間質性膀胱炎の膀胱鏡所見「点状出血」と慢性前立腺炎
間質性膀胱炎の診断基準にある「点状出血」について、とある掲示板で話題になりました。
話の展開の中で、慢性前立腺炎と間質性膀胱炎の原因が排尿障害であると主張している私の考え方に矛先が向けられました。慢性前立腺炎の手術を多数行なっている私のブログの記載の中に「点状出血」の記載がないので、本当は、慢性前立腺炎と間質性膀胱炎を別物として私は考えているという趣旨の内容だったと思います。
私は「点状出血」やそれに伴う「五月雨出血」を間質性膀胱炎の特異的な所見と考えていませんし、重要視しもていません。何故かといえば、前立腺肥大症・膀胱頚部硬化症(慢性前立腺炎)・慢性膀胱炎・間質性膀胱炎・神経因性膀胱といわれる患者さんの手術の際に、時折確認される程度のものだからです。
「点状出血・五月雨出血」=「間質性膀胱炎」とは認識していないからです。その程度にしか認識していない私が、慢性前立腺炎の手術の際に「点状出血があった!あった!」などとはブログの中で記載する訳もないでしょう。
間質性膀胱炎の診断基準の一つである「点状出血」について、その価値について未だ確立されていません。
Waxmanらの報告によると、間質性膀胱炎症状を有する患者さんのうち「点状出血」を認めたのは42%のみだったそうです。また、同じWaxmanらの別の報告で、卵管結紮(不妊手術)を受けた21歳から43歳の無症状(間質性膀胱炎症状のない)の女性20人に膀胱水圧拡張を行ったところ、45%に「点状出血」を認めたという報告です。(いずれも排尿障害プラクティス 間質性膀胱炎の最前線より)
つまり、「点状出血」の存在確認は、間質性膀胱炎の診断の参考にはなるが決定打ではないということです。
「診断基準」とは、原因などの全体像が定かでない病気に対して、臨床医が困るので便宜上「仮」に儲けた「一時的」な定義です。しかし困ったことに、一時的にもかかわらず恒久的な存在になることがしばしばです。「診断基準」で定義されたことが一人歩きをし、新しい知見を蹴散らしてしまうのです。自分たちで定義した狭い意味の言葉によって、思考が呪縛され奴隷に成り下がるのです。この現象は思考の弱さにあるのです。一旦定義すると、それ以上問題の事象を掘り下げなくなります。そしてその定義したことを安心の「拠り所」にしてしまうのです。「点状出血がなければ間質性膀胱炎ではない」などとトンチンカンな考え方を吐露するのです。
しかし、この現象は私も含めた全ての人間にみられる傾向です。これを思考の「慣性の法則」といいます。もちろん私のブログの中でも、そこここにこの現象はあるでしょう。常に用心をしなければなりません。
私は間質性膀胱炎も難治性の慢性前立腺炎も、その原因はどちらも「排尿障害」だと信じています。
間質性膀胱炎も慢性前立腺炎も過活動膀胱も神経因性膀胱も心因性頻尿も慢性骨盤内疼痛症候群も、原因の出発点に排尿障害があり、その行き先がそれぞれ異なった終着駅(症状の異なる病気)として認識されているに過ぎないと考えています。特に女性の場合、前立腺というショック・アブソーバーがなく、また性差のために必ずしも男性と同じ症状同じ検査結果が得られないのでしょう。逆に原因が同じであれば、男性も女性も全く同じ症状同じ検査結果が得られるのだと主張すること自体に、生物学的にも医学的にも無理があるのでは?と考えます。
私にご意見のある医師は、必ず本名を名乗りメールをお送り下さい。私は本名も所在を明らかにしているのですから、そうでないとフェアではないでしょう。ただし一般人はその限りではありません。
また、私のブログを時系列を無視して記述しようが私の勝手です。このブログは、正式な学会報告ではありませんし、文献的価値もないのです。ブログの一つ一つが私の作品です。それも常に未完成です。その未完成の作品を思いつくままに加筆します。いつ加筆されるか楽しみにして下さい。
大人気ない記述になりましたが、私はその程度の人間です。その程度におつき合い下さい。
さて、「点状出血」については、その成因について深く解説した文献はありません。現象の程度についての記載はあります。では、なぜ「点状出血」がおきるのかをここで少しずつ考えてみましょう。
「点状出血」を理解するためには、その構成要素の理解から始めなければなりません。
一つ目の要素として、膀胱水圧拡張などで出血することから、土台である膀胱粘膜(膀胱壁)を考えましょう。
二つ目の要素として、「出血」ですから血管を考えましょう。「点状出血」の主役の血管は、様々な病気により異常に増加してしまった膀胱粘膜に付着した「細静脈」です。
事象の正しい理解のためには、基本に戻って根本から考え直すと、それまで見えてこなかった姿が見えてきます。臨床医はこの基礎の部分をとかくおろそかにしがちです。心のどこかに臨床医学が上で、基礎医学が下だと錯覚しているのかも知れません。臨床医学も基礎医学も互いに支え合っているのです。
