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患者さんからのレポート#17

先生、お久しぶりです。7月10日に手術をして頂いた○○○○です。その節は、本当にお世話になりました。

師走のこの時期、先生はお忙しくお過ごしなのでしょうか?私は、まだ卒業論文に追われていて、クリスマスどころではありません(泣)。でもでも、聖なる夜(?)、ご家族と楽しくお過ごし下さいね。

私も、現在はかなり体調が良く(整ってきて?)、10月の診察の際に訴えていた頻尿は全く無くなりました。もう、卒論がつらいなって思う時、でも高橋先生の事を思い出して、自身の健康な体に感謝する気持ちを再度認識しながら頑張っています。本当に、感謝の気持ちは伝えても、伝えきれないと思います。2008年の、ベスト・オブ・ミーツ(?)に、私は間違いなく高橋先生を推薦したいと思います!!本当に有難う御座いました!

ではでは、インフルエンザなど高橋先生は罹患しなさそうですが(笑)、体調にはくれぐれもお気を付けて(私も気を付けます!)、元気に新しい年をお迎えください。
                                     
かしこ

P.S:『患者さんレポート』は添付ファイルとして送らせて頂きます。もし、高橋先生のパソコンで開けなかった場合はメールでお知らせ下さい。また、何度も見直したのですが、万が一誤字脱字などがありましたらば、その際もご指摘頂ければ、訂正したものを再度送らせていただきたいと思いますので、その際にもメールで返信していただければ有難いと思います。

では、早速患者レポートを書き綴って行きたいと思います。HPを見ている方に、間質性膀胱炎の症状や手術の内容、経過などを少しでも分かりやすく伝える為に、
≪①症状の発祥~高橋クリニックを受診するまで≫
≪②手術実施の決定~手術までの経過≫
≪③間質性膀胱炎の手術≫
≪④術後の経過~1週間・1ヶ月・3ヶ月≫
≪⑤現在の状況~自身の病気を振り返って≫
の5つに章を区切ってレポートをまとめていきたいと思います。ぜひ、私のような若い女性で同じ症状に苦しむ方々(もちろんその他の方々も)にとって、心の不安を除き、少しでも“『高橋クリニック』を受診してみよう!!”という決心を促すキッカケになれば、私自身にとってもこれ以上の幸いはありません。

