慢性前立腺炎の症状#14 「抑うつ気分」「うつ病」
3年前から全身倦怠感と早朝身体を動かすのが嫌だという53歳の男性が来院しました。彼の訴えから考えられる病名は、「抑うつ気分」か「うつ病」です。
実は、その男性の妹さんからのご紹介です。妹さんは「原因不明の頻尿」で高橋クリニックを受診し、私が排尿障害を見つけ、α-ブロッカー(エブランチル)を処方したところ、症状が軽快しました。その妹さんが、長くわずらっている兄を心配し、私だったら、その原因が分かるだろう(泌尿器科医である私にです!)と紹介したのです。
その男性は「自律神経失調症」という病名を過去にもらい、以下の薬の処方を受けていました。
1.デパス
2.ハルシオン
3.十全大補湯
4.補中益気湯
デパスは皆さんご存知の、自律神経調節剤・抗不安剤・筋肉弛緩剤です。抗うつ作用はありますが、けっして抗うつ剤そのものではありません。
ハルシオンは睡眠導入剤です。良く眠れば疲れが取れ治ると主治医は考えたのでしょう。
十全大補湯・補中益気湯は、病後や老人の「腎虚」の患者さんに気を貯めるための処方です。
処方内容からは、主治医の診断は容易に想像できます。
しかし、上記の薬は一向に効かなかったので、現在は患者さんはこれらの薬を服用していません。
私の得意分野である泌尿器科疾患の症状を本人はまったく自覚していません。
ここからが泌尿器科医としての私の腕の見せ所です。
1日の排尿回数は8回、2時間に1回の頻度です。(少し多いのです。)
夜間は、オシッコで目が覚めません。
【超音波エコー検査】
膀胱内から観察した3D画像では、膀胱出口が大きく口を開けたように観察できます。これは前立腺肥大症の所見です。前立腺の腺組織が水分を多く含んでいるために、感度を抑えると画像上透明に抜けて見えるのです。一見してドーナツ状です。
膀胱・前立腺を真横から観察した3D画像です。
膀胱平滑筋は白っぽく観察できます。抜けている部分が前立腺です。前立腺の大きさは20ccで正常範囲内(20cc~25cc)ですが、この方にとっては、いびつに成長した小さな前立腺肥大症です。
【尿流量測定ウロフロメトリー検査】
139mlの尿を18秒もかけて排尿しています。56歳の私でさえ同じ18秒台で400ml出せますから、前立腺肥大症による排尿障害と考えます。
【残尿量測定検査】
21mlの残尿がありました。性状は0mlですから、排尿障害を認めます。(一般的に残尿50mlまでを正常と判断する泌尿器科医が多いですが、生理学や前立腺肥大症の治療の歴史を知らないバカ者の浅知恵です。)
他に腎臓も超音波エコー検査を行ないましたが、形態学的に異常を認めません。
さて、この患者さんは一般的な慢性前立腺炎症状は認めませんでした。しかし、排尿障害が証明されたので、もしかすると排尿障害が「抑うつ気分」の原因かも知れないと考え、ハルナールDを処方しました。「うつ病」の薬は一切処方しませんでした。
1ヵ月後、患者さんは来院されました。
「いかがですか?」と問いに、「オシッコの出は変わりません」との答えです。
「いやオシッコのことではなく、全身倦怠感と早朝の起きれない症状のことです。」
「!・・・忘れていました。そういえば、気にならなくなりました。その症状はありません!」
この患者さんは膀胱頚部硬化症ではなく、小さな前立腺肥大症による排尿障害が隠れていました。難治性慢性前立腺炎の原因である、いわゆる「隠れ排尿障害」です。
このように排尿障害を治すことで、3年間も続いた「抑うつ気分」がなぜ軽快したのでしょうか?その理由を私なりに考察してみました。
まず、「抑うつ気分」を考える出発点として「うつ病」を理解しましょう。「うつ病・鬱病」の神経学的病態生理は完全には解明されてはいません。しかし現時点では、右のイラストのように考えられています。
神経末端のシナプスへの「モノアミン」の放出量が異常に多いと「躁病」になり、「モノアミン」の放出量が極端に少ないと「うつ病」になると理解されています。「モノアミン」とは、ノルエピネフリン・セロトニン・ドパミンなどの神経伝達物質の総称です。(イラスト:神経の解剖と生理 メディカル・サイエンス・インターナショナルから)
「うつ病」は、中枢神経(ここでは感情を司る前頭葉が主に)のシナプス(ニューロンとニューロンの接合部)におけるノルエピネフリン(=ノルアドレナリン)とセロトニン(5-HT)という神経伝達物質の絶対的・相対的欠乏による機能障害が考えられています。要するに、神経細胞間(シナプス)で興奮が伝達されにくいという状態が、感情の抑うつを招くのです。
