第24噺 (145噺中) 「漢方」
漢方は中国発祥の医学です。
中国4千年の歴史があるとされています。しかし、当時の病気のほとんどが急性期の病気でした。例えば外傷・インフルエンザ・急性感染症などです。あけても暮れても戦争でしたから、ケガや生傷は絶えませんし、それがもとで亡くなる人が多くいた筈です。したがって外傷学として漢方が存在します。
定期的に流行するインフルエンザで栄養状態の悪い民はバタバタと死んでいました。そのためにインフルエンザの対症療法の漢方が必要になります。
漢方を知る上で重要な文献として「傷寒論」があります。「傷」と「寒」とは的を得た言葉です。当時の医学の状況が垣間見えます。
日本に西洋医学が入ってくると、急性期の疾患・病気はほとんどが駆逐されてしまいました。外傷は西洋医学の外傷学の分かりやすいノウハウで治ります。感染症は抗生剤の登場で、やはり容易に治ります。インフルエンザに至っては、抗ウィルス剤の投与でタイミングさえ誤らなければ根本治療が可能です。
ここに至って漢方薬の出番がなくなってしまいました。急性期疾患のほとんどが西洋医学で治るからです。しかし、西洋医学で完治に至らない病気、つまり慢性疾患が残されました。
4千年前の漢方医学の得意分野は急性期の病気でした。中年や老人の少なかった時代には、現代の慢性的な病気はそれほど重要ではありませんでした。需要が無かったからです。明治以降の漢方は、残された慢性疾患を相手にシフトせざるを得ませんでした。当然、過去のわずかな慢性疾患に関する知識や治療を拡大解釈して現代の治療に応用していったのです。
以前にも漢方について解説しました。
漢方について否定する訳ではありません。しかし、時代背景が異なり(戦争に明け暮れ平均寿命が短い)、気候風土が異なり(大陸性の高気圧・低気圧)、薬草が異なり(土壌の成分が異なるから薬草の成分も異なる)、水が異なり(硬水と日本の軟水)、人種が異なる(肉食系の漢民族とモンゴル系の草食系日本人)、そのような状況下で時間と空間を超越して、同じ漢方理論で患者さんを診察し治療するというのは、どう考えても無理があり非科学的です。
現代日本人にあった漢方理論体系を考え直さなければならないと考えます。
漢方薬は副作用が出ないと誤解なさっている患者さんが数多くいます。
漢方薬は、患者さんの体の状態(証・しょう)を十分に把握して、治療薬を選択しなければなりません。証の判断には幾つかの要素があります。「虚・実・血・気・水」の5要素です。それに五臓六腑が加わり証の診断をさらに複雑にします。
例えば風邪の場合、西洋医学では風邪の対症療法であればどんな時期の人にも同じ症状であれば同じ薬が処方されます。
ところが漢方では症状が同じでも風邪の時期や体調に応じて判断しますから、同じ風邪でも処方する薬が異なります。
例えば肥満で熱っぽい赤ら顔の風邪の患者さんであれば小柴胡湯(しょうさいことう)を処方しますし、憔悴しきった風邪の患者さんには補中益気湯(ほちゅうえきとう)を処方します。
患者さんの「証」判断を間違えて、病名だけで薬を処方すると、漢方薬でも肝機能障害や間質性肺炎などの重篤な副作用が出ることがありますから医師の責任は重大です。
【参考】//www.tsumura.co.jp/kampo/
【写真】多くの毒草・薬草を食べ、作用・副作用をご自分で実験し苦しんだ中国の漢方と農業の始祖「神農」は半獣半人の神
また、漢方薬は長期間服用しないと効かないとか、体質改善のためには服用するということを耳にします。これも誤解です。
漢方の有名な著書に「傷寒論(しょうかんろん)」という古典的名著があります。日本の漢方はこの名著を根拠にしているところが多くあります。もちろん漢方の流派によって別の文献を根拠にしている場合もあります。
この「傷寒論」は読んで字の如く、「傷=外傷」と「寒=インフルエンザ・風邪」のための治療法を論じています。古代中国では、慢性疾患でなくなる方はごく少数で、ほとんどの方がケガやインフルエンザでバタバタ人は死んでいました。そのため確固たる根拠で治療に当らなければならず、患者さんの診かたや薬草の煎じ方などを記したのが「傷寒論」なのです。
ですから「傷寒論」は救急の治療法を論じた著書であって、「長期間服用すれば・・・」とか「体質改善のためには・・・」などと悠長なことを言っているような文献ではありません。
ところが西洋薬の効き目や治療法が素晴らしく、現代では漢方薬の出番がなくなってしまいました。そこで西洋薬ではなかなか治せない慢性疾患や原因不明疾患だけが残され、そこに漢方薬の登場となったのです。
| 固定リンク
コメント