≪①症状の発祥~高橋クリニックを受診するまで≫
 それでは、まず私の病気の症状が発祥した時に時間を戻して、出来るだけ詳細に皆さんに伝えて行きたいと思います。あれは忘れもしない(笑)、2008年の1月上旬の寒い冬のことでした。私は大学4年生で(現在22歳です)、ちょうど就職活動に精を出している時でした。そんな時、ふいに極度の頻尿と残尿感に悩まされ始めたのです。私は、“きっとこれが噂に聞く膀胱炎というものに違いない”と感じました。それまで、私は膀胱炎になったことがなかったのですが、たまたま膀胱炎になった女友人がいて、どういった症状かは聞いていました。その友達は、『頻尿は大変だったケド、病院に行って薬を貰ったら2~3日で治ったよ。特に冬とかなりやすいらしいよ。』と言っていました。なので、私はそんなに重要に考えていませんでした。後日、医療機関を受診すると、案の定“急性膀胱炎”という診断が下り、抗生物質を1週間分処方され、私はきちんとそれを飲み、一時はもとのように回復しました。1週間後の尿検査でも特に問題は無く、私は“良かった、良かった”とのほほんとしていました。
 しかし、問題はこれからだったのです。その後1週間も経つと、また例の頻尿と残尿感に悩まされ始めたのです。スグに医療機関を受診しました。しかし、尿には異常は見つかりません…。一応、念の為にということで、抗生物質をまた1週間分処方して頂き、私は腑に落ちない気持ちで毎日を過ごしていました。よくよく考えてみると、抗生物質を飲んでも、症状はあまり改善されないことが分かってきました。しかも、抗生物質は長期に渡って飲み過ぎると身体に良くない、とお医者さんも処方を渋り始めました。その後、頻尿と残尿感は続き、夜もその症状で目が覚めてしまうなど、私は精神的にも辛い毎日を過ごしていたのです。
 それが1月~3月一杯まで続きました。最後には、お医者さんからは、『きっと神経が過敏になっているからに違いないよ。精神安定剤の薬を処方しようか?』と言われる始末です。“私の病気は本当に膀胱炎なのだろうか…。それとも、本当に精神が過敏になっているのだろうか。。。、治らないかもしれない。”。その時は本当に、絶望的な気持ちになりました。しかし、私は最後の希望を信じていたのです。きっと何か解決法があるハズだと!“もう、自分の力で解決方法を見つけ出すしかない!”と、私はインターネットで検索を試みたのです。その、第1ページ目に見つけたのが、『高橋クリニック』のHPでした。
 なるほど…。HPの専門分野の所をくまなく読んでいくと、全く私の症状と同じキーワードが沢山出てきました。残尿感、頻尿、長期間続く、精神の病と誤診されやすい。。。、など等。
私は、自身の病気が“間質性膀胱炎”なのではないかと思い始めました。“う~ん、なんだか不思議そうな先生だケド…、もう私にはここしかない!”これなら、私の病気に一番しっくり来るのだから。“と、初めて納得した気持ちになったのです。電話で一度コンタクトを取り、後日受診することになりました。
 初受診は、4月の10日だったと思います。ここで、私は、初めて『間質性膀胱炎』という診断を受けることになりました。

≪②手術実施の決定~手術までの経過≫
 私は、先生の方から『間質性膀胱炎』という診断を聞いてから、手術を受けるという事は心に決めていました。やはり、日本でこの手術を実施している先生は、高橋先生以外はおりませんし、私はまだ学生でしたので、術後もゆっくり回復する時間のゆとりがあります。社会に出て仕事をする前に治療してしまった方が良いのではないかと、私は考えました。
 高橋先生も、私の意志に対して賛成も反対もせず、『両親に話をしてから手術の日取りを決めましょう』ということになりました。
 そして、メールで上記の病名を診断された事と、是非そこで手術をして頂くつもりだ、という旨をまず伝えました。その日は、通常授業が入っていたのですが、帰りに携帯を見てみると15件着信が母から入っていました(笑)。
 私は、その夜まず両親に①の内容や、手術についてなど、簡単に話をしました(詳しいことはホームページを参照して欲しい、といって省きました・笑)。手術はまず、1日で、しかも日帰りで行うことが出来、外傷が付くわけでは無いと話しました。それでも、両親は心配そうでしたが、私が手術に向けて比較的落ち着いた気持ちでいることと、やはり、それまでの過程が辛かったことなどに理解を示して、結局は手術を受けることを了承してくれました。そして、先生と相談をして7月10日に手術の実施が決まりました。
 さて、それまでの経過なのですが、先生のおっしゃられた通り水分はなるべく控え、身体に疲れを溜めないよう規則正しい生活を心がけました。なので、通常の学校生活に特に支障はありませんでしたし(トイレが近いということ意外は)、膀胱炎も再発せずに済みました。

