第76噺(145噺中) 「病気の本質」
写真 デカルト
Cogito ergo sum(コギト エルゴ スム)ラテン語の授業で初めて覚えた言葉です。意味は、我思う故に我あり、哲学書の巻頭に出て来る有名な言葉です。
病気の症状は、病人そのものに他なりません。病気思う故に病気ありと言い換えることができます。病気を思う心があるから病気があるのです。病気は人間そのもであり、人間が病気そのものと考えるもできます。病気で苦しむということは、頭がシッカリとしていることです。例として、認知症の患者さんは、ひとたび認知症になると、それまで苦しんでいた高血圧や糖尿病や皮膚掻痒症が軽くなったり、治ることがあるのです。
地球上70億人以上の人間で病気にならない人間はいません。そしてほとんどの人が病気で死にます。災害や戦争や交通事故や事件に巻き込まれた人以外はです。
つまり人間の本質が物事を考えることであるように、病気は人間の特質・特徴であり、決して避けては通れない宿命なのです。避けて通れない宿命が病気であるのなら、それによって苦しまないように、あるいはできるだけ目先の死因にはならないようにすることが人間の希望であり本能です。それは医師の業務とも一致します。
しかし、避けて通れない病気に遭遇することも必ず出てきます。その場合、人間としてジタバタしても良いと私は思います。慢性腎不全で『にわか腎臓内科医』になりつつある私のようにです。
人生は全ての人にとって初めての経験です。何回目かだと思う人は存在しない筈です。これからどのような展開になって行くのか興味津々でもありますし、戦々恐々でもあります。
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