【顕微鏡像は、カラーアトラス 機能組織学 南江堂から抜粋】
右の顕微鏡像は、膀胱が空っぽの弛緩した状態の膀胱粘膜と膀胱壁を示しています。
薄く染色された凸凹の部分が膀胱粘膜の移行上皮の部分です。
濃く染色された部分が膀胱平滑筋を示しています。
膀胱が尿の充満により膨らんだ状態の膀胱粘膜と膀胱壁が右の写真です。
上の膀胱粘膜層と比較して、凸凹が消失し、その厚さが半分以下になっています。長さが半分以下ということは、面積が4分の1以下、体積が8分の1以下になったということです。すると膀胱の体積はその逆数と考えて8倍以上になったと考えます。(計算が少し無謀ですが、理解を優先するためにご容赦を) 空っぽの膀胱はその体積が100cc前後ですから、充満させれば8倍の800cc以上にはなる訳です。中に溜まる尿は700ccになります。(ちなみに私は限界で1100ccの尿を溜めることができます)
顕微鏡像でご覧になってわかるように、膀胱伸展の限界は厚さが薄くなった移行上皮ではなく、膀胱平滑筋にかかっています。すなわち、膀胱容量が小さいと訴えられる方の膀胱は、膀胱平滑筋の一部が繊維化をしたためです。
さて、今度は静脈を見てみましょう。
右の写真は、小さな静脈と動脈を示したものです。
Vは静脈でAは動脈です。
TMは中膜、IELが内弾性板、TAが外膜結合組織です。動脈Aの厚い中膜と比較すると静脈Vの中膜TMはとても脆弱です。
静脈の上流は細静脈になります。
顕微鏡写真のように、中膜はさらに薄くなり、中膜とは呼べないほどになります。血管平滑筋(矢印)が所々に散見程度の血管壁構造になります。E(画面構成上、横になってしまった)は内皮を意味します。
細静脈は、実は毛細血管から作られます。
細静脈の上流は毛細血管になります。
内皮細胞の核(N)が、毛細血管の内腔に飛び出しています。
本来の血管の構成要素である中膜も外膜も存在しません。紡錘形の周辺細胞(P)と内皮細胞だけが血管を形成しています。周辺細胞(P)は血管平滑筋ではありませんが、機能面では平滑筋に近いものがあります。また、「血管新生」に関与しています。
さて、病的な刺激を絶えず受けた膀胱粘膜は、粘膜上に静脈が増加しているのが確認できます。これは「血管新生」という生理的な現象です。生体の必要に応じて新しい血管を急遽作るというものです。しかし急遽作った、すなわち取りあえずの血管ですから、以前から本来備わっている血管と比較して、完全ではなくその構造は脆弱です。
右は私が作ったイラストです。
静脈の上流は細静脈で、細静脈の上流は毛細血管になります。このイラストは細静脈から分岐した毛細血管をイメージしたものです。薄い緑色が毛細血管で濃い色が細静脈です。細静脈をカバーしている白いのが外膜です。血液は矢印のように流れます。
静脈の外膜の上半分を取り除いたイラストを使ってさらに解説しましょう。
静脈は血管走行に垂直、つまり血管断面の360度方向には比較的強固にできています。なぜなら、血管平滑筋が血管断面を取り囲むように配置されているからです。紡錘形の平滑筋は長軸方向に伸縮しますが、長軸方向に垂直な端軸方向には伸縮を期待できないからです。そのため血管走行に沿った方向には強固ではありません。特に血管分岐部は構造的に負担がかかります。
膀胱粘膜が直線距離で2倍以上伸展しても、静脈は2倍も伸展しません。すると血管走行に沿って分岐部の本管に裂け目ができ、そこから血液が漏れ出てしまいます。もちろん脆弱な毛細血管は断裂するでしょう。
出血は目の粗い外膜の直下にたまり、それが点状出血となって観察されるのです。「点状出血」の数は、細静脈と毛細血管の分岐部の数に等しくなります。
通常、「点状出血」は粘膜表面を走る静脈の末梢(静脈にとっては上流)で観察されます。まるで秋の落葉樹についた枯れ葉のように見えます。小さい細静脈は膀胱鏡検査で確認できますが、毛細血管は肉眼では確認できないので、細静脈から降って沸いたように「点状出血」が見えるのです。
ご覧のように、「点状出血」は間質性膀胱炎に限った特異的な現象ではありません。膀胱粘膜の伸展率と血管(粘膜上の静脈・細静脈)の伸展率のギャップから生じる構造的な非特異的な現象に過ぎません。
間質性膀胱炎を専門に扱っている泌尿器科医は、「点状出血」を「錦の御旗」のように神聖なものとして捉えます。現象の本質を深く探求しないので、専門外の泌尿器科医に無意味な誤解を与えてしまうのです。逆に「点状出血」がないからと、「間質性膀胱炎」と診断されずに「心因性頻尿」と診断された患者さんの多いこと!そのような患者さんは、「間質性膀胱炎の専門医」による被害者ともいえます。
では、なぜ「点状出血」が間質性膀胱炎の患者さんに多いように錯覚するのでしょう?
