ニュースの記事で下の記事を見つけました。私の考えを✴️【備考】で解説しました。
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現在、上皇陛下は公務から離れられ、皇居内の生物学研究所で専門のハゼの研究を続けられたり、美智子さまと共に都内のテニスクラブをお忍びで訪問されたりと、日々を慈しむように過ごされている。だが、陛下は「がんサバイバー」としてのお姿もある。
陛下の前立腺がんが見つかったのは、2002年末のことだった。検査結果について、当時の皇室医務主管だった金沢一郎さんは会見でこう説明した。
「お採りした組織の病理検査の結果、前立腺にがん細胞の存在が確認された。高分化型腫瘍で、比較的たちのよい腫瘍で転移はないと判断される。関係する医師の協議の結果、前立腺全摘出手術をお受けいただくこととした。手術は東京大学医学部附属病院で、東大病院と国立がんセンターの合同チームが行う」
✴️【備考】高分化型とはグリソンスコア6以下の前立腺ガンです。通常であれば、そのまま放置か、あるいは放射線治療になります。それを前立腺全摘手術をされたのです。』
ステージ(進行度)について記者から質問が飛ぶと、「真ん中ぐらい」(金沢さん)と答えたので、ステージII程度だったと推測される。
✴️【備考】ステージ❷は前立腺の被膜を超えていない『限局型』の前立腺ガンです。』
翌年1月18日、東大病院で、手術を受けられた。この時、陛下に病名を伝え、治療方針やリスクについて説明し、手術を取り仕切ったのが、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生さん(78才)だった。
がんの専門医としてがんセンターに長年勤務し、中央病院長や総長を歴任してきた垣添さんは、医師人生をがん治療に捧げてきた人物だ。
「手術に際しては、前立腺の絵を描いて、それをご覧いただきながらがんがあると思われる場所をお伝えし、手術や放射線治療など、考えられる治療方法についてご説明しました。
結果的にはありませんでしたが、前立腺を摘出することで尿失禁が起きる可能性があります。そういったリスクも含めて、治療はどういう経緯をたどることが想定されるのか、包み隠さずお話ししました。それをお聞きになったうえで陛下は、『わかりました、お願いします』とおっしゃいました」(垣添さん)
✴️【備考】結果的には、上皇さまは、その後に前立腺ガンの転移が認められてホルモン治療を受けることになったのです。と言うことは、ステージ❷が誤診だったのか、あるいは針生検によってガン細胞が転移したのかも知れません。』
一般的に、がんの告知を冷静に受け入れることができる患者は少ないとされている。特に告知されてからの2週間は「魔の2週間」と呼ばれ、受診結果が信じられず、セカンドオピニオンを受診したり、うつ病になったりするリスクがもっとも高まる期間だという。
「陛下は常に冷静でいらして、私どもが提案した治療方針に真摯に耳を傾け、受け入れてくださいました。陛下はサイエンティストでもいらっしゃるから、がんとわかっても客観的に、科学的にご自分の体を見つめていらっしゃるのだと感じました」(垣添さん)
治療や病状の説明へのご質問や異論を口にされることはほぼなかった陛下が、1つだけ強く主張されたことがあるという。
「それは、ご自身の病状や手術の経過を『包み隠さず国民に伝えてほしい』ということでした」(垣添さん)
皇室ジャーナリストの神田秀一さんは、上皇陛下の意図をこう解説する。
上皇陛下は1989年、即位後初めてのお言葉で《皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす》と誓われました。憲法を守るとは、天皇として『国民主権』を宣誓されたということです。
陛下は、がんを告知されるという極限の状況においても、“天皇は自分自身が第一であってはならず、その身体は国民のためにある”とお考えになられた。そこで、病状を包み隠さず、国民に逐一伝えてほしいと述べられたのでしょう」
父である昭和天皇が、十二指腸がんを告知されないまま崩御されたことも、公表を強く望んだ理由の1つだったのかもしれない。神田さんが続ける。
「昭和天皇ががんになられた当時は、手術ひとつとっても『玉体にメスを入れるとは何事か』と、宮内庁や政府、医師の間で大激論を重ねるほどがんに対してナーバスだった時代です。国民の間でも“がんは死の病である”という認識が強く、当然国民にも昭和天皇の病状は伏せられていました」
昭和から平成への御代がわり(1989年)当時は、昭和天皇に限らず、患者本人にすら病名が伝えられないことが一般的だった。実際、厚労省が行った「第42回がん対策推進協議会」(2014年)の資料によると、1993年頃までは、終末期の患者に告知する割合は2割を切っている。
「昭和天皇ががんであったことは、崩御されたあとの宮内庁記者会見により発表されました。がんとわかっていながらも告知することができなかった担当医の苦悩や、病名は伏せられているのに連日のように血圧値や脈拍数が報道され、不安を煽られる国民の姿をご覧になられていたことも、陛下がご自身の病状を公表することを強く望まれた一因だったのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
がんと向き合い、闘病するお姿をすべて公表する――そのお言葉通り、手術が終了したあとは、宮内庁より、
《天皇陛下の前立腺全摘出手術は,本日午前執刀を開始され,3時間40分で無事終了いたしました。(中略)手術は順調に進み,予定通りの手術ができ,前立腺の全摘除及び両側閉鎖リンパ節廓清は成功裏に終わりました》と病状が発表された。上皇陛下ご自身も手術後の退院に際して次のようなお言葉を表明されている。
✴️【備考】ステージ❷であれば、リンパ節の郭清をする必要があるのだろうか?ステージ❸であれば、リンパ節廓清の必要がありますが。』
《今回の入院に際し,治療に当たってくれた医療陣の努力に深く感謝します。また,大勢の人々が,心配し,回復を願ってくれたことを,心からうれしく思っています。退院に当たり,今病を得ている人々の回復を祈り,国民皆が,それぞれ体を大切に,元気に過ごすよう願っています》
※女性セブン2019年7月18日号
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✴️【備考】日本で最高のVIPである上皇陛下が、最高の医療機関と一流の医師たちによって、標準的診断と標準的治療を受けたのです。しかしながら、その結果は一般の人々と変わりませんでした。それから想像できることは、前立腺ガンに対する考え方の甘さと、標準的な診断と標準的治療の間に矛盾が存在していると考えられます。陛下は、ある意味で、現代医療による被害者だとも考えられます。
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