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第百噺(145噺中) 「病気は、もう一人の自分」

毎日多くの患者さんを拝見していると、症状が容易に落ち着く患者さんもいれば、なかなか安定しない患者さんもいます。そして気づくことがあります。
おそらく、未病状態が長く続くと、その患者さんの中に別人格が形成されるのでは?と考えてしまうのです。
でも、その患者さんの作る別の人格ですから、病気も、その患者さんの個性にとても似るのです。
頑固な人であれば、病気も頑固です。細かい人であれば、症状が細かく多彩です。個性的な人であれば、病気も個性的と考えられます。

数値だけの異常であれば、患者さんの苦しみはありませんが、痛み、違和感、痒み、しびれ感などの不愉快な感覚があると、患者さんは悩みます。

このことを正直に患者さんにお話をします。すると、怒るかと思いきや、患者は妙に納得頂けます。治療の心構えとしては、別人格の自分と戦うのではなく、もう人の自分と折り合いを付けるようにすることです。ご自分と戦って勝てる訳でもなく、両者が自滅するだけです。

私も頑固な人間ですから、私の病気である慢性腎不全も頑固で決して治らないと自覚しています。頑固な自分と折り合いをつけながら、細々と生きる覚悟です。

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コメント

私は高血圧で降圧剤をもう10年も飲んでいます。
上が200を越えても自覚症状がなく一歩間違っていたら、もう生きていなかったかもしれません。

排尿障害、間質性膀胱炎、という事で陰部の傷み痒み途切れる事のない尿意の日々で本当に苦しくて一体どうして生きていったら良いのかわけがわからなくなる時があります。
そんな時は自覚症状のない高血圧の方がよっぽど楽だと思ってしまいます。

「知らぬが仏」で排尿障害を長年、無自覚で生きてきました。

今から取り戻せるか?
日々、格闘中です。

先生、これからもどうか宜しくお願いします。
英知をお貸しください。


投稿: | 2016/08/04 16:28

先生、お疲れ様です。折り合いの世界、わかります。明日も良い日でありますように。

投稿: 羽○○ | 2016/08/04 21:19

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