「旬」
食の世界には季節毎に旬の食べ物が必ず存在し、そして賞味期間や賞味期限が必ずあります。春にはイチゴ・タケノコ・タラの芽が、夏にはスイカ・桃・梨が、秋にはサンマ・松茸・栗・柿が、冬にはリンゴやミカンがあります。私にも医師としての旬と賞味期限があります。手術を行う外科医としては、62歳の私はすでに旬を過ぎています。情けない事に、視力は衰え手は震え集中力は続きません。外科医としての旬は30代〜40代であったでしょう。しかし、内科医としてならば、80歳を過ぎても長年積み重ねた経験と鋭い?洞察力で益々円熟味が増します。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生は、103歳になっても3年先まで講演活動の予定が入っている現役の内科医です。彼は96歳まで、仕事に熱中するあまり、週1回の徹夜の習慣があったそうです。60過ぎの若造の私にあっては、内科医としてまだまだ充分に賞味期間内でしょう。
「健康」も同じで旬や賞味期限があります。「健康」とは、心身全ての臓器・器管・機能が、支障なく円滑に完璧に働いている状態を意味します。そのような絶妙なバランスの状態は、人生の中でもほんの一時、つまり少年期・青年期のごく限られた期間だけです。健康診断や医師にかかろうとする時点で、健康の旬・賞味期限はとうに過ぎていると考えます。「健康」であり続ければ永遠に生き続けることが出来るのかというと、そのような事はない訳ですから、健康にも旬や賞味期限が必ずあります。だから、健康とは実体のない幻想であり、私も含め医療は「健康」という「幻想」を患者さんに提供している事になります。もちろん賛否両論あるでしょうが、ある意味、医師は患者さんに夢を見せ、その夢を食べている「バク」みたいな存在と私は思っています。
見方を変えれば、「病気」にも旬や賞味期限があります。喜んでは決して食べたくはない病気ですが、私たちは賞味期間内に、つまり旬の内にこの病気を完食しなければなりません。賞味期間内に完食しなければ、すなわち病気に負けるということです。癌に対する中途半端な対策や治療が、癌の完食を事実上妨げています。例えば、前立腺ガンのPSA検診や針生検は、その最たる物と泌尿器科医である私は考えます。PSA検診することで、ただひたすら前立腺ガン患者を増産し、その予後を悪化させているに過ぎません。前立腺ガンに完成された治療は未だないのが現実です。PSA検診の結果によって破壊検査である針生検が誘導され、ラテント癌(潜伏癌)という発見されなくてもよい、害の少ない比較的良性のガンが偶然発見され、不完全な治療をされることになるのです。結局、この病気を完食出来ない、つまり針生検したために予後を悪くしていると私は考えます。
人生そのものにも恐らく旬はあるのでしょう。人生の価値は単に長生きする事ではなく、旬の内に人生を完食する、つまり如何に充実した人生を送るかにかかっています。その充実度は各人の価値観によって異なります。仕事に生きるも、学問に生きるも、政治に生きるも、趣味に生きるも、家族のために生きるも、酒に生きるも、グルメに生きるも、贅沢に生きるも、快楽に生きるも、株や賭けごとに生きるも、すべてに「よし!」です。大きな一尺玉も小さな線香花火も一瞬ですが、パッと綺麗に花咲いて跡かたもなくすべて消えて行きます。それこそが花火の醍醐味です。人生も着火するまでは、どんな花火になるのかが分かりません。しかし、人生の「旬」を悔いなく完食し、花火のようにパッと燃え尽きたいものです。
【備考】
医師会の会報に投稿する予定の原稿です。以前の原稿を書き直しました。
| 固定リンク
コメント