました。

しかし全てが腎不全から来る尿毒症に起因していた
とは。
血液透析で尿毒が除去され、身も心も軽くなられた
先生が、奥さまや愛犬と元の様に散歩されていると
知り、心底安堵しております。
歩かれる距離が伸びると共に、体力も回復されると
よいですね。

投稿: NT | 2017/03/25 12:12

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