神経伝達物質であるノルエピネフリン・セロトニンの分泌を促進(デプロメール・パキシル・トレドミン)させたり、分解・吸収を抑える薬剤(トフラニール・トリプタノール・アモキサン)が、「うつ病」や「抑うつ気分」の治療に効果が出るのは、上記のような病態生理が基本にあるからです。(イラスト:図解 薬理学 医学書院から)
では、どうして慢性前立腺炎症状の男性患者さんが、「抑うつ気分」になるのでしょう。その「抑うつ気分」症状のために、慢性前立腺炎患者さんが「精神的な病気」と医師から誤解されてしまうのですから、この病態を理解しなければなりません。。
私が考える難治性慢性前立腺炎は、排尿障害が原因で下部尿路が刺激され、中枢神経・脊髄神経・自律神経(交感神経・副交感神経)は常に興奮状態です。表面的には均衡が保たれている状態です。これを「動的平衡状態」といいます。ちょうど運動会・綱引きの赤組・白組が「ソーレ!ソーレ!」とこん身の力で引き合っている状態です。赤組も白組もエネルギーを消費しながら、その状態を維持している訳ですから、綱引きのロープがただ置いてある場合と違って、1時間も2時間も永遠に「動的平衡状態」を維持できる訳もありません。神経の興奮にはノルエピネフリンが常に関与します。排尿障害のために「脊髄内の増幅回路」も形成され、シナプスの数も級数的に増えます。シナプスの数が増えることは、ノルエピネフリンの消費量が増えるに他なりません。
ここで、私お得意?の仮説を立てましょう。
一人の人間の一定期間におけるノルエピネフリンやセロトニンの絶対量あるいは上限が、一定の条件で決められているのではないでしょうか?シナプスでのノルエピネフリンの分泌=神経の興奮です。脊髄内の増幅回路形成でシナプスが増加し、全体的にエピネフリン分泌が極端に増加します。エピネフリン分泌の極端な増加は、戦闘態勢の興奮状態と脳中枢センサーは理解します。つまり膀胱・前立腺などの内臓による「内向的静的」興奮状態の場合も、骨格筋をフルに使った「外向的動的」興奮状態の場合も、中枢のエピネフリン・センサー(私の造語【注】)では同じ興奮現象と理解するのです。
【注】生体膜には、あらゆる物質に反応する装置、レセプター・センサー・再吸収取込みポンプ・分解酵素などが存在します。ノルエピネフリン・センサーが存在するエビデンスは知りませんが、恐らくあるでしょう。分子生物学などの専門書などを読むと、何でもありという感じがします。生命現象で論理上必要なものは全て存在するという印象です。ここでは存在するものとして話を続けます。
しかし1日2日の興奮状態でしたら脳中枢も黙って許すでしょうが、毎日24時間1ヶ月以上(患者さんによっては10年以上)もこの状態が続いたとしたら、さすがの脳中枢のノルエピネフリン・センサーも黙ってはいられなくなります。なぜなら長期間の外向的動的肉体的興奮状態(つまり興奮して暴れ回っているいる状態)は明らかに生命の危機になるからです。また人間という種の大局的な見地からすれば、集団の中で興奮して暴れるような個体は、集団にとって明らかに不利益ですから抹殺しても良いと判断し、自殺願望を促すのです。
この興奮を鎮めるために、視床下部から大脳皮質に供給される神経線維からのノルエピネフリン分泌が抑制されます。つまり「抑うつ気分」に陥らせることで外向的動的興奮を抑えようとします。しかし、実際は外向的動的興奮ではなく内向的静的興奮ですから、「抑うつ気分」になっても排尿障害が原因の脊髄内のノルエピネフリン分泌過多は改善されません。そのため大脳皮質でのノルエピネフリン分泌低下は恒常的低下になり、「抑うつ気分」は続き、ついには「うつ病」になるのです。
生理的現象によるノルエピネフリン生産量の増減幅はありますが、無尽蔵に分泌・生産されるものではないのでしょう。その証拠に神経接合部であるシナプスでは、ノルエピネフリンやセロトニンは分解されるのではなく、分泌されるそばから神経末端でまたたく間(0.01秒単位)に再吸収(ノルエピネフリンポンプ・セロトニンポンプと呼ばれる生体装置で)されてしまいます。再吸収されたノルエピネフリン・セロトニンは、次の興奮に備えて何度も再利用されます。リサイクルのように再利用されるということはノルエピネフリン・セロトニンが無尽蔵に分泌されるのではなく、有限の量しか存在しないからでしょう。この意味からもノルエピネフリン分泌過多は生理学的に許されないのかも知れません。
