人生の岐路
昭和の初め頃、病気と言えば結核が一番多く、癌と言う病気があまり注目もされていなかった時代、当時の「優秀な医学生」は卒業して難病の結核を専攻しました。学校でそれほど優秀でなかった「普通の医学生」はその他の病気、例えば癌などを専攻したそうです。
ところがある時、ストレプトマイシンという抗生剤が出現し、結核菌をことごとく駆逐してしまいました。要するに難病の結核が治ってしまったのです。
優秀な人材が集まった結核専攻の医師たちは効き目のある治療薬をいかに効果的に投与するか、いつまで投与すればよいか程度の議論に終始し、ここに学問としての結核は衰退の時期に入ってしまい、世間からも結核と結核専門医は忘れ去られてしまいました。
優秀な人材が造船業に就職して、普通の人材がマスコミ・広告業に進んだ時代がありました。世の中の移り変わりと共に造船業は衰退して、優秀な人材は埋もれ、反対にマスコミ・広告業は脚光を浴び憧れの職業となりました。
どの世界も同じようなことが絶えず起きています。
さて、丸山ワクチンで有名な丸山千里先生もその一人でした。彼は日本医大の結核を専門とした皮膚科医でした。時代の流れで医学世界の興味は癌に向かっていました。そんな時に結核患者さんに癌が少ないことに気付き研究を始めたのが丸山ワクチンの誕生のきっかけです。
この時が丸山先生の人生の岐路でもありました。他のほとんどの優秀な人材であった結核専門医はそのまま埋もれてしまいました。結核が衰退し平均寿命が延びるのと同時に癌患者さんはますます増え、たまたま癌を専門として選択した「普通にできた医師」たちは、次第に脚光を浴び始め、キラ星の如く驚くほど有名な医師が多く輩出しました。
20年前、友人の結婚式で新郎のご来賓挨拶が丸山千里先生でした。離れた友人席から拝見した丸山先生は小柄で弱々しい方でした。この身体のどこから彼の精力的な研究が?という不思議な感覚でした。
【写真】 丸山千里先生
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