64歳2ヶ月と18日
私の父が脳梗塞を発症し、1か月の闘病の末、大学病院で亡くなったのは、64歳と2ヶ月18日でした。
最後は私が大学病院の病室にいて、深夜、心肺停止になった時、当直医が駆けつけるまでの時間に、私が心肺蘇生の処置を一通り行いました。遅れて駆けつけた当直医に、死亡の判定を促しました。まるで年寄りのお爺さんの衰弱した父を見て、涙がこぼれました。軍人上がりのこわい父親でしたが、その分悲しかったのです。
長男を医師に育て、その長男に看取ってもらったのだから、ある意味しあわせだったかも知れません。
医師である私は、株の相場師であった父よりも、せめて一日でも長生きをしなければと思っていました。先日、8月9日が、私が64歳2ヶ月18日に当たる記念すべき日でした。私だけが、心の中で密かに思っていた記念日でした。その日から私は父よりもお爺さんになるのです。
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コメント
診察や手術の際、度々お父様のお話をされる高橋先生。
きっと一日も忘れる事もなく、しっかりと心の中にお父様がいつもいらっしゃるのでしょう、と、感じてました。
ご自身のお身体を庇おうと思えば業務縮小する事も可能なのに、走り続ける理由にはきっとお父様の存在があられるのでしょう。
私には高橋先生しか頼る人、すがるところがなく先生のお身体を思えば申し訳なく思いながら
頼ってしまいます。
同時に高橋先生のお父様にもお詫びの気持ちです。
投稿: | 2016/08/30 11:00
ガチガチに緊張していた初診を終え二回目の受診の際、高橋先生は既にお父様のお話をされていらっしゃいました。
本当の親孝行とは親を超える事。
私が教わった法華経では絶えず、そう言っていらっしゃいました。
高橋先生もお父様を深く愛し、男としてその生きざまに憧れ、ずっとずっとその背中を追っかけていらっしゃるのですか?
絶えずお父様のお話をされる高橋先生に深く強く愛され続けていらっしゃるお父様に喜びさえ感じます。
「真剣勝負」と、度々おっしゃる高橋先生。
私も尚、「真剣勝負」でこの病に向かい合っています。
投稿: | 2016/08/31 12:19
膀胱ガンで亡くなった父との最後の会話は私からの「長い間、ありがとう。」だけで、それが精一杯でした。
その頃まさか自分にも膀胱の病気が隠れていたとは露知らず今となっては遺伝的要素もあるのでは?と、思っています。
父も一度でも高橋先生に診てもらう事が出来ていたなら……
通院可能な首都圏に住んでいたなら……
もう少し生きる事も可能だったのかもしれません。
ドクターショッピングを繰返し心身ともに疲れ果てた私が倒れ込むように高橋先生に辿り着けたのも、もしかしたら父の必死な導きだったのかもしれません。
だから私も必死で病と向き合っています。
「僕の親父は苦労した。だから僕の母も苦労した。」
一度だけ、そう言われた高橋先生。
高橋先生もまた、親を思い親を愛し親を超えようと走り続け努力されていらっしゃるのですね。
投稿: | 2016/09/04 07:57
膀胱ガンでなくなった私の父は「努力」という言葉を私によく言って聞かせてくれた人でもありました。
貧しい農村の貧しい農家の長男に産まれた父は、その極貧生活から修学旅行にも行く事が出来ず親の手伝いや子守りは当たり前だったようです。
そして私が記憶している父はいつも働いていて正にその一生涯は働きづめであったように思います。
私がこの三年間この病と向き合い自分なりに「努力」してこれたのは父の言葉と同量に高橋先生との関わりがあったからです。
私は高橋先生の、その飾らない人間臭さについてきました。
「努力」は一人では出来ません。
どんな場面でも力を貸してくださった高橋先生には今も感謝の気持ちしかありません。
27日、宜しくお願いします。
投稿: | 2016/09/18 19:41