増幅装置としての病気
心身症・神経症・ノイローゼ・気のせいだと、誤解されがちな多彩な慢性前立腺炎の症状を関連痛という概念で今まで解説してきました。しかし、この概念の根本は、病気を中心にした考え方です。つまり非日常的な考え方なので、一般の方には今一ピンと来ないでしょう。
そこで、正常な状態を中心にした考え方を解説しましょう。
【正常な生理的神経の流れ】
上図は健康時の正常な神経の伝達経路を分かりやすく図示したものです。
日常生活で、体外の環境から受ける様々な刺激を、体中のあらゆるセンサーが受信して、脊髄神経を介して脳中枢に伝達されます。脳中枢では適度な感覚で、自覚しない時もあるほどの感覚です。
【増幅装置としての病気の存在】
しかし、内臓などに病気が存在すると、慢性前立腺炎では排尿障害ですが、脊髄神経の正常な流れの中にその病気の刺激が割り込んできます。割り込んでくるだけなら良いのですが、その刺激が脊髄神経に複雑な回路を形成し、まるで増幅装置(アンプやブースター)のように働くのです。末梢の感覚センサーから来た電気的信号の情報は、この増幅装置で電気的に増幅・脚色され、脳中枢に異常感覚として認識されてしまいます。
異常事態と判断した脳中枢は、運動神経や自律神経を介して、末梢の感覚センサーの内外周囲の環境を変化させます(フィードバック刺激)。センサーの感度を高めたり、血流を変化させるのです。その結果、末梢の感覚センサーの情報は、実質的にも増加して脊髄神経に流入します。すると脊髄神経の増幅装置でさらに情報が増幅され脳中枢に伝達される、というエンドレスの悪循環が形成されます。病気の原因が、些細な排尿障害であっても、慢性前立腺炎の症状が辛くてどうしようもない原因がここにあるのです。
【排尿障害が脊髄神経増幅回路の原因の場合】
脊髄神経内の増幅回路形成の原因として、理論的にはいろいろな病気がある筈です。ここは慢性前立腺炎をテーマにしているブログなので、排尿障害を例に上げましょう。
私が提唱している機能性の膀胱頚部硬化症や前立腺肥大症などの排尿障害が存在すると、膀胱三角部は排尿時の膀胱出口の振動により生理的反応で硬い組織になります。膀胱三角部が硬くなるためには、硬くなるための成分が存在する訳で、その成分が膀胱三角部のセンサーを狂わせ、センサーが常にオンの状態(壊れて鳴り続ける非常ベル)になり脊髄神経を刺激し続けます。脊髄神経内のニューロン(神経細胞)は細胞の樹枝突起を張りめぐらし、手当たり次第に様々なニューロンの樹枝突起とシナプス結合をします。そのニューロン同士の複数の結合が、一定の意味を持った神経回路を形成し、それが増幅回路として働き、他の感覚センサーからのニューロンを刺激し、脳に誤解させるような大量の情報を送るのです。
大量の情報を送られた脳は、複雑な手順を踏んで末梢の器官・臓器・感覚センサーにフィードバック刺激として繰返し情報を返します。
フィードバック情報は、末梢の器官・臓器・感覚センサーを過敏にし変容させます。その例が膀胱三角部の肥厚硬化現象です。そのため膀胱三角部は益々過敏になり、脊髄神経を刺激し増幅回路は確固たる存在になるのです。
【治療方針と戦略】
上記の病態生理を十分に理解した上で、治療方針や治療戦略を立てなければ、意味のない治療を続けることになります。上で示した慢性前立腺炎という病態には、病原菌は登場しません。ですから抗生剤を治療手段として長期間使用しても効果のない無駄な治療を行なっていることになるのです。
治療として①~⑧までの目標部位があります。
①は排尿障害の治療です。内服薬としてハルナールやエブランチルなどのα-ブロッカーを利用します。しかし排尿障害が、可逆的ではなく非可逆的な場合には、内服薬が無効です。その際には内視鏡手術が適応になります。
②は膀胱三角部の過敏さの治療です。膀胱三角部の伸展レセプターを抑える治療になります。内服薬としてブラダロン・ポラキス・バップフォ・デトルシトール・ベシケア・ポララミン・IPDなどがあります。しかし伸展レセプターを目標として正面から治療する薬は存在しないので、効果は不安定です。内服薬が無効の場合には、内視鏡手術として膀胱三角部減張切開手術を行ないます。伸展レセプターは、膀胱三角部の筋肉内に存在するので、電気メスで筋層まで十分に切開しないと伸展レセプターを破壊することはできません。
③~⑧までの治療は、内服薬の保存的治療しか存在しません。治療目標は、末梢神経・脊髄神経・脳中枢神経の神経です。この領域は未知の領域でブラックボックスです。脳神経外科・心療内科や精神科で使用するお薬が、候補として処方されます。
抗うつ剤(ドグマチール・グラマリール・トフラニール・トリプタノール・デプロメール・トレドミン)、
抗不安剤(デパス・リーゼレキソタン・メイラックス)、
抗てんかん・抗ケイレン剤(リボトリールデパケン)、
自律神経調節剤(ウブレチド・グランダキシン)などです。
外科系の泌尿器科医としては、本当に苦手の領域になります。
【内視鏡手術してもなかなか治らない原因】
さて、このブログの「患者さんからのレポート#∞」でご紹介しているように、すっきり治らない人、何回も手術を必要とする患者さんがおられます。図で示すように、手術を行なっても脊髄神経内の増幅装置・回路が、すでに確固たる地位を築いている場合には、感覚センサーからの情報が、手術前と同じように誤解されて脳中枢に伝達されるからです。
