名犬チロリ
そこで名犬チロリの存在を知りました。日本で初めてのセラピー・ドッグでした。
チロリは雑種犬で5匹の仔犬と一緒に捨てられていました。特にチロリはキズだらけで、おそらく捨てた飼い主の虐待を常に受けていたようでした。ある子供たちがこの捨て犬を見つけて、自宅で飼えないが可哀想なので、親に内緒で使われていない倉庫の片隅で育てていたのです。
そこをたまたま通りがかった人物が、アメリカで成立したセラピードッグを日本で始めようとした大木トオルさんだったのです。彼は子供たちの気持ちを考えて、5匹の仔犬たちの里親を見つけてくれました。
後日、近隣住民の通報でチロリが保健所に確保されてしまいました。大木さんは急いで保健所に行ったところ、チロリがその当日に屠殺されるところでした。ギリギリに間に合ったのです。そして、大木さんがチロリを個人で飼うことになりました。
彼が日本で初めてのセラピー・ドッグ協会を立ち上げて、セラピー・ドッグを教育していました。アメリカでは血統書付きの犬しかセラピー・ドッグになれないのです。チロリは雑種犬でしたから、セラピー・ドッグには採用されませんが、取り敢えず教育をすることになりました。
ところが、驚いたことに、チロリはセラピー・ドッグの教育の吸収がとても速く、通常であれば2年半かかるところ、何と!半年でマスターしたのです。そしてセラピー・ドッグ協会のたくさんいる犬の中で初めてのリーダー犬になったのです。そして、日本で初めてのセラピー・ドッグ1号になったのです。
その後、たくさんの老人施設や老人病院を廻り、多くの病人やご老人の世話を行い、たくさんの人を助けたのです。さまざまな病気で、手が麻痺したり、歩けなかった人々を世話することで、手が動けるようになったり、歩けるようになった人が出てきたのです。さらにチロリの才能は、アイコンタクトが優れていることでした。愛情を持ってジッと見つめることがチロリの断トツの才能だったのです。お陰で、チロリに見つめられた病人やご老人の気持ちが穏やかで明るくなったのです。
セラピー・ドッグの先駆者として14年間、必死になって働いたチロリは、みんなに見守られながら天国に召されたのでした。チロリは最期まで自分の役目を果たそうとしていました。大木さんやスタッフは、悲しみのあまり大泣きをしました。
チロリの世話になった多くの病人や高齢者たちも、みんな悲しみ、セラピー・ドッグ協会に提案をしました。功績の証にチロリの銅像を作って欲しいと。歌舞伎座の裏の築地川銀座公園に「名犬チロリ記念碑」の姿が見えます。
私は血液透析をしながらこのテレビ番組を見て、チロリを目標にセラピー・ドッグではなく、セラピー・ドック(セラピー・ドクターtherapy doctor)になるように頑張ろうと思いました。
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