欲
仏教では、人間に五感があり、それに関連して五欲があるそうです。
それは、色(しき)・声(しよう)・香・味・触(そく)の五境に対する愛と、それらに起因する財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五つの欲望です。
人間は生きるために五感というセンサーがあるのに、生きることを長く続けるとセンサーに翻弄され、五欲に毒されることになるのです。始めは主人だったのが、悲しいかな?次第に奴隷になり下がるのです。
それらの欲が悟りの修行を妨げるものと考えられています。そのため、阿弥陀如来の世界てある極楽浄土には、性別がなくなり、愛欲が消失するので悟りが必ず得られるようです。
薬師如来の世界である浄瑠璃浄土では、病気がないので、病による苦しみが消失するので悟りが必ず得られるようです。
私も大学に在籍していた頃は、出世欲が少しはありました。教授になれたなら・・・などとです。しかし、ギラギラの先輩や後輩を見ていて断念しました。
開業してからは、開業医でも有名になれるかも知れないと考えていた矢先に、インターネットが普及し、ブログをチマチマ書いていたら、だんだん面白くなり続けていました。ブログの読者が増え、無名の医師である私が次第次第に有名になりました。患者さんもたくさん来院され、収入も上がりました。
患者さんが増え、収入が増えると、あさましいことに物欲が芽生えます。高級腕時計が欲しいとか高級外車を次々に買い替えるとか愚行を続け、物欲もそれなりに満たしていました。
しかし、私が死と隣り合わせの病気になった途端、物欲が冷めてしまいました。なぜなら、自分の命さえもままならないのに、モノに固執しても虚しい、空しいと悟ったのです。
今では、自分の仕事を使命と考え、悩める患者さんに明確な喜びを提供できる治療者になるべく生きています。
【備考】
「欲」という漢字は表意文字です。神様へのお願いを奉納する「サイ」という器が「口」で表現されていて、それに向かってお祈りをし、その「サイ」から立ち上る神託を「谷」という字に込めているのです。希望する神託が得られますようにと欲するので、「欲」という字になったと言われています。
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コメント
本当に、「死」と隣り合わせになること、遭遇することで「生」というものを強く感じ、意識できるようになりますものね。
私も、クライアントさんの喜びこそが、この上ない喜びです。
投稿: カボスワイン | 2016/05/13 13:22
仏教とりわけ禅の世界では人間の逃れられない苦悩とは四苦八苦とういう言葉で表されます。
四苦というのは生老病死のことです。
後の四苦は愛別離苦(愛する者との別れ)、怨憎会苦(本当に出会いたくないものと出会うこと)、求不得苦(求めても得られない苦しみ)、そして五陰盛苦(すべての感情や身体から生じる苦)と定義しています。
私も永く参禅していますが、なかなか欲望をコントロールすることができません。
物欲や名誉欲、虚栄心は子供のころから育った環境のせいで(花街に生まれ育ち、それらの愚かさを子供のころからいやというほど見てきているため)ほとんどないのですが、命に関する執着だけは捨てきれません。
ニーチェは釈迦のことを宗教家ではなく、非常に怜悧な頭脳をした大脳生理学者だと言っています。
赤塚不二夫さんの天才バカボンのバカボンとは悟った人もしくは悟りをインドの古い言葉で言います。
レレレのおじさんという掃除ばかりをしているキャラクターはお釈迦さまからいつもあなたの煩悩を掃除しなさいと言われて悟りを開いた人なのです。
赤塚不二夫さんは手塚治虫さんから仏教の薫陶を受けられたようです。
赤塚不二夫さんは作品の中で「これでいいのだ」といつもいわれています。
本当の真意は「あなたはあなたでいいのだ」ということだったそうです。
投稿: 京都在住 | 2016/05/13 15:23
「お金というのは他人のために使ったり他人に喜んでもらうために使うものだと僕は思っている。金、金、金、と金儲けに走った金は知らず知らずのうちにこぼれていくものだよ。そういう人は金は貯まらないよ。僕だって金儲けに走ろうと思えば走れるけど、これくらいで許してもらえるかな?と、思っている。」
いつだったか高橋先生がそう話され余りの感動に気が付いたら涙がほほを伝わっていた私に
ちょっと困ったようなお顔で笑っていらっしゃいましたね。
この病気になり私も日に日に欲が落ちていくような気がします。
ただ願うのは子供が世の中に出るまでは働ける身体でありたいという事。
夫と子供たちがいてくれれば後は何も望みません。
高橋先生を信じ高橋先生の治療についていくだけです。
投稿: | 2016/05/13 19:04