« 第11噺 (145噺中) 「脳細胞の死」 | トップページ | 第13噺 (145噺中) 「便秘」 »

第12噺 (145噺中) 「病気の気」

Ki
「病は気から」という言葉は、よく耳にする言葉です。一般の人にも医師にも誤解があるので、「気」について少し説明しましょう。
本来、漢方や中国医学で使用される「気」とは、精神的な気持ちの「気」ではありません。
ところが、日本には「気」という概念がなく、蒸気の「気」のように実体のない得体の知れない存在、つかみ所のない物、あるいはいい加減な存在という意味で、こころ・気持ち・精神的と理解されています。

漢方では気を「先天の気」と「後天の気」に分けます。先天の気はもともと持って生まれた気のことで、「元気(原気)」といいます。後天の気は呼吸や食事によって得られた気のことで宗気(大気)、営気、衛気に分けられます。宗気は心肺で血管内を流れる営気と血管外を流れる衛気に分かれます。営気は主に内臓を衛きは主に体表を流れる気です。

気が五臓六腑を流れることで、心気、腎気、神気などと変化します。
気の流れが滞ったり、気が減少したり、気がたまったりすることで病気になると考えます。「病は気から」というのはこの意味なのです。十分な「気」がスムースに流れないから病気になるのだと考えるのです。日本のように気がおかしいから病になるのではありません。

病気で悩んでいる人に周囲の人や主治医が、「気にし過ぎです!」とか「気にしないようにしましょう!」とか「病は気からというでしょう!」などと無神経に口にします。この言葉は、患者さんの病気は全て患者さん自信の精神の弱さや心のもろさが原因と言っているようなものです。このような言葉を決して投げかけてはいけません。

確かに人間は精密機械です。それも自己修復能力のある生身(炭素系)の超複雑な精密機械です。遺伝子レベル・分子レベルの極微に至るまで合目的な仕事を担った精密機械ですから、「複雑系」理論に登場するような別次元のパターンを生じさせます。これは金属系・シリコン系の精密機械と似て異なる行動パターン・作用パターンをとるはずです。

理系の人間の考え方は、代表的なパターンのモデル(理論・仮説)を作り、それが何度繰返しても再現されることで、そのモデル(理論・仮説)が正しいことが実証されます。この考え方は科学そのものですし、ある意味正しいことです。しかし、そこで立証された数々のモデル(理論・仮説)同士が横のつながりや縦のつながり前後左右のつながりへと発展しないのが、今の科学の悪い所です。

私がブログの中で、基礎医学(生物学・解剖学・生理学・病理学)や化学・物理学、はたまた歴史までを引き合いに出して整合性をとろうと努力しているのは、そのような欠点を排除して新しい次元の世界が見えるかも知れないと考えているからです。

|

« 第11噺 (145噺中) 「脳細胞の死」 | トップページ | 第13噺 (145噺中) 「便秘」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 第11噺 (145噺中) 「脳細胞の死」 | トップページ | 第13噺 (145噺中) 「便秘」 »