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水分を摂りすぎる功罪

【人体は宇宙】
人の体は小宇宙にたとえられます。宇宙のようにすべての次元が幾重にも織られて造られた複雑な存在です。現代医学で理解されているの人間の構造やシステムは、未だに不完全です。
しかし、科学が万能だと勘違いされている人たちは、重箱の隅をつつくような努力はしていますが、現在の診断法や検査手段に固執し旧い考え方から脱却できないでいます。

実際に原因不明の解明されない病気は結構存在します。シェーグレン症候群然り、最近話題になった線維筋痛症然り、間質性膀胱炎然りです。原因が不明だと、自己免疫疾患やアレルギー疾患という分類に何でもかんでも収めて、後でジックリ考えようという態度に思えて仕方がありません。

【医師の思考回路】
重箱の隅をつついて研究し没頭する世界は、受験勉強の難問を解くのに慣れている医師たちにとっては、心休まる世界です。特に知能指数の高い医師にとっては、難問の世界は仮想世界ではなく、現実世界と錯覚していたのでしょう。小学生、中学生、高校生と難問の解答の先が現実の世界にそぐわないものであった事実に虚無感を覚えた、若かりし頃の気持ちはすでになく、現実に苦しむ患者さんをよそに、研究のための研究というのが現実です。
数年前に癌治療学会の席上、高名な医師が「これら基礎研究が実際の臨床現場で役立つのか?」と苦言を呈したことがありました。
研究のための研究は、「木を見て森が見えない」状態だと私は思います。
【葉と枝と木と林と森】
さてさて、前置きが長過ぎました。
ここで水の流れを中心に、人の体を「森を見る」ようにして考えてみましょう。
臨床で調べる検査データは「枝葉」を視ることです。人の解剖学・臓器を調べるのは「木」を診ることです。人の生理学・内分泌・代謝は「林」を見ることです。全体像=森=真実を観るためには、さらに大きな視点から観ることが必要になります。大きな視点は、科学的な現代医学からは逸脱することがありますから、その辺はご了承下さい。
Watercycle_1
【水の流れ】
上記の図式は、細かい医学常識を無視した「水の流れ」の大よそのイメージです。(こころの中のこのイメージが大切です)
食事や飲水で口から体の中に入った水は、水分代謝の世界を作ります。大腸で吸収された水は、血液の溶媒として流れに乗ります。この水を「場」として内分泌システムや免疫システムが円滑に稼働します。もちろん血液細胞・免疫細胞・免疫抗体・胃液腸液胆汁などの消化液も水という「場」なしでは存在は考えられません。
この水が作る「場」はとても重要です。生命現象であるイオン反応・電離現象・酵素反応などのあらゆる化学反応は、水の「場」という存在なしには考えられません。しかし、重要な生命反応が華々しい表の現象であるために、「場」としての水の本当の顔、つまり裏の重要な現象である「水の排泄」が見えなくなってしまうのです。血流や免疫反応を「単なる水の排泄現象だ!」とは誰も思いもよらないでしょう?
血圧の維持も水が必要です。涙が出なければ視界を確保できませんし、唾液が出なければ食事ができないばかりでなく会話もできなくなり、人としての社会性までもが阻害されてしまいます。

Water_1生命の営みは極論すれば(あくまでも極論です)、水の様々な形での「排泄」の一言に尽きます。血液システム・内分泌システム・免疫システムでの「場」としての水は、内部環境への水の排泄ですし、尿・汗・涙・消化液での水は外部環境への水の排泄です。
この排泄のどこかに支障があれば、システム全体に狂いが生じるのは容易に理解できるでしょう。よっぽどのことがない限りシステムに狂いが生じないと考える方が、無理な考えだと思います。

