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宇宙と私

生命は、この地球上に誕生し、その生命に応じた食事をし、動き回り、生殖を行い、子孫を残す。その間、病気や怪我で苦しみ、死の恐怖に怯えながら死ぬのです。地球誕生から、このサイクルを延々と繰り返しています。コオロギだろうと、トカゲだろうと、馬だろうと、人間だろうと、ほとんど同じライフサイクルです。

エネルギーの観点から見ると、生命は一時的にエネルギーを集約し、その後エネルギーを発散しています。つまり、エントロピーを小さくしてから、エントロピーを増大させているだけです。これの繰り返しです。

これに、一体何の意味や価値があるのだろうか?

私は、たまたま医師になり、人様の命に関わる仕事を生業にしているが、永遠の命を与える事はできません。自分の病気ですら満足に治せない私が、医師として病気を治すといっても、ほんの一時で、必ず他の病気や老衰で人は亡くなるのです。医師の私が言うのも変ですが、現代の効率優先の社会の常識からすれば、非常に非効率な無駄な行為です。その極端な例が、相模原の大量殺傷事件でしょう。

しかし、この疑念を払拭できる何か理由があるあるはずです。

一神教の宗教、すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教に入信したとしても、この回答は得られません。なぜなら、教義は、神が世界を滅ぼし、その際に神を信じ、神の教えを順守した者だけを天国に再生させ、永遠の命を与えるというものです。それだけです。永遠の命を与えられたとしても、食事をし、動き回り、生殖を行い、子孫を残すことに変わりはなく、今生きている私たちと同じです。生きる意味の回答にはなりません。

仏教は、苦しみの世界であるこの娑婆から、時間的にも空間的にも離脱、独立するために、仏という存在になるための教えです。究極、この宇宙空間で物理的にも時間的にも何の束縛もなく自由でいられる存在になります。しかし、そんな超人になって、何の意味があるのだろうか?仏教も生きることの意味を答えてくれません。

どんな宗教でも回答は得られません。生命の存在価値を追求するのなら、生命が拠り所にしている地球を知れば、分かるかも知れません。地球が拠り所にしている天の川銀河を知れば、分かるかも知れません。天の川銀河が拠り所にしている宇宙を知れば、分かるかも知れません。

目の前に山河があり、木々が生い茂り、青空が広がり、雲が流れています。そのような中で座禅や瞑想をすると、無の境地になり、周囲の環境と一体になれるかも知れません。修行を繰り返すうちに、周囲の環境を超え、地球と一体化し、さらには銀河、宇宙と一体化できれば、回答がみつぁるかも知れません。

お釈迦さまは、悟りを開いた際に、その回答を得たかも知れないのです。しかし、その驚くべき内容に、具体的には説明していないのでしょう。

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コメント

お釈迦さまは自身の悟りの内容をあえて説明しなかったのは言葉や文章で説明すると本質を離れたものになってしまうからだと思います。
私も永年参禅していますが、いつもなぜ具体的な説明がないのか疑問に思っていました。
多くの老師達に聞いてもただ座禅しなさいとしか答えてくれません。
何とかその意味が座禅を通して少し解ってきました。
人から同じ質問をされた時私も同じように座禅をしてくださいと言うと思います。
周囲の環境と一体になるという感覚は訪れませんが、訪れたという感覚になればそれは錯覚なのです。
本当に一体になった時には一体になったという感覚さえないのです。
ただ時間が一方向に流れているだけです。
私は時間という方向性を持ったエネルギーこそが、アインシュタインでも到達できなかった統合理論の入口だと思います。
物理学と数学とスーパーコンピューターの爆発的な統合がなしえた時、統合理論の解明があるかもしれません。
その時宇宙になぜ生命があるのか、なぜ生命は個体としては有限なのか解る時が来るかもしれません。
徐々に解明されるのではなくて解明される時は一瞬だと思います。

投稿: 京都在住 | 2016/08/22 19:56

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