« オリジナル | トップページ | 荒汐部屋後援会 »

○○浄土

お釈迦さまは、仏陀、如来という一般の人間とはステージの次元が異なるスーパーマンです。
遠い太古の過去から遥か悠久の未来まで視通すことが出来ます。いわゆる、空間や次元や時間を超越した千里眼ともいうべき能力の持ち主です。
この能力を利用すれば、現代の日本を観ることも出来たでしょう。もしかすると、21世紀の日本を今現在見学しているかも知れません。

もしも、お釈迦さまが現代の日本を観ていたら、どのようように思われたでしょうか?
貧富の差の根源であるインドの厳格な身分制度=カースト制度はなく、きらびやかな服装をして大きな象に乗って行進する王族も存在せず、身分の高い人も、一般のサラリーマンも同じような格好で通勤している光景を見て、おそらく、この世界は平等な社会だと思われたに違いありません。

若い男女は似たり寄ったりの服装で、一見して男女の区別がつかないモノセックスな印象です。男女の区別がないのであれば、煩悩の一つである性欲がないだろうと思われてもおかしくはありません。この様子は、阿弥陀如来の支配する極楽浄土そのものです。

インターネットで世界中の人間と一瞬にして意思の疎通が可能な現代社会を見れば、「縁」という概念が想起できたかも知れません。インターネットやSNSで悪口を言えば、何千倍にもなって悪口が返ってくるし、良いことをつぶやけば何倍にもなって称賛される現状を知って、「因果応報」の智慧を得たかも知れません。

瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれた患者さんが、病院の努力により生還した様子をご覧になって、お釈迦さまは「ここは薬師如来の支配する浄瑠璃浄土?」と思ったかも知れません。

大地震・大災害の後、たくさんの被災者が整然と順番を待つ光景を世界中が新聞やニュースで放映していましたが、お釈迦さまもこの光景を見られて、「この世界の住人は何と高貴な人たちなんだ!」と思われたことでしょう。やはり、極楽浄土に違いないと思われたでしょう。

Fuji_2
海と湖に囲まれた森林豊富な富士山を眺められ、「これこそが須弥山だ!」と思われたに違いありません。

インドや中国や日本の夢見た極楽浄土は、何のことはない現代の「日本」だったのです。私たち日本の住人は、極楽浄土の住人でもあるのです。大昔、阿弥陀如来に祈願して「南無阿弥陀仏」と唱えると極楽浄土に生まれ変われるという信仰は、結局、現代日本に生まれ変わるということだったのです。
今、あなたのそばでジロジロ観察している人が、もしかすると過去から飛んできた興味津々のお釈迦さまかも知れません。

【備考】すべて私のファンタジーです。

|

« オリジナル | トップページ | 荒汐部屋後援会 »

コメント

仏教でいう「縁」とはインターネットそのものだと思います。2500年前に釈迦が考えた蜘蛛の糸で、どこを切ってもつながっています。
世の中には一つとして独立しているものはありません。
その状態を禅では「無我」といいます。
自分が独立してあると思うから苦悩が生じると禅は説きます。
一切は縁で繋がっているのです。
不生不滅ということです。
大宇宙も同じことです。
すべての銀河やダークマターはつながっているのです。
座禅をしているといろいろな雑念が湧いてきますが、時折
そよ風の様に無我に自分では気づかないままになっていることがあります。
大宇宙と自分の区別がなくなります。
これは単なる脳の錯覚か、生物の本来持っている能力かわかりません。
ただ毎日座禅をしていると時空とは出入りの出来るエネルギーかもしれないと思います。

投稿: 京都在住 | 2016/06/07 20:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« オリジナル | トップページ | 荒汐部屋後援会 »