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宗教による世界観の違い

ユダヤ教ではヤハウエにより、この世界が作られました。この世界の真理は深遠で、人間ごとき存在には理解しがたい世界です。しかし、ユダヤの世界にも賢者は多く出現し、神の作ったこの世界での生き方を説いたタルムードという戒律を順守して生きれば人生は安泰なのです。この世界の真理を詳細に理解する必要はない、知る必要がないのです。

キリスト教は、神であるヤハウエがキリストとして地上に降り立ち、神の世界観を説いて回ります。この内容は「新約聖書」としてまとめられ、神と人間との正しい関係を解説しているだけで、この世界の真理を詳細に解説している訳ではありません。しかし、キリスト教では神が与えたこの世界の秘密・真理を探究・研究することには寛容です。それが、欧米で科学は発展する素地になたのです。

イスラム教は、ムハンマドの前に神アラー(ヤハウエ)の使いである大天使ガブリエルが舞い降り、神の「御ことば」をムハンマドにアラビア語で伝えるのです。この内容は、やはり神と人間との正しい関係を説くものであって、コーランとして編集されています。ここでも神の作ったこの世界の真理を詳細に解説している訳ではありません。逆に科学的手法を持って真理を追究することは、神の意に反することになります。なぜなら神の言いつけに背いて、アダムとイブが智恵の実を食したことに、神は激高したことによります。その考えを発展させ、イスラム原理主義では人間が何百年もかけて築き上げた文化や文明を破壊するのです。

仏教では、苦に満ちたこの世界から逃れる術、つまり解脱(げだつ)の方法や考え方を説いているのであって、この世界の全貌を解き明かしている訳ではありません。この世界を動かしているのは梵天という神様であって、仏の力の届かない存在です。

インドのヒンズー教にしろ日本の八百万(やおよろず)の神にしろ、人智の及ばぬ存在=いろいろな神の御業によって、人間は右往左往していることになります。その勝手気ままな神々のご機嫌を損ねないように、地元の神様を奉ります。船乗りであれば海の神様を農家であれば雨の神様と太陽の神様を敬うのです。そこには宇宙とは?世界とは?などという発想は生まれません。

ユダヤ教やイスラム教では、科学的手法を持って作られた医学は異端になります。病気や怪我は神が定めた運命か、悪魔の悪戯が原因です。ですから治療は神への祈りか、白魔術による悪魔払いが本質的な治療です。

キリスト教では、神の作ったこの世界の真理を科学的に解き明かすことを善しとしていますから、私たちが慣れ親しんだ西洋医学の活躍する場が大いに存在します。

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コメント

高橋先生はクリスチャンでしょうか? 何かしら信仰されているものはありますか?
【回答】
私は特定の宗教は信仰していません。
知識としての宗教観です。
世界中の何十億の人間が、何らかの宗教を信じて生活をしています。
その事実を知りながら、日本人は一見無宗教です。
これは世界的にも奇妙で珍しい民族です。
そして、特定の宗教に入信していると、周囲の人間に偏見を持たれるという国が日本なのです。

投稿: 間質性 | 2014/01/29 22:18

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