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東洋医学と西洋医学

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【東洋医学の考え方】
東洋医学は、日本の漢方、古代中国の漢方、中医(現代中国医学)、チベット医学、アーユルベーダー(インド医学)に大まかに分類できます。インド医学はチベット医学や古代中国漢方に強い影響を与えています。古代中国の漢方は、日本に伝わり、日本独自の漢方になりました。中国漢方では、脈診・舌診を重視し、日本漢方では腹診に重点をおきます。中医は西洋医学に強く影響され古代中国の漢方とは別の医学と考えた方が良いでしょう。

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現代医学は、解剖学・生理学・病理学・微生物学・臨床検査学を駆使して、病気と原因(病因)を科学的な手法で調べ実証しています。実証できない背景が前提となっている場合、例えば気の流れ、経絡、ツボ、チャクラなどというのは、実証できないので存在しないことと等しくなり、それらを土台にして成り立つ医学は荒唐無稽の絵空事の医学になります。
事例を挙げれば、「瘀血おけつ」という病態です。血の巡りが悪くなり、血が滞った状態を意味します。それを治すために、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)などが処方されますが、なかなか治りません。科学的に考えれば、治る訳がありません。なぜならば、血の巡りを妨げている理由を治療しないからです。例えば、高速道路で交通事故が起こり、事故処理しなければ高速道路の渋滞(瘀血)は解消できません。ピンポイントで原因を追求しないでイメージだけで治療するのが漢方です。「冷え症」の治療も同様です。
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しかし、歴史的には、本来科学は神が創った「混沌としたこの世界」を浅はかな頭しかない我々人間の理解できる言葉で表現しようとした学問です。正確にいえば、信仰が宗教と哲学に分かれ、哲学が概念だけで思考する狭義の哲学と再現性を求める実証主義の科学に分かれたのです。つまり、信仰=宗教+哲学+科学です。何千年経過しても歴史から見れば当然完成されず、未だに手探り状態です。科学を真に知る人は謙虚ですが、中途半端に科学を知る知識人は科学を妄信しています。ある意味、宗教に近いものがあります。「科学教」とでも言うべきでしょう。
私も科学的な思考法にドップリ浸かった人間です。ですから一生懸命に科学的な考え方をするように努力しますが、それ故、科学的思考法の溝にはまり抜けなくなることがあります。
歴史が示すように、再現性のある実証、つまりエビデンス(証拠)が呪縛になり、問題の解決を遅らせるのは科学のはらんでいる矛盾でもあります。解決を早めるためには、呪縛から解放された頭の中で繰広げられるイメージの力が必要です。このような思考法が非科学的とののしられても構いません。患者さんのために科学が存在するのであって、役に立たない科学は一時的で良いですから引っ込んでいるべきです。
科学的思考法は、思考が膠着し油断するとそれこそ非科学的思考に陥ることがあります。新たな科学的思考や証拠を拒絶するという愚行に出ることが、歴史を振り返るとしばしばあります。一例を挙げましょう。
出産後の産褥熱で産後の婦人がバタバタと亡くなる時代に、医師の汚い手が原因に違いないと、今では常識の医師の手洗いを薦めた医師がいました。【注】しかし、周囲の医師からは「手の汚れ」が人間を殺せるわけがない、非科学的だとののしられました。仮説を唱えた医師は、病院や学会を追われて、非業の死を遂げました。たとえ科学的な根拠をリアルタイムに示すことができなくても、科学的な発想で証明することに意義があります。

私は東洋医学を否定する訳ではありません。西洋医学だろうが東洋医学だろうが、苦しんでいる患者さんが治ればいいのです。そのためにも、東洋医学や西洋医学の長所と短所と盲点を知るべきです。

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