« 人生の1/3は寝ている | トップページ | お便り »

四苦八苦

Kugyo仏教言葉で「四苦八苦」という文言があります。
「四苦」とは生老病死を指し、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病に伏せる苦しみ、死ぬ苦しみを意味します。人間としてこの世に生を受けた以上、この苦しみから逃れることはできないという釈迦の教えです。ただ一つ、これらの苦しみから逃れられる術があります。人間、広い意味で生き物としてこの世に生まれてこなければ、言いかえれば転生輪廻のサイクルから外れることができれば、この苦しみから逃れることができるのです。それが「解脱(げだつ)」であり「悟り(さとり)」の境地なのです。
ところが、釈迦の後に悟りを開ける人間は、釈迦入滅後56億7千万年経過した時(諸説あり3千年とも5億6千7百万年ともいわれる)に誕生する筈の弥勒菩薩ということになっています。つまり、この地球上の人間がどんなに修行しても悟りを開くことができないのです。もしも「悟り」を開いたという人間が現れたら、詐欺師です。
また、釈迦の生まれ変わりと言う人がいれば、それも嘘になります。なぜなら解脱した釈迦は転生輪廻の外に存在し、生まれ変わることもありませんし、自分の説を曲げることは、過去の発言に責任を持つ釈迦の八正道の概念とも矛盾します。
われわれ一般人が獲ることができない非現実的な「悟り」「解脱」に固執することなく、四苦八苦の苦しみから逃れられる手立てはないのでしょうか?

私が毎朝のサプリメントを服用しながら、『なぜ老いや病気などの苦しみがあるのだろう?』とふと今朝思ったのです。
釈迦は、この苦しみから「解脱」以外では逃れることはできないと悟りました。すなわち苦しみは絶対的な存在・必然です。しかし、釈迦の唱える「解脱」は万人には不可能なことでもあります。この苦しみから逃れようとすればするほど、新たな「苦しみ」が生じるという笑えない現実があるのです。
「解脱」ができないのであれば、逆に開き直って、この苦しみを受け入れるのも一方かも知れません。
「四苦八苦」の中で、一番恐ろしいのは「死」でしょう。自分の存在が消滅する恐怖は、なんとも言えません。この恐怖を打ち勝つための手立てが、残りの三苦なのでしょう。生きるのが嫌になるくらいの苦しみ、老いることの辛さ、病に伏せての肉体的苦しみ、これらの三苦が、自分の存在価値を捨てる勇気、すなわち死への覚悟を芽生えさせるのでしょう。

釈迦の唱える「苦しいから逃げる(解脱)」というのでは、ある意味、現実逃避とも思えます。しかも限られた人(3千年~56億7千万年に1人)しか「解脱」できない脱出法では、不可能に近い方法です。
一方で釈迦が唱えた「物事に執着しない」という考え方を拝借すると、三苦を次のように考えることができます。つまり、生きる苦しさや老いや病の苦しさを経験して、自分の魂の「乗り物」である身体に執着しなくなって死の苦しさを乗り越えることができるのでは?というものです。三苦の苦しさを手段にして、最大の苦しさである「死」をオートマチックに超越できるのです。

|

« 人生の1/3は寝ている | トップページ | お便り »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 四苦八苦:

« 人生の1/3は寝ている | トップページ | お便り »