自律神経の中枢は視床下部です。視床下部はノルエピネフリン作動神経線維で支配され、大脳皮質(理性の中枢)にその神経線維を広範囲に供給しています。視床下部の下位中枢にあたる脊髄中枢のシナプスが増幅回路形成で極端に増え、ノルエピネフリンの消費量が増えれば、大脳皮質での必要なノルエピネフリン量が足りなくなっても不思議ではないでしょう。神経伝達物質であるノルエピネフリン・セロトニンが有限ではなく、必要に応じて無尽蔵に生産分泌されていると思い込んでいる現代医学にも問題があるのかも知れません。
可笑しなことに同じ排尿障害が原因の間質性膀胱炎(私の仮説が正しいとして)の女性患者さんには「抑うつ気分」の患者さんは、いないわけではありませんが、比較的に少ないのです。女性の方がノルエピネフリンの相対的許容量が男性のそれよりも大きいのでしょう。きっと10ヶ月にもわたる妊娠・出産という生物学的な大きなイベントのために、十分な許容量があるのです。
【補足】
本日(2008年8月22日)、妹さが御礼に来院されました。お兄さんの人が変わったように元気になったというのです。先日、朝の9時半に遊びに来たというのです。以前の兄を知っていれば「アンビリーバブル!」だそうです。今までなら、午前中まで寝ていたそうです。
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コメント
高橋先生!! だから女性は強いのですかね?(いろいろな意味で……)
僕は男です (トホホ……)
何かの CMのナレーションで 言っていました
「女性は強い、けど女性の体は強くない」と
失礼 致しました。
【高橋クリニックからの回答】
ご婦人は強い!
投稿: | 2008/08/07 14:00
僕も長年、過敏性膀胱炎のような症状に悩まされています。泌尿器科でチェックしましたが全く異常なしでした。チェックの前に大量に水を飲んで検査しました。現在は心療のカウンセリングを受けて抗コリン剤系の薬と精神安定剤を服用しています。不快感と残尿感はすごいですがトイレは5,6時間我慢できます。摂取している水分も少ないですが。この症状は3,4日で快方に向かい調子が良い時は2,3ヶ月良好な時もありました。何かアドバイスありましたらよろしくお願い致します。
【高橋クリニックからの回答】
排尿障害がないかどうかチェックしていただいて下さい。
尿流量測定ウロフロメトリー検査や残尿量測定検査です。
排尿障害があるようであれば、排尿障害治療薬であるα-ブロッカーを服用すると軽快します。
投稿: おかだ | 2008/09/26 06:05
私はこの病気になって二年になります。
お陰様でアルファブロッカー服用でうまくコントロール出来ているのですが、非常に今後が不安ですしこの先精神的にどうなってしまうかわかりません。
この慢性前立腺炎症状にある、抑うつ気分や鬱病にならないためにも先生はどのように患者さんとお話されたり、対策されていますでしょうか?
【回答】
抑うつ気分やうつ病は、この病気が作る病気です。
気分に振り回せられることなく、α-ブロッカーの治療を専念しましょう。
投稿: このままだと鬱 | 2012/11/24 13:14
高橋先生初めまして。
私は41歳の男性です。
25歳頃から、頻尿に悩まされ酷い時は1時間に5~6回と日常生活もままならない状態が続いており ました。何軒もの泌尿器科を受診しましたが、これといった原因がわからないまま、常に近くにトイレがないと、落ち着かない日々を過ごし、長期間の緊張状態からか、パニック障害、又は鬱病の様な症状が発症しました。
5年程前 に、 会陰部から尿道に掛けての違和感が酷くなり、新規の泌尿器科を受診したところ、慢性前立腺炎と診断され、薬と前立腺マッサージで、以前よりはかなり回復しましたが、強いストレスを感じた時などに、時々再発しております 。
直接的な関係はないかもしれませんが、私の場合は今迄に、対人恐怖、あがり、書痙なども併発しているようです。
高橋先生のブログを偶然見つけて、『この先生だ!』と思いました。先生に診ていただきたいです。横浜から行ってもいいですか?
【回答】
どうぞ。
投稿: しゅう | 2014/06/09 00:06
先生、読ませていただいて納得しました。
ここまで推測できる専門家が何人いるでしょう?私もうつ病になりレクサプロ錠を服用していました。睡眠薬と抗うつ薬が喧嘩して夜中に覚醒していまい今は睡眠薬だけの服用で良く眠れるようになりました。慢性膳立炎とうつ病が結びつけられない心療内科の先生がいます。漢方医のなかでも膳立炎との関連痛というとそんなことはないでしょうと言って関連痛のみを治そうとする先生がほとんどです。たしかに難しいのでしょうが高橋先生のように広い知識を持った先生が増えることを願っています。
投稿: | 2014/08/01 07:31