【水と臓器の役割】
尿は腎臓で生産され尿管を通過して膀胱にたまり排泄されます。
涙は涙腺から分泌されます。唾液は唾液腺から分泌されます。肺呼吸の呼気からは水蒸気が排泄されます。運動を行なった時の汗は汗腺から分泌されます。食物の消化・吸収に必要な消化液は、胃腺から胃液が膵臓からは膵液が肝臓からは胆汁が腸腺からは腸液が分泌されます。
骨髄で血液細胞・免疫細胞がつくられます。脳下垂体・甲状腺・副腎・膵臓・心臓・腎臓からホルモンが分泌されます。これらすべての臓器・器官は血液中に溶けたホルモン・電解質・濃度や自律神経を介して複雑に微妙にコントロールされています。一部が全体であり、また全体が一部であるという状態です。
ここまでは、葉から枝へ、枝から木へ、木から林への思考の広がり的考え方です。

上図のシステムの中で、一番多く排泄される水が尿ですから、尿排泄の微妙な変化は、たとえ微妙であっても他の水排泄に関わっている器官や臓器に負担をかけるというのはうなずけると思います。
調べてみるとわずかな排尿障害があり、頻尿と陰部の痛みがあるご婦人が、涙と唾液の出ないシェーグレン症候群を合併していると聞き、「排尿障害を治療したらシェーグレン症候群が軽快するよ!」と予言したのを全く根拠のないホラとは思えないでしょう?
汗分泌に負担がかかる皮膚や免疫の異常で生じるとされているアトピー性皮膚炎が、排尿障害の治療で軽快できると予測が立つのです。
掌蹠膿疱症という原因不明の手のひらと足の裏の皮膚炎が、排尿障害の治療で治ったと聞き、不思議に思わない私です。
シェーグレン症候群に関しては、次のように考えます。
軽微な排尿障害で膀胱が過敏、頻尿になった状態を体がフィードバックで抑え込もうとしたのですが、腎臓・膀胱を抑え込めなかった。その代わり、他の器官が被害を受け、涙腺と唾液腺が抑えられ、その結果、涙と唾液が出ないシェーグレン症候群になったと推理したのです。
ここでは、自己免疫抗体の存在やアレルギーなどという言葉は使用しません。大きな目的のために、複雑な過程を経て小さな器官が被害を受けたという認識でいいのです。最近は、科学的エビデンス(根拠)を追求するあまり、森が見えなくなっているのが現実です。困っている患者さんは今困っているのです。10年後20年後に治療法が考案されても遅いのです。

多汗症という原因不明の病気があります。緊張すると手・顔・腋の下からポタポタと滴り落ちるほど汗が出るのです。自律神経の病気あるいは心因性とされることがあります。健常人からすれば、汗ぐらいと思われるでしょうが、患者さんは悩み苦しみます。
隠れ排尿障害が存在していて、水分代謝に負荷がかかり、その結果、汗腺を刺激して発汗しやすくなっているのかも知れません。
この辺で、林から森への思考の広がりになりました。しかし、この広がりは恐らくまだまだ続くでしょう。

Water_1【補足 図の説明】
水の代謝の観点から考えれば、生物は水を取り込んで、ただひたすらに排泄している存在です。水の排泄形態が、尿・汗・消化液・血液・リンパ液・ホルモン・涙などの様々な形をとります。それぞれの排泄形態に付随的機能があり、医学的生理学的には、その付随的機能が重視されていて、水の排泄が軽視されているに過ぎません。
尿の出が悪ければ、他の水排泄形態に余分な負荷がかかり、汗だけに負担がかかれば多汗症になり、汗と免疫のセットで掌蹠膿疱症になると考えます。また、消化液に負担がかかれば過敏性腸症候群に、消化液と免疫に負担がかかれば潰瘍性大腸炎になるのです。

