大いなる意志
慢性前立腺炎や間質性膀胱炎の患者さんの多彩で複雑な症状を診察室で聞くにつけ、深く思うことがあります。
解剖学的に生理学的に臨床実証学的に、症状の発生理由はほぼ分かってきました。しかし、どうしてこのような症状が選択され、さまざまな症状を組み合わせられなければならないのでしょう。
例えば、慢性前立腺炎で多い症状の一つが「会陰部痛」です。そこで思うのですが、痛みではなく「気持ちよさ」であってもいいではないですか。プラスとマイナスがあるように痛みがあれば「気持ちよさ」が存在するのです。しかし、現実には判で押したように痛みをはじめとする「辛い症状」ばかりです。
「痛み」を代表する辛い症状は、生物学的に考えれば危険回避が目的です。怪我をしたから痛い、火傷をしたから熱い・痛いというのは容易に理解できます。即命の危険を伴う状況だからです。ところが、慢性前立腺炎の患者さんの中には、30年も前から悩まれている方もいます。腑に落ちないではありませんか。現実には30年も生きながらえてきた訳ですから、即命の危機が迫っている時に感じる「痛み」症状である必要はないと私は考えます。
例えば、人間が背負っている不治の病(すべてがそうではありませんが)、癌は、できたての頃は痛みもなく全く自覚することはできません。死に至る病気であるにもかかわらず、痛くないのです。痛みが症状として出てきたときには、一般的に数週間~数カ月の命です。それが癌です。しかし、自殺される方は別として、死に至る病気でもない慢性前立腺炎は、何年も何十年も痛いのです。不思議ではありませんか?
人間、もっと大きく見て動物細胞が痛みを伴う状況は、どういう状況か考えてみましょう。
その細胞が生命危機に直面した際に、細胞のセンサーが直後に反応して回避しようとする時でしょう。それは細胞の急激な変化を恐れるためでもあります。急激な変化すなわち「死」です。「死」は有機物の集合体である生命が、無機物(無機質)に「変化する」ことでもあります。
考え方を変えて、「変化する」ことが「痛み」の発現理由であったとすれば、「死」以外に痛みを伴う変化があるでしょうか?
動物細胞と植物細胞とは、細胞の構成成分が共通する所は多々ありますが、その集合体を見れば明らかに異なる存在です。
(画像:理科 生物の細胞と生殖 細胞から)
動物細胞が光合成を獲得して進化したのが植物細胞ともとれるし、植物細胞が光合成を拒否(退化)して、自由に動き回り、その結果、植物細胞に依存・寄生することを選択したのが動物細胞ともとれます。
そう考えると、動物細胞も植物細胞もお互いに変化し合えるような存在かも知れません。
季節で移り変わる草花は別として、大きな木々は寿命が長く、屋久島の縄文杉のように樹齢7200年という木も存在します。つまり非常に安定した存在が植物です。それに引き換え、動物は不安定で人間でも寿命は100年足らずと短いのが現実です。
(画像:http://www2u.biglobe.ne.jp/~hakuzou/yakushima.htm)
私の悪い癖で話がだんだん広がり収拾つかなくなってきました。慢性前立腺炎の症状から縄文杉の話になっています。
全く異なる存在になろうとする変化の時に「痛み」を伴うことは先に話した通りです。その典型が「死」に至る変化です。もしも動物細胞の集合体である動物が、極めて安定した植物という存在になろうと変化するならば、その過程で「痛み」を伴うかも知れません。
会陰部が痛くて座れない・歩けなければ、ジッと立っているしかありません。頻尿で1日50回トイレに入る人は、トイレから動けなくなります。慢性前立腺炎で原因不明の胃の痛みや腹部硬直を訴える患者さんもいます。そういう患者さんは動物としての食事ができなくなります。また、朝起きれなくなる、鬱になるのもこの病気の症状です。セックスもできなくなります。
自由に動けない・食事ができない・セックスができない・思考が停止する・・・動物としての特徴が次第にはぎ取られていきます。つまり、次第に植物に変化・変異しているプロセスとして捉えることができます。
動物の体内には植物になりたいという永遠の憧れ(あこがれ)が密かに隠れているのかも知れません。機会があれば植物に近い存在になろうとする意志です。
その個体が、ある日、周囲に影響を受けない平安と安定した環境を潜在意識の中で望み、膀胱頚部硬化症などの排尿障害がたまたまあり、水分摂取が比較的に多い条件下で、植物化プログラムにスイッチが入るのかも知れません。
地球から見れば、限られた資源である水を大量に消費し、水を汚染し、二酸化炭素を大量に排出し環境を悪くする人間が増えるよりも、水を浄化し二酸化炭素を吸収してくれる植物が大地を覆ってくれた方が、良いのに決まってます。ガイアという地球生命体の大いなる意志が、人間に潜んでいる声を大きくするのでしょうか?
慢性前立腺炎・間質性膀胱炎の診断と治療には、この「植物化プログラム」の影を念頭に置きながら進めなければなりません。雲をつかむような話でしょう?でも、ここにコツがあるとすれば、医師の能力が問われることになります。
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コメント
今日何も飲まず食わずで居たらいつもよりも痛みや尿意切迫感を感じませんでした。当たり前ですが。どっちをとるか?といわれると明日も飲まず食わずを選択しそうな自分がいるという怖い病気です。
投稿: | 2012/11/07 23:26