このような場合には、③~⑧の治療薬剤を使用します。私が多く処方するのが、ご存知のデパスです。
【新しい沈静神経回路の誕生】
デパス(図の中のD記号)を使用し続けるのは、重要な意味があります。脊髄神経内に新たな神経回路が形成されるのを期待しているからです。
排尿障害がなくなり、膀胱三角部も落着いてくれば、増幅回路を支える刺激はなくなります。デパスなどの神経作動薬で、脊髄神経内の増幅回路に刺激が入らなければ、増幅回路のニューロン・シナプス結合は、ゆるみ・外れて回路自体は不完全になります。その間に、感覚センサーからの刺激が他の回路を経由してくれれば、そちらが沈静回路ともいうべき存在になります。
「デパスをいつまでも一生服用しなければなりませんか?」という質問を受けます。増幅回路に対抗できるだけの沈静回路が確立すれば、服用しなくてもよいのです。
沈静回路形成をただひたすら当ても無く待つのは、あまりにも消極的です。最近では、もっと積極的にこの神経回路を作りたいと考えています。その方法として、仙骨神経ブロックと低周波治療があります。
仙骨神経ブロックは内視鏡手術の際に行なう麻酔です。もちろん手術と同じ程度・深さの麻酔は外来ではできません。麻酔の濃度を薄くし麻酔量も少なくして定期的に(1週間に1回~2回)行ないます。仙骨神経ブロックを行なうと、感覚センサーからの脊髄神経内へ注ぐ情報が激減します。それまで常に大量の情報が脊髄神経内の増幅回路に注がれていましたから、増幅回路もビックリです。ビックリしたショックで増幅回路も調子を崩してしまうのです。それを定期的に行なえば、沈静神経回路の形成を促せるというのです。
低周波治療による下半身の刺激療法は、以前から存在しています。膀胱三角部からではない他の刺激を繰り返し行なうことで、沈静神経回路を作るのです。全国の施設で慢性前立腺炎や間質性膀胱炎の患者さんに積極的に使用していますが、今ひとつ効果が上がらないのです。理由は簡単です。排尿障害や膀胱三角部を治していないからです。これらの部分を治さなければ、膀胱三角部からの刺激は脊髄神経内の増幅回路に常に注ぎますから、低周波治療での定期的な刺激では、増幅回路に勝てるだけの沈静回路ができる訳がありません。
最近では、個人が購入できる低周波治療器が発売されています。チョッとお高いようですが、試してみる価値がありそうです。刺激する部位は、痛みや不快感ある場所とは異なる場所にして下さい。例えば、会陰部痛であれば、仙骨部や大腿内側(太ももの内側)を刺激するといった具合です。試行錯誤して、ご自分に合った箇所を見つけます。
鍼治療・お灸・トリガーポイント注射なども、同じ理由で脊髄神経内の沈静回路形成に役立つ筈です。
私が現在、慢性前立腺炎や間質性膀胱炎の患者さんに対する治療戦略は、上述の如くです。決して単純ではないでしょう?未完成です。揺るぎない病態と診断と治療法が確立するまで、道のりは長そうです。これからも無い頭を絞ってアイデアを出します。高橋クリニックに通院・治療中の患者さん、私は頑張ります!
| 固定リンク
コメント
この記事に溢れる先生の病気に対する情熱と闘志に感動しました。6年前の記事ですが、いまだにこの病気と戦い続けている姿勢には頭が下がります。
ところでこの記事の最後辺りに出てくる低周波マッサージ機は病院にあるような高級なものでなければいけないですか?電気屋で買えるようなものと医療用の高級なものは何が違いますか?
【回答】
出力の違い程度でしょう。
同じだと考えます。
問題は有効なトリガーポイントを如何に見つけるかです。
投稿: | 2013/04/08 12:03
回答ありがとうございます。残尿感を取りたい場合はどの辺りを刺激すれば良いですか?
どれくらいの時間刺激する、どれくらいの強さで刺激するといったことについて、なにか目安はありますか?
【回答】
私は低周波治療について実施も研究もしていないので分かりません。
投稿: | 2013/04/08 14:51
先日は有難うございました。
ハルナール、ベタニス、1日後ベタスを処方して頂きました。
まだ3日目で大きな効果は実感できていませんが。
以下の文章を拝読しました。
>排尿障害がなくなり、膀胱三角部も落着いてくれば、増幅回路を支える刺激はなくなります。デパスなどの神経作動薬で、脊髄神経内の増幅回路に刺激が入らなければ、増幅回路のニューロン・シナプス結合は、ゆるみ・外れて回路自体は不完全になります。その間に、感覚センサーからの刺激が他の回路を経由してくれれば、そちらが沈静回路ともいうべき存在になります。
私はベタスは調子の悪い時だけ、要するにあくまで対処療法、と考えていましたが違うのですね。
ある意味”仙骨ブロック注射”になり、恒久的に関連痛を起こす神経回路を遮断する事が出来る、と。
これは理論だけでなく先生のご経験で実在した事、との理解でよろしいでしょうか?
【回答】
はい。」
そうなるとαブロッカーの長期服用、合わせてベタスの長期服用で未病の状態に戻れる、と理解していいのでしょうか?
【回答】
はい。」
もちろん個人差はあることは承知しています。
投稿: 患者番号31356 | 2014/03/08 18:08