「間質性膀胱炎」の患者さんの膀胱容量は頻尿のために次第に小さくなります。(膀胱容量が小さくなったから頻尿になる訳ではありません。その逆です。) 膀胱粘膜・膀胱壁の過度の代謝に応じて「血管新生」作用で、不完全ながらたくさんの静脈が作られます。
膀胱容量を大きくすれば頻尿は改善できるという素人的な短絡的発想で膀胱水圧拡張術が日本中で行なわれます。膀胱粘膜の移行上皮は解剖学的生理学的に相当の伸展率を有していますが、血管新生で急遽作られた静脈に伸展性を期待する方が土台無理な話で、膀胱水圧拡張術によって、当然のように「点状出血」が出現する訳です。
この写真は「心因性頻尿」と診断された24歳のご婦人の内視鏡手術中に観察できた膀胱粘膜に浮かんだ「点状出血」です。
手術に使うワイヤーループの直径が5mm弱でワイヤーの太さが0.35mmです。点状出血の小ささが十分に把握できます。この画面では細静脈は見えませんから、膀胱粘膜直下の毛細血管が多数切れたことになります。
このように、内視鏡手術を頻繁に行なっている泌尿器科医であれば、「点状出血」は時折経験する現象ですから気にも留めません。しかし、「間質性膀胱炎」をメインに行なっている泌尿器科医は、「感染症」が専門の泌尿器科医で、どちらかといえば内科医に近く、内視鏡手術を頻繁に行なっているとも思えません。そのため「点状出血」を必要以上に過大に評価してしまったのでしょう。
【補足】
コメントの中で、低俗な内容の質問と、その回答に対する変質的な感想が続きました。質問者の程度が容易に想像できますが、コメントに対しては一生懸命に回答しています。
私としては、病気の本質にかかわる建設的な質問に対しては、できるだけ真摯に回答しています。
中にはこのように悪意に満ちた質問もあります。なるべく回答するように努力はしますが、私も感情のある人間ですから、このブログの品位をおとしめると判断した場合には、どんどん排除しますので悪しからず。
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コメント
でその理論は本当にあってるんですか?
【高橋クリニックからの回答】
読解力がない人ですね。
点状出血の成因に関して議論している文献がないから私が解説しているのです。文献=答えがあるであれば、このようなことについて解説しません。
誰も考えたことがない「点状出血」に関する私の理論ですから、問題集の答え合わせのように「あってる!」というものではありません。
神様にお聞き下さい。
投稿: たにし | 2008/09/27 17:17
そうですか…
当てにならない独り言のようですね(笑)
【高橋クリニックからの回答】
低俗な人間であろうと思わせる内容の質問と、回答に対しての、やはり低俗だったと確信した予想通りのご感想ありがとう。
その後の粘着気質の度重なる感想もありがとう。
投稿: たにし | 2008/09/28 07:34
高橋先生何歳ですか?
失礼ですが見てて正直あきれました。
投稿: 谷山 | 2008/09/29 19:21
医術=仁術
ではないのですか。
膀胱頚部が硬くなる根本原因と治療法は?
【高橋クリニックからの回答】
このブログの中で何度も何度も解説しています。
全部を読むことができないのであれば、
http://hinyoukika.cocolog-nifty.com/cp/2008/07/2_dc6b.html#more
をお読み下さい。
ちなみに、この話の流れの中でなぜ「仁術」が出るのですか?
「医術=仁術」は間違いです。正確には「医は仁術」です。
医術はあくまでも「医」の「術=テクニック」ですから、テクニックは感情のない高度な技術ですから「仁」が入る隙間はありません。
ところで、「仁」という意味をご存知ですか?
「仁」とは、一般的には「いつくしみ・思いやり」です。正確な意味では、孔子の道徳的な観念で、「礼」に基づく自己抑制と他者への思いやりを意味します。その意味の中には「忠」と「恕」の二面性があります。「忠」は「まごころ・まこと・正す」という意味です。「恕」は「ゆるす・同情・あわれみ」という意味です。ところが言葉は正確には伝わりません。私が「忠」をもって怒ると「思いやり」がない=「仁」がないと判断されます。「仁術」には、人を正すために怒ることがあることを知って下さい。
コメントで訴える人の中には、無礼な人間がいます。そして自己抑制なく、他人の「思いやり」のみをただひたすらに要求します。そのような人に対しては、「仁」の「忠≒怒」の面を大いに発揮するのが私の「仁術」です。
投稿: | 2008/10/05 22:36