【補足】
【東洋医学の考え方】

東洋医学は、日本の漢方、古代中国の漢方、中医(現代中国医学)、チベット医学、アーユルベーダー(インド医学)に大まかに分類できます。インド医学はチベット医学や古代中国漢方に強い影響を与えています。古代中国の漢方は、日本に伝わり、日本独自の漢方になりました。中国漢方では、脈診・舌診を重視し、日本漢方では腹診に重点をおきます。中医は西洋医学に強く影響され古代中国の漢方とは別の医学と考えた方が良いでしょう。
現代医学は、解剖学・生理学・病理学・微生物学・臨床検査学を駆使して、病気と原因(病因)を科学的な手法で調べ実証しています。実証できない背景が前提となっている場合、例えば気の流れ、経絡、ツボ、チャクラなどというのは、実証できないので存在しないことと等しくなり、それらを土台にして成り立つ医学は荒唐無稽の絵空事の医学になります。
しかし、歴史的には、本来科学は神が創った混沌としたこの世界を浅はかな頭しかない我々人間の理解できる言葉で表現しようとした学問です。正確にいえば、信仰が宗教と哲学に分かれ、哲学が概念だけで思考する狭義の哲学と再現性を求める実証主義の科学に分かれたのです。何千年経過しても歴史から見れば当然完成されず、未だに手探り状態です。科学を真に知る人は謙虚ですが、中途半端に科学を知る知識人は科学を妄信します。ある意味、宗教に近いものがあります。「科学教」とでもいうべきでしょう。
私も科学的な思考法にどっぷり浸かった人間です。ですから一生懸命に科学的な考え方をするように努力しますが、それ故、科学的思考法の溝にはまり抜けなくなることがあります。
歴史が示すように、再現性のある実証、つまりエビデンス(証拠)が呪縛になり、問題の解決を遅らせるのは科学のはらんでいる矛盾でもあります。解決を早めるためには、呪縛から解放された頭の中で繰広げられるイメージの力が必要です。このような思考法が非科学的とののしられても構いません。患者さんのために科学が存在するのであって、役に立たない科学は一時でよいですから引っ込んでいるべきです。
科学的思考法は、思考が膠着し油断するとそれこそ非科学的思考に陥ることがあります。新たな科学的思考や証拠を拒絶するという愚行に出ることが、歴史を振り返るとしばしばあります。一例を挙げましょう。
出産後の産褥熱で産後の婦人がバタバタと亡くなる時代に、医師の汚い手が原因に違いないと、今では常識の医師の手洗いを薦めた医師がいました。【注】しかし、周囲の医師からは手の汚れが人間を殺せるわけがない、非科学的だとののしられました。たとえ科学的な根拠をリアルタイムに示すことができなくても、科学的な発想で証明することに意義があります。

【注】
『・・・一方,「傷は化膿して治る」という常識への挑戦も,同じく1840年代に始まる。その最初は産婦人科医,ゼンメルワイスだった。当時,出産には産褥熱がつきもので,多くの場合,それは避けられないものと考えられていた。 しかし彼は,医者が行なった出産介助で高率に産褥熱が起こっているのに,助産婦が介助した場合にははるかに少ない事に着目する。医者と助産婦で何かが違っているはずだ,とゼンメルワイスは考えた。さまざまな可能性について考え,最後に行き着いたのは「医者の手」だった。 医者は病人や産婦を見るだけでなく,病理解剖も行うが,助産婦が解剖を行なう事は無い。 当時,手術や処置の前に手を洗う習慣は無く,素手で解剖を行なった後,手についた膿を布でぬぐって,出産にたち合う事もしばしばだった。ゼンメルワイスは,解剖の時に何かが医者の手に付き,それが産婦の体内に入り込み,産褥熱を起こすと考えた。これが最も合理的に,助産婦と医者の間での産褥熱の発生率の差を説明できる。 彼は直ちに「出産に立ち合う前には,必ず手を洗うように」と医局員に命じる。それにより,産褥熱の発生は劇的に下がり,多くの産婦が救われた。 しかし,医学会は彼のこの簡単な提案とそれによる産褥熱の発生率の圧倒的な低下のデータを,徹底的に拒否した。「手を洗うなんて煩わしい」「手を洗うなんて,教科書に書かれていない」「手を洗うなんて誰もしていない」という理由で・・・。結局彼は,病院から追放され,紆余曲折の果てに失意のうちに発狂し,人生を終える。・・・』外科の夜明け(トールワルド,講談社文庫)から

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