パラレルワールド
この世界には、今自分が存在している世界とは少し違う世界が同時に幾重にも存在していていると言われています。これをパラレルワールドと呼びます。「タラレバ」の世界です。あくまでもSFの世界のお話ですが、もしかしたら本当に存在するかも知れないと思う事があります。
人生を振り返ってみると、私に関しても様々な分岐点を経験しているからです。例えば、病気や怪我に関しては、幼児の時に肺炎を併発し入院しています。さらに事故で額を縫う怪我もしました。小学生の頃は喧嘩の仲裁で睾丸を蹴られました。自転車で電柱に衝突したこともあります。高校生の頃は膝の骨を折り入院手術をしました。その入院中にボヤ騒ぎも経験しました。白内障や緑内障の入院手術もしました。慢性腎不全で入院手術もしました。
それぞれの時点で、障害者になったり、失明したり、死亡しても不思議ではありません。今こうして生きているのが奇跡と思うと、…何回目かの人生かも知れないと思うのです。それぞれの時点で亡くなっている可能性もあるのです。そして、それぞれの時点を乗り切る人生を繰り返し経験し続けているとしたら、いつまで?どのような人生を経験したら完成し、私は、神様は満足するのでしょうか?
小学生の時には好きな女性に告白もできず、中学生の時も同じで、大学の時に初めて告白した同級生には、結婚を前提として付き合っていたのに振られ、その後職場で知り合った数人の女性には振ったり振られたりいろいろ経験を持っています。
職業に関しても同じです。小学生の頃は漫画家になりたく、高校生の頃は建築家になりたく、受験の滑り止めは歯学部でした。それぞれの道を進む選択肢もあった訳です。
今の自分は何回目かの自分で、前回はどの時点で挫折し、あるいはどの時点で亡くなっていたのだろうか?と思うのです。そう思うと、それぞれの分岐点、エポック、困難な時に、『前回は、これで、この時点で挫折したのかな?』と考えると、何とか難局を乗り超えることができるような気がします。
無限に存在するパラレルワールドの世界…そして無数に存在する私…しかし、「今の自分」は、この時空間で私ひとりしか存在しないと考えると、とても貴重な私です。ある意味、「オンリー・ワン」です。
今残る主だった宗教は、人生は辛いものだということを前提にして存在するように思えます。
仏教も創始者のお釈迦様は、人生は四苦八苦だと説いています。転生輪廻で何回生まれ変わっても、例え天国であっても四苦八苦から逃れることはできないと説いています。それを逃れる手段が仏、すなわち如来の境地なのです。
キリスト様は、人類が絶滅する審判の日にキリスト様が現れ、幸福の天国に導いてくれると説くのです。
ユダヤ教もイスラム教も神様から与えられた戒律や教典に誠実に束縛されていれば、やはり夢のような天国に行けるというのです。
どの宗教も、辛い現実世界からの逃避の方便とも取れます。
私の考える「パラレルワールド」も、そうなのかも知れません。
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コメント
受診カード34237です。
人生には本当にいろいろな分岐点がありますね。
今回私の場合でも、生検を3年間も拒否続けていても信頼していた内科医の先生二人から強く勧められて受けたこと。拒否して高橋先生のクリニックにお伺いしたとしてもご入院されていて診察を受けることが不可能だったこと。
2月1日にお伺いして『あなたのしたことはベストだった」と言っていただいたこと。
永く参禅をしていると自分ではどうしようもないことが
本来の人生のあり方だとわかります。
ただそれだとたんなる虚無主義になってしまいます。
禅ではその虚無主義をもう一回否定してあるがままの生き方を受け入れるように訓練されます。
言葉でいうのは簡単ですが。実践となるとなかなか難しいのが現実です。
そういう時、禅では「禅機」と言って今現在なすべきことを
淡々と行っていくこと、不安があればあるで消そうとしないで
そのままでいることと教えられます。
京都では森田療法の専門病院があったのですが昨年閉院されました。
現在は慈恵医大がその意思をついでおられます。
三聖病院の宇佐晋一、元院長は88歳の現在も閉院後も
自宅で無料でカウンセリングをされています。
どうにもならないことをそのまま受け入れて日常生活を生きろと教えられます。
投稿: 京都在住 | 2016/03/09 08:54