≪③間質性膀胱炎の手術≫
 さて、いよいよ7月10日がやってきました。その日は、嬉しい気持ちと不安と半々くらいの気持ちでした。前日は多少緊張していた為か浅い眠りをさ迷っていましたが、朝食はバッチリ摂っていきましたよ(笑)!
 クリニックに行くと、体調はどうかとか朝食は摂って来たか…、など聞かれた気がしますが、先生も既に準備が整っている為、スグに手術室に行きました。まずは、お尻を出して麻酔です。これは第1回目は痛かったです。痛い…、と言うより“重い”という感じでしょうか。一点を非常に強く押さえられている感じに近いかもしれません。しかし、2回目・3回目…、と注射を打っていくと、もう感覚はほどんどありません。ですので、気合を入れるのは第一投目です(笑)!!
 さて、麻酔を打って2時間位は放置だったでしょうか(笑)。麻酔を充分に下半身に行き渡らせる必要があるからだと思います(途中先生が何回か麻酔の効き目を見にきて下さいます)。その間は、先生が曲をかけてくれたり(ちなみに懐メロです)、お話して下さったり。。。私自身は、この時にはあまり緊張は無かったです。
 ではでは、実際の手術の様子です。手術の手順はHP上に詳しく書かれていますし、そちらを見たほうが、私が説明するより確実でしょう。また、多分手術の手順なども先生が個人の身体に合わせて調節しているかと思いますので、基本を頭に入れて置いたほうがいいのではないでしょうか。
 なので、私自身のレポートは、処置をして頂いている時の状態や、その時思った事などを中心に書き込んでいきたいと思います。まず、麻酔が効いているので尿道にカテーテルを挿入する時などの痛みは全く無かったです。しかし!実際に膀胱中の“膀胱三角部”(この部分が、尿意を感じる重要なセンサーらしいです)なる部分をレーザーで切っていくときには本当に痛かったです!!いや、痛いというより“熱い!!”です!まさしく切られている。。。と実感し、痛みに耐えていました。しかししかし、この部分が非常に重要で、私が何とか耐え切れたのも、先生から励ましの言葉を頂いた事と、やはり“良くなりたい”という強い気持ちがあったからです。しかも、手術台に上ったら最後、逃げられませんしね(笑)。メインはこの辺りだったと思います。その後は、止血が中心でしたし、この痛みに比較したら忘れてしまうようなものだということは、確実でしょう。
 実際の手術時間は1時間弱という所でしょうか。終わった時には本当にホッとしたと同時に、眠くなりました(笑)。先生も、『麻酔が切れるまでは時間があるから、眠っていなさい。』と言葉をかけて下さり、私は安心して夢の中へ。。。(笑)午後6時頃、母に迎えに来てもらい、私は半分ガニマタ歩きで、母と笑いながら予約していたホテルへ帰りました。

④術後の経過~1週間・1ヶ月・3ヶ月≫
 さて、術後の経過はどのようだったのか、レポートしていきたいと思います。まず、術後は閉尿という私自身が一番恐れていた状態になってしまいました。どんなに力を振り絞っても尿が出てこない・・・。私は真っ青になりながら、高橋クリニックに駆けつけたことを覚えています(笑)。先生は、休日にも関わらず私の診療を行って下さいました。
 閉尿になってしまう患者さんは少なくはないようです。皆さんも閉尿は怖いかと思いますが、しかし高橋先生がきちんとした対処をしてくれますし、そんなに心配することはありません。閉尿は、私の場合ですと、今までの狭い尿道から手術を行い、いきなり開けた尿道になったので体が対応しきれず、尿道から尿がうまく出てこない状況になってしまったのだ、ということでした。対処としては、尿道にカテーテルを繋げるだけです。そのカテーテルの先に、開閉できる磁石のフタがついており、トイレに行きたくなったら自分でそのフタを開けて尿を出します(術後のような尿を溜めるバックは付いていませんので、外から見ただけではカテーテルを繋げているとは絶対に分からないのです。ご安心を)。私もそのカテーテルを付けましたが、男性がどんな感じでトイレで尿を出すのか、よく分かりました。貴重な体験でしたね(笑)。
 しかし、やはりカテーテルを繋げると身体に多少の不快感があります。私の場合はカテーテルを繋げて、1~2日は日常生活がやはり困難でした。カテーテルが膀胱に当たる衝撃で尿意を感じるとは聞いていたのですが、入れたばかりの時は四六時中尿意が感じられ、実際大変でした(この間は通常通りオフロに入ることも出来ます)。また、座るのも困難で、私的には“リング座布団”を用意しておくと便利だと推しておきましょう(笑)。
 しかし、身体とは順応するもので、3~4日経つとそんなに苦でなくなりました。その間は、術後の出血も全く無かったです。ただ、尿に血の塊みたいなものが混じることがありますが、それは私たちも良くケガをしたあとの“かさぶた”みたいなもので、全く心配する必要はありません。しかし、それと同時に尿に大量に血が混じって止まらないなど、出血をしてしまう
場合もあるらしいので、その時は落ち着いて高橋先生に連絡を取って下さい。
 私は1週間カテーテルを装着しました。1週間後また病院へ行き、カテーテルをはずした後できちんと尿が出るか見て、尿が通常通り出すことが出来ればカテーテルは外す事が出来ます。私は、なんとかスムーズに尿が出ました。よって、今後は術後1ヶ月目と3ヶ月目に診察に訪れることになりました。
 術後の経過は人により差があると思います。私の場合は、カテーテルを外して2週間くらいは頻尿だったり残尿感があったり、後トイレの回数も多かったりと落ち着きませんでした。しかし、それ以後になると少しずつ落ち着いてきました。皆さんも、多少日によって身体状況にバラツキがあるかも知れませんが、大量出血したり閉尿したりということがなければ、落ち着いて経過をみていて充分大丈夫だと思います。私の場合は、術後1ヶ月の間は日記にその日のトイレの回数と身体状況などを記録していました(その後は、特に変化のあった日のみ記入していました)。そうすると、自身の術後の経過がつかめるようになりますし、閉経していない女性の場合は、月経の時に多少身体状況に変化があるかもしれません。私は、生理が近くなると頻尿になったりしました。しかし、同じ女性でも状態は異なると思いますので、ここでは私が実践した方法だけを簡単にお知らせしておきます。
 1ヶ月間は、顕著だったのはトイレの回数が減ったことで、これは非常に助かりましたし、嬉しかったです。以前は授業の終了と同時にトイレに駆け込んでいたのですが、今は学校にいる間午前中と午後で2回ぐらいしか行かない時もまれではありませんでした!本当にびっくりしてしまいました。

≪⑤現在の状況~自身の病気を振り返って≫
 現在(2008年11月現在)は、非常に元気に毎日を送っています。悪夢だった頻尿、残尿感も全くといって良いほど消失してしまい、術前の状態がウソのようです。しかし、もちろん、私がここに書いたレポートは全てが真実ですし、そして何より自分が回復不可能だとまで思い込んでいた病気をここまで素晴らしく治して頂いたのは、他でもありません。高橋先生のお陰なのです。
 先生は、手術中私に『自身の仕事を始めて天職と思ったのは50歳の時、君と同じ様に若い女性を手術したことがキッカケだったよ。』とお話して下さいました。そして、元気で素晴らしい毎日を、再び送ることが出来るようになった今、思うのです。先生は、先生ご自身の努力によってこの素晴らしい仕事を、ただ日々の糧を得る“仕事”ではなく、“天職”といった聖域にまで引き上げたのだということが。そして、先生の過程と現在に、それこそ並々ならぬ努力があったのだと、ひしひしと感じたのです。
 高橋先生、先生と出会った事は、私の中で全くの幸運といっても良いほどの貴重なものでした。私は、現在管理栄養士を目指して日々勉強に励んでいますが、私も高橋先生のように患者さんの苦しみを共に分かり、その患者さんを救う為には自身を削ってでも頑張っていきたい。
自身の仕事に対しての知識や技術は、常に向上を目指すことはもちろんです。しかし、それ以上に大切にしたいことは、自身の仕事に対しての飽くなき情熱、そして童心のような素直で明るい探究心です。これらのことを常に絶やさず、日々実践を心がけ頑張って行きたいと思います。高橋先生が私に示してくれたように、です。
 

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